カトリックのもっとも大事な宗教行事が、「復活祭(伊:Pasqua)」。その2日前がイエスが処刑された日、さらにその前日が「最後の晩餐」の日。
つまり、復活祭から数えて3日前の木曜日は「聖木曜日(伊:il Giovedi Santo)」と呼ばれ、この日に「最後の晩餐」が行われたことになります。
目次
「最後の晩餐」とは
同名の作品で一番有名なのはミラノにある、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のもの。
でも、実はこのタイトルの作品、ひとつだけじゃありません。
これは聖書のとあるシーンを描いたものなので、たくさんの芸術家がそれぞれの解釈で、またその時代の流行に合わせて色々な表現をしてきました。
だから、同じ「最後の晩餐」というタイトルでも、本当に色んな作品があるんです。
聖書の中での記述では、こんなシーンです。
一同が食事をしているとき、イエスは言われた。
「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは非常に心を痛めて、「主(しゅ)よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。
イエスはお答えになった。「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るそのものは不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」
イエスを裏切ろうとしていたユダが口をはさんで、「先生、まさかわたしのことでは」と言うと、イエスは言われた。「それはあなたの言ったことだ。」
日本聖書協会「新約聖書」マタイによる福音書26:21-25
人の子というのはイエス自身のこと。
裏切ることは本当によくないことですが、「生まれなかった方が良かった」とはなかなか手厳しいご意見… 🙁
また、聖書には全部で4人の福音書記者(書き手)がいるのですが、その中で少し異色の表現が多いヨハネによる福音書は少し違う描写がされています。
イエスは…(中略)…断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合せた。
イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席についていた。シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。
その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それはだれのことですか」と言うと、イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。
座についていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。
ある者は、ユダが金入れを預かっていたので、「祭りに必要なものを買いなさい」とか、貧しい人に何か施すようにと、イエスが言われたのだと思っていた。
ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
日本聖書協会「新約聖書」ヨハネによる福音書13:21-30
大筋はマタイによる福音書と同じですが、独特の表現がいくつかあります。
「イエスの愛しておられた者」とは書き手であるヨハネ自身のこと(自分で言っちゃった!! 🙄 )
この時のイエスの答えは内緒話だったんでしょうか、その場にいた人は、なぜユダがパン切れを渡されたのか、わからなかったとあります。
フィレンツェの街を彩る「最後の晩餐」はこんなにある!
さてそんな訳で、他の「最後の晩餐」を描いた作品を見てみたいと思います!
板絵作品なども入れるとすごい数になってしまうので、今回はフレスコ画など壁に描かれたものに限定してご紹介します。
最後の晩餐はそのテーマ上、特に壁画の場合は修道院の食堂に描かれることがほとんどでした。
彼らは食事のときに祈りを唱えますが、罪深い人間に変わって犠牲となったイエスへの感謝の気持ちを忘れないようにするためです。
タッデオ・ガッディ(1334年頃)
タッデオ・ガッディ(Taddeo Gaddi / 1290-1366)はジョットの弟子のひとりで、14世紀前半にフィレンツェで活躍した画家です。師匠のジョットと画風がとても似ているので、この作品も古くはジョット作とされてきました。
この作品はフィレンツェで一番古い「最後の晩餐」。サンタ・クローチェ教会付属の美術館で見ることができます。
大きな壁一面に描かれた絵の下半分が「最後の晩餐」です。
長テーブルの中心にイエスが座り、その胸もとに寄りかかるように眠っている左隣の人物がヨハネ、テーブルのこちら側にひとり座っているのがユダ。
レオナルドの作品(1494-1498年頃)以前はこのようにユダは孤立した形で描かれており、一目見て誰が裏切者かすぐにわかる構図になっていました。
1500年代以降に描かれた作品は逆に、初見ではユダがどれかわからないものもあります。
ちなみに上半分は中心部がエデンの園に植えられた(アダムとイブが知恵の実を食べてしまった)「生命の木」、それを取り囲むのは洗礼者ヨハネや聖フランシスコなど、その他の聖人のエピソードに基づく場面が描かれています。
この作品が見られるのはこちら。
サンタ・クローチェ聖堂オルカーニャ(1360-65年頃)
この作者、オルカーニャ(Orcagna, 本名Andrea di Cione di Arcangelo / 1310-1368頃)も14世紀半ばに活躍した画家です。
サント・スピリト教会の元食堂だった壁にあるのですが、残念ながら保存状態が悪くほとんどわかりません。というわけで、たぶん・・・「最後の晩餐」?
先ほどのものと同じく、下の方に描かれています。
この作品が見られるのはこちら。
サント・スピリト聖堂アンドレア・デル・カスターニョ(1445-50年頃)
こちらの作品はサンタアポッロニア修道院の食堂にあります。
1400年代初頭のブルネレスキ(建築)・ドナテッロ(彫刻)・マザッチョ(絵画)に端を発するルネサンスの時代において、最も初めに描かれたのがこのアンドレア・デル・カスターニョの「最後の晩餐」です。
それまでの作品と大きく違うのは、正確な遠近法を意識して描かれていること。
13人の登場人物は、三方を囲まれたひとつの小さな部屋に集まって食事をしているシーンを、鑑賞者がまるで劇場を見ているかのように表現されています。
また、壁や天井などの豊かな装飾も、実際の宮殿を描きとったかのようにとてもリアルな表現。
さらに、人物の表情がバリエーション豊富で、これ以前の作品では聖人たちはそれほど個々人の違いが見て取れないのに対し、この作品では隣の人と話し込む人がいたり、一人で天を仰ぎみて考え込む人がいたり、驚いてイエスに注目する人がいたり。
神や聖人が絶対的な強さ、確実さをもって描かれた中世の美術から進んで、より人間らしい表現がされるようになってきたルネサンスの特徴がよく表れていますね。
聖人それぞれの足元には名前が記され、上部には「復活」「十字架磔刑」「十字架降架」の3場面が描かれています。
この作品が見られるのはこちら。
アンドレア・デル・カスタンニョの「最後の晩餐」(サンタポッローニア修道院食堂)ドメニコ・ギルランダイオ(1480年頃)
こちらはオンニッサンティ教会にある、ギルランダイオ作の「最後の晩餐」。
ギルランダイオはあのミケランジェロの師匠よ~
この作者の特徴は、北方フランドル地方(主にベルギー)の絵画流派の影響を非常に強く受けていて、とにかく細部の描写をとても精密に表現すること。
先ほどのアンドレア・デル・カスターニョの作品よりもさらに一歩進んで、現実の建物の一部さえも絵画の一部に見えるよう視覚効果を取り入れています。
中央のキリストの辺りから上に伸びている白い壁の部分は、建物の壁の実物。
あたかも現実世界の空間の向こうにさらに部屋が続いているかのような表現で、登場人物のいる空間が描かれています。
また、絵の中の左手に窓が開いていて、そこから指した光により、人物の右手に影ができるよう表現されていますが、現実にも窓は左側にあって、光の方向は絵の中の世界と一致しています。
この作品が見られるのはこちら。
ギルランダイオの『最後の晩餐』(オンニッサンティ教会)ドメニコ・ギルランダイオ(1486年頃)
これは先ほどのオンニッサンティ教会のものと同じ、ギルランダイオの作品。サン・マルコ美術館の1階にあります。
構図とか、描き込まれたシンボルが本当にそっくりで、間違い探しみたい!!
実際にはこちらの方がやや小さ目で、またこの作品のときは下絵を描いたあと、大部分を弟子に任せていたともされ、表現にいくつか違いがあります。
大きく違うのは、ユダを除く人物の頭上に光輪が描かれていること、そしてユダの足元にネコが描かれていること。
ネコはここでは「裏切り」を意味します。
この作品が見られるのはこちら。
サン・マルコ美術館【フィレンツェ】アンドレア・デル・サルト(1527年頃)
この作者、アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto / 1486-1530)は、ヴァザーリ先生から「間違いを犯さない芸術家」と評されるほど、画力に定評のある画家。16世紀前半に活躍し、その弟子には師匠とはうって変ってアバンギャルドな画風で知られるポントルモやロッソ・フィオレンティーノがいます。
この作品が見られるのは、市内中心部から少し外れた、サン・サルヴィ修道院の食堂。実はここには、レオナルド・ダ・ヴィンチと師匠ヴェロッキオの共作、「キリストの洗礼」がありました。
この作品が見られるのはこちら。
背景こそが面白い。ヴェロッキオ「キリストの洗礼」見どころを徹底解説!
ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」よりも後に描かれたもので、レオナルドが改革したようにユダも孤立せず一列に描かれています。
作者アンドレア・デル・サルトは絵の手前のアーチ部分と「最後の晩餐」部分、二つの期間に分けて製作しています。「最後の晩餐」部分は1526年~27年にかけて製作された、彼の最も脂ののった頃の作品。
ルネサンス最初のアンドレア・デル・カスターニョの作品と同じように、アーチの向こうにしつらえられた舞台で演じられている劇のような印象を受けます。
これは上半分に描かれたバルコニーでお喋りしている召使たちの効果でもありそうですね!
人物全体が生き生きとした身振りで、召使たちの「おい、ちょっとヤバい話してるぜ!」というセリフが聞こえてきそうです。
全体にこの作品に躍動感を感じるのは、時代の流行でもあります。
他の作品と比べて、これだけがミケランジェロやレオナルドが登場したあとのもの。明暗のはっきりしたニュアンスのある色使いはミケランジェロに始まる「マニエリスム」の特徴のひとつです。
この作品が見られるのはこちら。
アンドレア・デル・サルトの「最後の晩餐」(サン・サルヴィ修道院食堂)
「最後の晩餐」鑑賞の楽しみ方
色々な芸術家が、独自のインスピレーションに基づいて表現している「最後の晩餐」。構図や人物の表現などが様々で、見比べてみるのも楽しいです。
やはりどれがどの人物を表しているのかがわかると一層面白いですよね。
レオナルドの作品でいうと…
こんな感じで、絵の中心部分に主要人物が集まっています。
一般的に、見分けやすいのは次の4名です。
①イエス
②ユダ
③ヨハネ
④ピエトロ(=ペテロ)
順に見分け方ポイントを見てみましょう!
①イエス
たぶん、これは迷いなくわかると思います。たいてい、一人別格で描かれていますので、見分けやすいでしょう。
基本的に絵の中心に描かれます。
服の色は赤に青いマントのことが多いです。
②ユダ
イエスの次にわかりやすく描かれます。いくつかのパターンがあります。
- ひとりだけテーブルの反対側に座っている
- イエスにパンを渡されている
- 手に小銭入れ、またはそれらしき小さな袋を握りしめていたり、腰のあたりにつけていたりする
このいずれかの特徴にあてはまる場合、ユダを表しています。
その他にも、ちょっと暗めの(影のある)顔立ちで描かれることも多いですね。また、他の人物が全員、頭上に光輪がついているのに一人だけなかったりすることも。
③ヨハネ
このヨハネは、新約聖書の書き手(福音書記者)のひとり、聖ヨハネです。
最初にもご紹介した通り、その福音書では「イエスの愛しておられた者」という表現が使われ、またイエスの胸によりかかっていた、という表現があることから、
- イエスのすぐ隣にいる
- テーブルに伏せたりイエスに寄りかかったりして眠っている
などの特徴があります。
また、比較的若い青年の姿で描かれることが多いです。
④ピエトロ(ペテロ)
ピエトロはイエスの一番弟子で、「天国の鍵」を預けられたとされる人物。イエスの死後、教会を作った人物で、それがカトリックの総本山、バチカン市国にある聖ピエトロ寺院。ピエトロ本人はそこに葬られたとされています。
ヨハネとは逆に、年老いた姿で描かれることが多く、一番弟子だっただけにイエスに「弟子の中に裏切ろうとしているものがいる」と聞かされ、怒りに震えてナイフを握りしめる姿で描かれることも。
ピエトロもイエスの隣またはかなり近くに描かれ、服の色は青に黄色のマントという組み合わせが一般的。
絵の人物を見てみる他にも、作者によってテーブルの上の食事が途中だったり、終わってすべて空になっていたり、ギルランダイオのように意味のあるシンボルをたくさん描き込んでたり…と、個性様々な「最後の晩餐」。
宗教画で大人数で食事をしている場面があったら、それはきっと「最後の晩餐」。描かれたヒントを頼りに、楽しんでみてください!
ちなみに食事の場面が描かれるものにはもう一つ、「エマオの晩餐」というものもあります。
復活後のイエスとそうと知らずに出会った二人の弟子が一緒に食事をする場面で、パンをちぎる仕草を見てそれがイエスであることに気づく、というエピソード。
こちらは食卓につく人数が3人、と少なくなっているのでそれで見分けがつくことが多いわよ~