このブロンズ像、不思議な美少年だね…!裸に帽子とブーツって斬新…
こちらは旧約聖書に登場する、ダヴィデくん。少年だった彼は敵の巨人を倒した小さな英雄なんです。
『ダヴィデとゴリアテ』あらすじを解説!勇敢な少年は巨人を倒し、英雄となった。「ダヴィデ」といえばミケランジェロの作品だと思ってたけど…
そうなんです!実は人気のモチーフなので、一番有名なのはたぶんミケランジェロ作品ですが、ほかにもたくさんの作品が存在するんですよ。
彫刻だけじゃなくて、絵画でも表現されたりしています。
このドナテッロのブロンズ作品はダヴィデモチーフの中でも最も有名なもののひとつ。芸術家として成熟した50代(※)のドナテッロが手がけた、もう一人のダヴィデくんの魅力に迫りましょう!
※諸説あり
ちなみにイタリアには『ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞』という、アカデミー賞みたいなイタリア映画における最高の名誉とされる賞があります。この受賞者に渡されるのが今回ご紹介するブロンズの『ダヴィデ』像。だから、イタリア人にはよくなじみのある作品なんですよ!
目次
ドナテッロ作『ダヴィデ』プロフィール
高さ | 158cm |
制作 | 1440年頃 |
修復 | 2008年 |
素材 | ブロンズ |
所蔵 | バルジェッロ国立博物館 |
自然でリアルなブロンズ像
158cmって私と同じくらい、なんか親近感!!
そうなんです。実はこのダヴィデ像、大きさと言い、体つきや姿勢などの表現と言い、とてもリアルで自然に近いもの。これこそ、初期ルネサンスを象徴する作品といわれる所以です。
おぉ、『ルネサンス』…!昔、歴史の教科書に出てきた…!
ルネサンス(伊:rinascimento)は、フランス語の「再生」「復活」を意味する言葉で、古代ギリシアやローマの文化を復興しようとする運動のこと。14世紀のイタリアで起こって、特に15世紀のフィレンツェではこの動きが盛んだったのよ
おおよそ15世紀の前半を『初期ルネサンス』と言い、中心人物はブルネレスキ、ドナテッロ、マザッチョなど。それぞれ、建築、彫刻、絵画分野において活躍しました。
これに対し、後半の三巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらが活躍した時代を『盛期ルネサンス』と言います。
このドナテッロのダヴィデ像は大きさや表現がリアルであるというだけでなく、実は古代ローマの時代以降に作られたもので初めての全方位が表現された(※)裸体像なのよ
※背景・建築物などが付いておらず、レリーフ(浮彫)などでもない
テーマは『ダヴィデ』?『マーキュリー』?
このブロンズ像、テーマは一般的に『ダヴィデ』であると解釈されていますが、一方で『マーキュリー(※)』であるという意見もあります。
※ローマ神話のマーキュリー(伊:Mercurio)、ギリシア神話のヘルメスと同一視される
聖書に登場する少年『ダヴィデ』であれば、敵の大将ゴリアテを投石器ひとつで倒しその剣を取り上げて首をはねた後の勝利の図、という解釈になります。
右手に剣、左手に武器である石、そして足元にゴリアテの首…ということですね。
ただ、このブロンズ像は、『ダヴィデ』にしては…
- つばの広い旅行用の帽子「ぺタソス」を頭にかぶっている
- 左手の中に石を持っているが、投石器のもう一方の部品であるたすき状の布がない
- 裸でブーツをはいている
ところが変!聖書と違う!!という訳ですね。
このような特徴から、マーキュリー説を推す学者は、足元の首はゴリアテのものではなく、アルゴスという巨人のものである、と主張しているそうです。
ギリシャ神話の登場人物。アルゴスは100の目を持つ巨人で、その目は交替で眠る。つまり常に必ず開いている目があるので、アルゴス自身は常に起きているため退治することが難しい。恋人を救いたいゼウスがヘルメスに取り戻すよう命じたところ、彼は葦笛を吹いてアルゴスのすべての目を眠らせ、その間に首をはねて退治した。
※アルゴスの目の数や退治方法には他の説もあり
でも、このどちらとも解釈できる表現にしたのには訳があって、当時の政治的背景からダヴィデの像はまずい…と考えたメディチ家またはドナテッロが、あえてどちらにも取れるような表現にしたという説もあるのよ
ふ~ん…ダヴィデだと何かまずいことがあるの??
ダヴィデは英雄の象徴だから、それを一個人が所有するということは「我々こそが国の英雄である」と主張していると解釈されてしまう可能性があるの。当時のフィレンツェは共和制で、メディチ家は裕福で有力な一家ではあったものの、同じくらい力を持った競合他家と常に争っていたから、「言いがかり」をつける隙を与えることはとても危険なことだったの
あぁ、なるほど!!緊張感あふれる政治の駆け引きがあったんだね…!
注文主はメディチ家(?)
さて、先ほど、メディチ家の政敵との関わりを考えて『ダヴィデ』にも『マーキュリー』にも解釈できるように工夫した…という話があったのですが、実のところ注文したのはメディチ家なのかどうか、はっきりとはわかりません。
でも、記録を見ると、ほぼ恐らくメディチ家のオーダーと考えて差し支えないと思われるのよ~
この像が初めて記録に登場するのは1469年のこと、メディチ家当主ピエロの長男ロレンツォ(イル・マニフィコ/豪華王)の結婚式の際、メディチ宮殿(現メディチ・リッカルディ宮殿)の中庭に置かれていたというもので、この時は、現在のものとは違う円柱状の台座に展示されていたようです。
といっても、おそらく元々はそこに置かれるために制作されたものではなく、この前にメディチ家が暮らしていた古いメディチ宮殿(現メディチ・リッカルディ宮殿の少し北にあった)のために制作されたと考えられているの
ドナテッロの生きていた時代から言って、制作されたのはこの結婚式よりも前の年代であり、注文主は恐らく当時の当主のコジモ・イル・ヴェッキオ(老コジモ=ロレンツォ・イル・マニフィコの祖父)の可能性が大。
その後、ロレンツォの死去に伴いメディチ家が失策を重ね、フィレンツェでの立場が危うくなりついに追放されてしまいます。1495年、メディチ家が追放された後の宮殿からこのブロンズ像が回収され、共和国市庁舎(現ヴェッキオ宮殿)の中庭に移されました。
正確な注文日がわからず、したがって注文主もはっきりとはしないけど、最初に記録に登場してきたところから見て、きっとメディチ家のオーダーだと考えられているの
ちなみにこの時代(15世紀)の記録では『ダヴィデ像』と記述されているし、私はやっぱりダヴィデだと思うわ~
この作品の制作年については現在でも議論が続いていて、作者が成熟した芸術家の域に入った1440年(54歳)頃のものとする説が有力ですが、もっと若い頃の作品であるという説を主張する学者もいます。
というより、以前は1430年~32年(ドナテッロ44歳~46歳ごろ)の作品という研究者が主流でしたが、最近になってそのスタイルの特徴からもっと後のものでは、と考えられるようになったのです。
ドナテッロはフィレンツェを中心にイタリアのあちこちの都市(ローマ、パドヴァ、シエナなど)で活動した芸術家ですが、この作品の作風などから1443年のパドヴァへの出発の少し前、またはパドヴァ滞在中の作品であるとされています。
そしてさらに後、1460年頃のものであるとする意見まで…!正確な記録がない以上、他の資料や作品との関連から推測するしかないのですが、色々なアイデアが出てきて感心するばかりですね
ドナテッロ作『ダヴィデ』素晴らしい鑑賞ポイント3つ!
歴代の芸術家について貴重な記録『芸術家列伝』を作成したヴァザーリも、このブロンズ像のことを大絶賛!
ダヴィデはまるで生きているかのような裸体で表現され、ゴリアテの頭を少し持ち上げた足の下に敷き、それの上でポーズをとり、右手には剣を持っている。その姿は非常に生き生きとした自然な様子で、人の手で作られた造形物ではなく生きている人間の上に(ブロンズをかぶせて)作ったのではないかと感じさせられるほどの柔らかさがある
ヴァザーリ先生も大絶賛のダヴィデ像、早速実物をまじまじと観察してみましょう!
ぜひ見ていただきたいポイントは…
- 360℃隙なし!優雅な曲線を描く立ち姿
- 古代ローマ皇帝に愛されたアンティノウスのような美少年ぶり
- 丁寧に表現された身体や装飾の細部
360℃隙なし!優雅な曲線を描く立ち姿
先ほど出てきたように、このブロンズ像は古代ローマ時代以降に初めて登場した全方位から鑑賞できる裸体像です。
正面からはもちろん、サイドや後方からもしっかり鑑賞してみましょう。
第一印象としては、まだ男性の体つきが出来上がる前の思春期の「少年」らしい柔らかい身体つきの表現。成人男性のがっしりした直線や、女性の丸いカーブを描く線とは異なり、全体的な曲線がゆるやかなカーブで描かれ、とても優美です。
しかも、彼の姿勢は右足を花輪の上に置き、左足はわずかに持ち上げて敵の頭の上に置くという非常に不安定な状態。敵の頭は重そうなヘルメットをつけ(大きな羽飾りもついています)、長くたっぷりとした髭も生やしていて、彼の優美な印象と対照的です。
さらに右手は剣を携え、左手は腰にあてて中には武器の石を握っています。ヴァザーリが絶賛するように、今にも動きだすのではないかと感じられるような躍動感がありますね。
実はこのポーズこそがバランスを絶妙に左右に分配するための完璧な重心配置なのよ~左手を腰に当ててないと想像してみて?もしもだらっと下におろしていたら、カッコ悪いし、重心がもっと右に寄ってしまうので自立できなくなるでしょうね
このように正面からだとバランスをとって自立している印象もありますが、サイドから見てみると、よりこの姿勢で立っていることがすごい!と思えます。
さらにゆっくりと後ろにまわってみると、筋肉のつきすぎていない手脚やお尻など、これまた柔らかく、しかし丸過ぎない美しい曲線が続きます。
全方位それぞれの印象が異なるので、ぜひ何周かしてじっくり鑑賞してみましょう!
古代ローマ皇帝に愛されたアンティノウスのような美少年ぶり
さて、作品全体の優雅さを堪能したあとは、顔に注目してみましょう。
口元にはうっすらと微笑を浮かべ、ゆるやかにカールした肩にかかる髪も柔らかそうです。
目はややタレ目気味?きちんと眼球の表現もしてあるので、表情もありますね。
首はやや短く感じますが、この角度で鑑賞者を見下ろすことを意図して作られたのだとしたら、納得のサイズ感かも。
真下から顔を見上げてみると、強いまなざしに出会います。敵を倒したばかりの達成感と誇りのこもった視線なのでしょうか。
一見、華奢なようでいて見る人をしっかりと捉えるその存在感は、古代ローマ皇帝ハドリアヌスに愛された美少年アンティノウスに例えられることも多いのよ
アンティノウス(Antinous、古代ギリシア語: Ἀντίνοoς、111年11月29日頃 – 130年10月30日)は、ローマ皇帝ハドリアヌスの愛人として寵愛を受けた男性。死亡したのは18歳位と推定され、ナイル川で溺死したことは分かっているものの、その状況については謎に包まれている。ハドリアヌスにより神格化されたことから多数の芸術作品に表現され、彼の顔は古代でよく知られていた。
-wikipedia「アンティノウス」より
丁寧に表現された身体や装飾の細部
続いて、顔以外の部分もしっかり見てみましょう。
特に、ダヴィデくんの足元、ブーツや花輪、ゴリアテの首などは実に細かく表現してあります。
かつてはこういった装飾部分を中心に、金箔が貼られていたようです。
現在は、ゴリアテの兜の一部、髭、ダヴィデくんのブーツや髪の一部にその跡がかすかに見えます。
ダヴィデくんの足元、ちゃんと爪だってあります。討ち取られたゴリアテの髭がダヴィデくんの足にふわりと乗っています。
上のほうで見えにくいですが、ダヴィデくん自身の髪の毛も柔らかなカーブがかかっていますね。
ゴリアテの兜の先には大きな羽飾り、これもダヴィデくんの右足に寄りかかって途中でカーブが変わっていたり。とても硬い金属であるブロンズだとは感じられません。
その見事な羽飾りやブーツの装飾、花輪の表現も、本当に細やかで全く手抜きなし!
実はブロンズというのはとても高度な技術が必要とされる作品なので、これだけリアルに生き生きとした様子を表現するということは本当にすごいことなのです…!
あのミケランジェロ大好きヴァザーリが、肩を並べるレベルで絶賛しているドナテッロ、納得です。
ドナテッロ作『ダヴィデ』に会いに行こう!
この作品が所蔵されているのはこちら。
バルジェッロ国立博物館
こちらの美術館は、見た目の地味さに反して中は名作ぞろい。ドナテッロだけでも5作品以上を所蔵し、その他ミケランジェロ、ジャンボローニャ、ルカ・デッラ・ロッビア(他デッラ・ロッビア家)などなど、見逃せない作品がたくさん!
このドナテッロ作品にインスピレーションを受けて制作されたと考えられるヴェロッキオのダヴィデくんもすぐそばにあります。
アカデミア美術館のミケランジェロのダヴィデ像と併せて、ダヴィデくんめぐりをしてみるのも楽しいですね。