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フィリッポ・リッピ-「聖母子と天使たち(リッピーナ)」美しい聖母マリアの秘密。

聖母子と2人の天使(リッピーナ)

この作品「聖母子と天使たち」は、膨大なコレクションを誇るウフィツィ美術館の中でも最もおすすめする作品のひとつ。

 

作品自体はそれほど大きくなく、繊細な色使いなので遠目にはそれほど主張してきません。

 

でも、ぜひ近くに寄って細部をじっくり鑑賞してほしい!

 

とても絵の中にあるとは思えないほどの美しさに、思わず引き込まれてしまいます。

 

15世紀に活躍した、トンデモ修道士のフィリッポ・リッピのこの名作、見どころと作者の人物像を解説します。

フィリッポ・リッピの代表作
「聖母子と二天使(リッピーナ)」

天使に支えられた幼子イエス(ちょっと顔はおっちゃんぽいけど)が、母マリアに甘えて抱っこをせがんでいるようです。

 

それにしても聖母マリアのなんと美しいこと!!o(♡▽♡)o

 

透き通るような肌の美しさ、綺麗な顔立ち…とても美人さんですね。

 

聖母子と天使たち(部分) フィリッポ・リッピ, 1465頃 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

聖母子と天使たち(部分)
フィリッポ・リッピ, 1465頃
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

 

また、マリアのつけているヴェールの透明感、絵画とは思えないほどの繊細さです。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

このヴェールのついた髪飾りや、額を広く出す髪形などは15世紀当時に上流階級の婦人の間で流行していたものなの
 

これ以前の宗教画に、このように世間での流行を取り入れた表現を使うものはあまり見られません。

 

これより100年ほど前のジョットがずいぶん人間らしく描くような革命を絵画界に起こしましたが、それでもイエスやマリア、聖人などは人間をはるかに超えたものとして描かれるべきものだったのです。

 

なので、この表現方法はとても画期的だったと言えます。

 

また、髪の毛や衣服に真珠を飾るのも当時の流行。

 

真珠はまた、聖母マリアの純潔の象徴でもあります。

 

マリアが身に着けているものが世間の流行のものであるということだけでなく、マリアの衣服やそばに描かれたひじ掛けなどはビロードの素材感が伝わってくるかのようなリアルな表現がされています。

IMG_2275

ガイド学校の先生カテリーナ

こんな感じで、細かいところをより現実的に緻密に表現するのは、北フランスのフランドル地方の画家が腕を磨いていた技法なのよ。それはイタリアにも伝わって、そういう表現方法を取り入れる画家もたくさん出てきたの

 

ただちょっとマリアの表情は、高貴で美しいのにとても悲しげ。

 

それは、我が子イエスの将来の受難をすでに知っているからです。

 

Azu

でもイエスはおっちゃん顔だね…
 

それに対して手前の天使は陽気な表情で、ちょっといたずらっ子みたいな感じ。

 

実はこの作品にはモデルが存在するとされていますが、そのお話は後ほど。

 

それから、この作品は、背景の描き方についても革新的でした。

 

この、開かれた窓の手前(室内)に聖母子を中心とする人物、奥側に窓の外の景色が描かれるというのはとても斬新な構図だったのです。

IMG_2275

ガイド学校の先生カテリーナ

背景の緻密な表現方法も、フランドル派の影響ね

 

フィリッポ・リッピの少し後の時代に活躍したのがレオナルド・ダ・ヴィンチですが、この背景の描き方をヒントに、彼独自の「空気遠近法」を開発したとされています。

 

イエスが聖母の膝の上ではなく天使に支えられているのも新しい表現でした。

 

ちなみにこの作品についての詳しい資料がなく、いつ、誰の注文で描かれたのかということは不明です。

 

ただ、彼の作品にしては珍しく、工房の協力なしに画家一人で仕上げたとされています。

 

作者フィリッポ・リッピ

フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi/1406-1469)ボッティチェリの師匠として有名ですが、彼自身もたくさん優れた作品を残しています。

フィリッポ・リッピ幼少時代

フィレンツェのオルトラルノ地区、貧しい精肉店の息子として生まれました。

 

幼くして両親と死別し、8歳の時にカルミネ修道院に入ります。

 

とにかく勉強が嫌いで、読み書きや宗教的な学問に全く興味がなく、美術にだけは情熱的に取り組みました

 

ヴァザーリ先生によると「勉強用の本は汚す以外の使い方をしなかった」とか。幸い、修道院の責任者が非常に知的で理解のある人物だったので、彼は絵画の道に進ませてもらうことができたのです。

 

彼の主な勉強場所はカルミネ教会内のブランカッチ礼拝堂

サンタ・マリア・デル・カルミネ教会

サンタ・マリア・デル・カルミネ教会

ブランカッチ礼拝堂

ブランカッチ礼拝堂

 

フィリッポ・リッピより5歳上の天才画家マザッチョ(Masaccio)が、それは美しいフレスコ装飾を施した場所です。悪ガキだったフィリッポですが、美術に関しては真摯に向き合ったのでしょう、マザッチョの作品を真似していずれその技法を完全に自分のものとできるほど、熱心に研究したのです。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

マザッチョブルネレスキドナテッロとともに、初期ルネサンス三大巨匠のひとりとして有名な芸術家。残念ながら、とても若くして(わずか27歳で)世を去ってしまったけれど、後世に大きな影響を与えたのよ
ブランカッチ礼拝堂ブランカッチ礼拝堂(サンタ・マリア・デル・カルミネ教会)

 

フィリッポ・リッピの性格

画家兼修道士としての道を歩み始めたフィリッポですが、やはり奔放な性格はそのまま。画家としての技術は超一流で、多くの注文も受けていましたが、修道士としての規律はたびたび破るし、何よりも女好きでした。

 

ただ、とても陽気で冗談好きな、明るい性格だったようです。

 

だからまたモテたんでしょうかね。

 

フィリッポ・リッピのスキャンダルエピソード

その困ったちゃんエピソードとして有名なのが次のようなもの。

 

(パトロンであった)コジモ・デ・メディチはフィリッポ・リッピに仕事を終えさせるため、彼を部屋に閉じ込めたが「激しい欲情、というかほとんど野獣的なそれに突き動かされ、ある夜、ベッドのシーツを無数に切り裂いてつなぎ合わせ、それを伝って窓から降りて何日もその欲望に専念していた。」

– “”Filippo Lippi””, Antonio Paolucci, Giunti Editore S.p.A. Firenze-milano, 2007 より引用

 

そんなフィリッポは年をとっても相変わらずの問題児で、50歳のときに19歳の修道女ルクレツィア・ブーティと駆け落ちをするという大スキャンダルを起こします。(;・∀・)

 

当時の常識として結婚はもちろん、神に仕える身として恋愛も規律上許されていない

修道士と修道女が駆け落ちだなんて!!

 

カトリックの世界で最も厳しい処罰、「破門」にされてもおかしくない状況でしたが、彼の画家としての才能を高く評価していたパトロンのコジモ・デ・メディチがローマ教皇へお願いして、なんとかそれは免れたのでした。

(老コジモ)

コジモ・イル・ヴェッキオ
(老コジモ)

 

フィリッポはこうして世俗の世界へと戻ることになり、ルクレツィアとの結婚も許されました。

 

が、ヴァザーリ先生によるとフィリッポ的には

 

『結婚とかそんな興味ないし、もっと遊びたかったんだけどなー』

 

って感じだったそうです…反省してないな。

 

それでこの二人の間には息子フィリッピーノ・リッピともう一人、娘が生まれるわけです。

 

というわけで、今回のこの作品「聖母子と天使たち」のモデルは、聖母マリアが奥さんのルクレツィア息子フィリッピーノが手前の天使だったということです。

 

※フィリッピーノについてはイエスだとする説もあります。

 

この作品が見られるのはこちら

ウフィツィ美術館
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