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ダンテの『神曲』の世界へようこそ!作者ダンテ・アリギエーリとあらすじをわかりやすく解説。

『神曲』をフィレンツェに示すダンテ ドメニコ・ディ・ミケリーノ, 1465 サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂, フィレンツェ

ダンテ・アリギエーリ作の『神曲しんきょく』という作品、耳にしたことがあるでしょうか?

 

旅好きナナミちゃん

昔むかーし、世界史の教科書で
「ダンテが『神曲』を著した」
って一文を見たけど…でも、それだけ。。
ダンテが誰なのか、『神曲』はどんなものなのか、は全然わかんない…

 

そう、それが普通かもしれません。中には、『神曲』って(音楽の)曲だと思ってた!っていう人も。

 

ということで、今回は西洋美術を鑑賞する上で欠かせない知識、ダンテの『神曲』について解説します!

『神曲』とは

そもそも『神曲』という作品、音楽的楽曲ではなく、です。

 

『神曲』の構成

全体の構成としては『地獄篇』『煉獄れんごく篇』『天国篇』という3つのパートから成り、それぞれが三行韻詩(または三韻句法<テルツァ・リーマ>)かつ33歌(『地獄編』のみイントロダクションを加えて34歌)という「3」にこだわった作品。これは、キリスト教の教義の「三位一体」という考え方に基づいているとされています。

 

三位一体さんみいったいとは、キリスト教において

  1. 父(=父なる神・父神)
  2. 子(=神の子・子なるキリスト)
  3. 霊(=聖霊・聖神)
の三つが「一体(=唯一神・唯一の神)」であるとする教え。

(Wikipedia「三位一体」)

三韻句法<テルツァ・リーマ> とは
三行を一連とし、前連の真ん中の文の韻を次連の冒頭と最後で繰り返す形式のこと

 

ガイド学校の先生カテリーナ

ちなみにこのテルツァ・リーマ(三行韻詩)を初めて使ったのはダンテとされているのよ

 

実際にダンテの書いた文章を見てみましょう。

Nel mezzo del cammin di nostra vita
mi ritrovai per una selva oscura
ché la diritta via era smarrita.

Ahi quanto a dir qual era è cosa dura
esta selva selvaggia e aspra e forte
che nel pensier rinova la paura!

Tant’è amara che poco è più morte;
ma per trattar del ben ch’i’ vi trovai,
dirò de l’altre cose ch’i’ v’ho scorte.

Io non so ben ridir com’i’ v’intrai,
tant’era pien di sonno a quel punto
che la verace via abbandonai.



(以下同様に続く)
『地獄篇』第一歌 ダンテ・アリギエーリ

ガイド学校の先生カテリーナ

こんな風に、押韻が一つの連ごとにaba, bcb, cdc, ded, efe, …と続いて行って、最終行のみ一行なのでxyx, yzy, zと終わるようになっているの
MEMO
33歌それぞれは3n+1行で構成されています。

 

総数14233行ある壮大な詩で、これをずっと繰り返し構築された作品、というところでダンテのすごさがわかります…

 

しかもそれぞれの詩の内容が独立しているわけでなく、その前に出てきた内容を踏まえたものであったり、逆に後に出てくる内容を予見するような伏線がはってあったり…ダンテは広く深く練り上げられた構想に基づいて書き上げたのだと読み進めるにつれて驚かされます。

 

『神曲』のストーリー

ダンテは、この物語を自分自身の物語として一人称で語っています。

 

最初にダンテが降りたつ世界は、地獄。そこから煉獄を経て天国へ、とダンテが旅をするお話(ダンテの死後を描いたものではなく、ダンテは生きながらにしてその世界を体験することができた、という設定)。旅の途中では歴史上・神話上の人物や聖書に登場する人物がたくさん登場し、それぞれ自分の生前の生活や思想を語り、それぞれとダンテ、そしてその同伴者が対話していくというストーリー。

 

ダンテは『神曲』を文学作品として詩という体裁をとって著したので、文体自体がリズムよく非常に生き生きとしていてさながら冒険小説かゲームのように次はどんな場面なのか、ドキドキワクワクさせられる作品。実際、読み進めると、新たな場面ではそれまでと違ったキャラクター(人物)が現れて、ダンテに襲い掛からんばかりになったり、かまってちゃん発言をしたり…と、よくこれだけ描き分けたな、という印象を受けるくらい(ダンテが古今東西に通じる広く深い知識を持っていたという証明に他なりません)。

 

そして発表以来、この作品を基にたくさんの芸術家が作品を作った(というか基礎教養としてこの世界観がベースにあった)ので、中世以降の西洋美術を鑑賞する上では欠かせない存在となっています。

 

フィレンツェ人のポールくん

イタリアの学校では中学くらいから3年かけて『神曲』を勉強しまーす!それくらい大切で、難しいということでーす
※地域・学校によって差はあると思います。

 

『神曲』というタイトル

原文のタイトルは「Divina Commediaディヴィーナ・コンメディア」、「神聖喜劇」と訳されます。

 

ダンテ本人が作品につけた名前は単なる「Commediaコンメディア」、これは「コメディ」いわゆる「喜劇」ですが、現代の私たちがイメージするそれではなく、当時の文学作品はハッピーエンド(喜劇)かアンハッピーエンド(悲劇)の二択でした。この作品は最後が天国を見るダンテのお話で、終わりがアンハッピーエンドではない、ということで喜劇となったのです。

 

Divinaディヴィーナ(=神聖)」を足したのはボッカッチョ

 

ちなみに、日本語のタイトル『神曲しんきょく』と訳したのは森鴎外が最初と言われています。

 

『神曲』のあらすじ

あらすじ~地獄篇~

ボッティチェリの描いた「地獄」

ボッティチェリの描いた「地獄」

 

地獄」は、イタリア語で「infernoインフェルノ」といいます。

 

そう、あのダン・ブラウンの作品、ダ・ヴィンチ・コードシリーズの4作目、2016年公開の映画『インフェルノ』の名前はここからとられています!

 

コアなファンには書籍も人気。

 

ちなみにこちらがダンテの著したオリジナルインフェルノの日本語訳。口語調で訳されていてとても読みやすいです。

 

文字通り、死後の世界観のうち「地獄」を描いたもので、大きく9つのエリアに分けられた世界、そこには生前に犯した罪によって様々な歴史上の人物や神話上の人物、時には(ダンテの時代に)最近亡くなった人でさえも描かれています。

 

物語の最初は35歳のダンテが暗い森の中で目を覚ます場面から始まり、師と仰ぐ古代の詩人ウェルギリウスに出会いその道案内に従って段階別に地獄を見学していきます。

 

ダンテは好奇心旺盛ながら、一応生きている人なので次々に現れる故人や起こることにドキドキし(時にビビり)ながら、ウェルギリウスとともに旅を続けます。

 
地獄では生前の罪に応じ受ける罰が決まっています

 

例えば、生前愛欲の罪に溺れた人の魂はひたすら風に吹かれて漂っていたり、お金を貯め込み過ぎたり使い過ぎたりした人は同じ道を行きつ戻りつして永遠に衝突しあっていたり、自殺者はねじ曲がった樹の姿にされていたり…、それぞれに永遠に解放されることのない罰を受け続けている様子が描かれています。
 

これらの世界は一番最初が最も広い円でそこから道を降りるごとにだんだん狭い円へと移り変わっていきます。全体の形としては漏斗のように、上が広く下に行くほど狭く、階段状に全部で9つの圏谷たにが形成されています。

 

一番下には最も罪の重い、裏切り行為を働いた者たちの輪があり、その中心にいるのが恐ろしい悪魔大王ルシフェル

 

ガイド学校の先生カテリーナ

ルシフェルは「堕天使」、大昔は神に仕える最も崇高な天使だったけど、神に反逆したことで地上に落とされたのよ~ルシフェルが地上に落とされた衝撃で開いた大穴が「地獄」の世界、そしてその衝撃で反対側に持ち上がってできたのが次に出てくる「煉獄」というわけね

 

地獄の底を抜けた二人は、地球の中心を通って絶壁を必死に上って大地の表面を目指します。

 

ようやくそれを抜けきって星の輝く空が目に入ったとき、そこにあったのが「煉獄」。

 

あらすじ~煉獄篇~

ドメニコ・ディ・ミケリーノによる「煉獄」イメージ図

ドメニコ・ディ・ミケリーノによる「煉獄」イメージ図

 

煉獄れんごく」は、イタリア語で「purgatorioプルガトリオ」といいます。

 

聞きなれない言葉ですが、天国に行けないけど地獄に行くほどでもない人(つまり一般人の大半)が行く中間的な世界で、様々な苦しみや罰を受けて生前の罪を清めることによって天国に入る権利を得られる世界を指します。

 

聖人と呼ばれる人でもない限り、普通の人はいくら神を信じているといっても全く完全に神に沿って生きているとはいえず(軽い)罪を犯すことだってある。だから、それを清めてから神の下へ行くことができる、という世界のイメージなんですね。

 

なお、この考え方はカトリックの教義なので、プロテスタントなど他の教派ではこの存在は基本的に認められていません。

 

 

煉獄では、地獄と逆に下から順に山を登っていく描写がされます。

 

この場所にいるのは死の前に改悛して神に祈ったり、生前の行いが善かったため救われた魂たち。とはいえ、不完全な魂なので険しい山に巡らされた道を登りながら、罪を清めていかなければなりません。彼らの家族や知人が、現世でその魂への祈りを捧げてくれるとその分早く頂上に行きつけるというシステムにもなっています。

 

旅好きナナミちゃん

確かに、生前いい人だったら、祈ってくれる人の数も増えるよね~徳は積んでおくもんなんだなぁ~

 

そういうわけで道中出会う様々な人物の魂から、家族や友人たちへの「自分のために祈りを捧げてほしい」伝言を聞き、しかもそれを現世に帰ったらきちんと伝えると約束しながら進んでいくので、進むスピードはゆっくりに…

 

途中、天使が現れダンテの額に7つの「P(=peccato/罪)」を刻みます。この7つのPは七つの大罪、「高慢」「嫉妬」「怒り」「怠惰」「貪欲」「大食」「色欲」を表していて、煉獄にいる魂は山道を登りながらこれらの罪を順に清められていきます。

 

ダンテも進むにつれて額のPの字が少しずつ天使によって消されていき、一つ消されるごとに体が軽くなっていきます。

 

そして最後に頂上の「地上の楽園」でベアトリーチェと出会い、ここで案内役はウェルギリウスからベアトリーチェに交代。

 

彼女から将来の出来事への不思議な予言を聞いて、天国篇へと続きます。

 

あらすじ~天国篇~

ミケランジェロ・カエターニによる「天国」イメージ図

ミケランジェロ・カエターニによる「天国」イメージ図

 

天国」はイタリア語で「paradisoパラディーゾ」、天国篇はダンテ自ら読者に対して「難しい」と第二歌冒頭で述べています。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

かなり神学的な内容なので観念的な記述が多く、かつ天文学、物理学等の内容に通じていなければなかなか理解が追い付かない面があるわ

 

また、今までの「地獄篇」「煉獄編」が情景描写や登場人物の身の上話など、いかにも具体的なイメージしやすい場面が多くかつ会話スタイルが多く登場するのに対し、この「天国篇」では案内役であるベアトリーチェがダンテの疑問にひたすら説明・講義を行うという時間が長いのも特徴です。ベアトリーチェに限らず、登場する人物の語るセリフがとても長く、中には一つの歌そのものが一人のセリフで終わってしまうものもあるほど。

 

 

天国は「月光天」「水星天」「金星天」「太陽天」「火星天」「木星天」「土星天」「恒星天」「原動天」「至高天(エンピレオ)」の10の天界からなっていて、それを順にベアトリーチェに連れられ、智恵ある魂やキリスト教のために戦った戦士たちの魂、聖人たちに出会っていきます。

 

後半では聖人たちによる神学の口述諮問も。次々とクリアしたダンテは至高天で天使の群れと祝福された人たちがバラの花のように輪になって段状に座っている場面へと至ります。ベアトリーチェはいつの間にかその中の自分の席へ戻り、永遠の光を冠していました。


 

ダンテはベアトリーチェへ、その助力と苦労に対して最大限の謝辞と今後の加護を願う言葉を送ります。

 

そこから先は聖ベルナールが案内役に代わり、ついにダンテは神の姿を一瞬、垣間見ます。その姿の表現は、「言葉にすることができず、また記憶にとどめることもできない」姿。まるで夢を見た人のように強い感動だけは心に残っているもののその具体的な内容は思い出すことができないような状態だと。でも、その姿こそ思い出せないもののその時に得た甘美な気持ちだけは心に強く刻まれている、と表現しています。

 

最終行は「l’amor che move il sole e l’altre stelle.」つまり「(神は)太陽やその他の星を動かす愛である」と結ばれています。

 

天国篇は「眩しくて目を開けていられない」と冗談にされることもあるのですが(ダンテ自身もあまりの眩しさに視力を失ったのではと心配する場面が出てくるほど)、確かに全編を通じて、強く光輝くものや白いものの描写が多く、頭の中に浮かぶイメージは清らかで高尚なものが多いのが特徴的です。

 

作者ダンテ・アリギエーリ

1265
フィレンツェに生まれる
1283(18歳)
ベアトリーチェとの出会い(再会)
1289(24歳)
モンタペルティの戦いに参戦
1295(30歳)
政治の世界へ
1302(37歳)
フィレンツェから亡命
1304~1321※諸説あり
『神曲』を著す
1321(56歳)
ラヴェンナにて死去

フィレンツェ時代

ダンテが生きた時代のイタリア各都市は、教皇派(グエルフィ)皇帝派(ギベッリーニ)という2つの党派に分かれ、激しい争いを繰り返していました。また、同じフィレンツェという町の中でも、教皇派を支持する家と皇帝派を支持する家、それぞれが存在し、時期により実権を握る勢力が入れ替わる、政情の安定しない日々でした。

 

1265年、フィレンツェに生まれる

ダンテは裕福ではなかったものの、一応貴族階級であり教皇派(グエルフィ)に属する父のもと、1265年フィレンツェに生まれます。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

正確な生年月日は不詳だけど、自著や残された様々な記録から1265年と推測されているのよ

 

実母は10歳頃に亡くし、その後再婚した父と継母と一緒に暮らしたとされています。

 

12歳の時、教皇派の政治家を父に持つジェンマ・ドナーティと婚約し、20歳のとき結婚。後に3人か4人の子どもをもうけます。

 

ダンテの受けた初等教育と友人

恩師ブルネット・ラティーニ

もっとも影響を受けた師は作家・詩人で政治家でもあったブルネット・ラティーニ(Brunetto Latini / 1220頃-1294頃)。彼は『神曲』(地獄篇)に登場、その生前の行い(男色)から地獄に配しているものの、ダンテは尊敬の念を示しています。
 

詩人グイド・カヴァルカンティ

18歳頃、仲良くしていたのはグイド・カヴァルカンティ(Guido Cavalcanti / 1258-1300)という詩人で、ダンテの詩作に多大な影響を与えた人物。この人の存在も『神曲』に登場します。晩年はダンテと仲違いしていました。

 

永遠の淑女、ベアトリーチェとの出会い

9歳で初めての出会い

ダンテ9歳のとき、家の近くの教会で「永遠の淑女」ベアトリーチェと初めて出会います。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

ベアトリーチェはダンテと同い年か、一つ下くらいの年齢と後にダンテ自身が語っているわ
 

18歳のとき、再会

そして月は流れ9年後、サンタ・トリニタ橋のふもとでベアトリーチェに再会したダンテ、この時一目惚れならぬ二目惚れ?全身に走る衝撃を覚え、それからというものベアトリーチェのことで頭がいっぱいになるという生活になります。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

既にジェンマという許嫁がいたのに…!

 

サンタ・トリニタ橋のふもとで再会するダンテとベアトリーチェ

サンタ・トリニタ橋のふもとで再会するダンテとベアトリーチェ

 

しかしこの二度目の出会いの際、二人は特に言葉を交わしたわけではなく、ベアトリーチェが軽く挨拶をした程度。

 

そしてその後、そんなにも思いつめたダンテの恋は報われることなく、二人はそれぞれ別の人と結婚し、人生を終えることに。

 

ちなみにベアトリーチェは24歳ぐらいというとても若い時に亡くなってしまい、それを知ったダンテは発狂せんばかりに取り乱してしまいます。そしてボエティウスやキケロなどの哲学の研究に没頭し、その集大成として1292年頃(27歳頃)『新生』という詩集をまとめました。これはベアトリーチェを賛美する内容になっています。

 

(しかし20歳のとき、ダンテは既にジェンマと結婚していました…)

 

旅好きナナミちゃん

他人への深い愛をそんな全世界に発表されたら、奥さんの立場って…

 

このベアトリーチェという女性は、『神曲』「天国篇」において、ダンテの案内役を務める存在として登場します。

 

政治家としてのダンテ

さて、前述のようにダンテの時代は教皇派と皇帝派の接戦が続いていました。
 

ダンテは教皇派の一員として、1289年(24歳)、「カンパルディーノの戦い」に参戦します。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

この戦いはこの時勢力を強めていた教皇派が率いるフィレンツェと、皇帝派が率いるアレッツォとの間の戦いよ

 

結果、接戦ながらも教皇派フィレンツェが勝利したものの、フィレンツェの教皇派はさらに二つの党派、富裕市民層を中心とする「白党封建貴族を中心とする「黒党に分かれます。

 

まずはダンテの家が属する「白党」が勝利し、フィレンツェの政治の実権を握ることになりました。

 

1295年、「医師および薬剤師組合」に登録し、参政権を得たダンテは政治の世界へ飛び込みました。

 

しかし1301年、時のローマ教皇ボニファテイウス8世に会うためにローマに赴いていたダンテが不在の間に「黒党」は勢力を巻き返し、ダンテは最終的に追放処分を受けます。そしてその後、故郷フィレンツェに帰る夢がかなうことはありませんでした。

 

亡命後

フィレンツェを追放されたダンテはまずはフォルリに、続いてヴェローナへ行きます。

 

各地を転々としながら、いくつかの著作、『俗語論』『帝政論』そして『神曲』を発表していきます。

 

その後ヴェネツィア大使を経てラヴェンナへ。

 

1321年、ラヴェンナで死去

1321年、56歳でついに故郷フィレンツェの土を再び踏むことなく、ラヴェンナで永眠しました。

 

ダンテのお墓はいまもラヴェンナのサン・フランチェスコ聖堂にあります。

 

 

ちなみにミケランジェロやガリレオなど、たくさんの偉人のお墓があるフィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂には、ダンテ・アリギエーリに捧げられたモニュメントもあります。

 

でも、ダンテは前述のようにラヴェンナで亡くなり、その地に埋葬されました。だから今でもそこに眠っていて、サンタ・クローチェ教会のモニュメントは空なんです。

サンタ・クローチェ聖堂 フィレンツェサンタ・クローチェ聖堂

『神曲』はなぜ大事なのか

みんながわかる言葉で

ダンテが生きた13世紀~14世紀頃は、書物は知識人の共通語であるラテン語で書かれるのが一般的でした。

 

そういった書物は比較的裕福な、社会的地位が高い人のみが読めるもの。一般人の大半には全く関係のないものでした。

 

でも、ダンテはこの『神曲』という作品を、当時実際に話されていたトスカーナ方言を使って書いたのです。

 

フィレンツェ人のポールくん

「トスカーナ」というのは、フィレンツェを含むイタリア中部エリアの名前でーす

 

そしてその言葉は、現在イタリアで一般的に使われている標準イタリア語のもとになったものとされており、だから現代のイタリア人たちはダンテの書いた原文をそのまま読んで意味を理解することができるのです!

 

ダンテがこの作品を書いたのは、日本でいうと大体、吉田兼好の『徒然草』ぐらいの時代。

 

旅好きナナミちゃん

うーん原文をすらすら読める自信は、ちょっと…

 

フィレンツェ人のポールくん

そういうわけで、ダンテは「イタリア語の父」と言われまーす

 

具体化された世界観

ダンテが描いた、特に「地獄」の具体的で細やかな描写は、人々に大きな衝撃を与えました。

 

それまでは聖書に登場する死後の世界について、なんとなーく理解していた…という感じだったのが、この人は生前こうだったからこうなって、とても悪いことをした人はこんな酷い目に遭わされて…と具体的に目の前につきつけられたのです。

 

さらに『神曲』は、神とそれに関する聖書の話だけを語っているのではありません。

 

神や聖人以外に、前述のようにアリストテレスウェルギリウスのような古代の詩人・哲学者、実在のローマ教皇貴族市民、そしてギリシャ神話やローマ神話に登場する神々や怪物、さらには天文学の知識まで登場します。

 

こういった幅広く深い知識に基づいて綿密に組み立てられた作品だから、よりたくさんの人の感性に訴えかけることができたのでしょう。

 

多大な影響力

ダンテの描いた世界観は、当代、そして後世の芸術家たちにも多数の影響を及ぼしました。

 

ボッカッチョ(Giovanni Boccaccio / 1313-1375)はダンテを崇拝し『神曲』の注釈書を書いたり講義をしたりしました。

 

ミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の正面壁画「最後の審判」を描くにあたってダンテの『地獄篇』そのものを表しています。

 

「最後の審判」 1536-1541, ミケランジェロ・ブォナローティ システィーナ礼拝堂, ヴァチカン美術館

カロンは鬼のようなもえさかる目つきで
 みなを睨んで舟の中へ集め、
 ぐずぐずする者は容赦なくかいでひっぱたいた

-『神曲』地獄篇第三歌, ダンテ著, 平川祐弘訳, 2008, 河出書房新社 より引用

 

そしてその他数えきれないくらいの芸術家がダンテが描写した通りの様子を絵画や彫刻に表してきました。

 

美術だけでなく、チャイコフスキーは『地獄篇』第五歌に登場する悲恋の物語を『フランチェスカ・ダ・リミニ』という音楽として作曲したりしています。

 

日本でも夏目漱石中原中也など『神曲』の影響を受けている著名人はたくさんいます。

 

こんな風にジャンルも時代も超えて、本当に多くの人に大きな影響を与える作品だったのですね。

 

イタリアのみならず、全ヨーロッパや日本を含むアジアまで、また当時から現代まで幅広く影響を与え続けている作品『神曲』。西洋美術を鑑賞する際に、その知識が少しでもあると解釈がとても豊かになりますよ!

 

フィレンツェでダンテが暮らした時代の家(イメージ)を楽しむならこちら!

ダンテの家博物館

※ダンテが実際に生まれた家ではありません。

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