フィレンツェは、実は2000年以上の長い歴史を持つ街。
カトリックの総本山バチカンがあるイタリアですから、角を曲がるごとに教会があるといっても過言ではありません。
京都でも「石を投げたら寺か神社にぶつかる」て言いますよね~
教会の“顔”の部分のことを、「ファサード(伊:facciata)」と呼びます。
普通、教会は最初に本体部分が建設され、最後にファサード部分をつけることが多いです。
例外はボローニャのサン・ペトローニオ大聖堂、こちらはファサード側から建築が開始された珍しい教会です
フィレンツェの長い歴史の中で作られてきた色々なファサード、時代ごとに建築様式にも流行があり、いまも個性的な外観で美しい街並みに花を添えています。
今回のナビゲーターはガイド学校時代の同級生・建築学科卒のダニエラちゃんです♪
建築大好き!建築のことならおまかせ!の、ピサ出身ダニエラです!よろしくね~!
目次
サンティ・アポストリ教会【ロマネスク様式】11世紀
この教会は小さくてさりげないながらも、昔から人々の生活に溶け込んできた教会。
一度も大聖堂になったことがないにも関わらず、「フィレンツェの古いドゥオモ」というニックネームがつけられるほど、フィレンツェ人に愛されています。
ここは外観・内装ともに素朴な、典型的なロマネスク様式!
ロマネスク様式の特徴はこんな感じ!
- 装飾が少ない、質素ながら重厚感がある見た目
- 窓は少なく小さめで光はあまりたくさん内部に取り込まない
ちなみに、この教会は映画「冷静と情熱のあいだ」で、最初の方に出て来る結婚式のシーンでロケに使われたところです。
サンティ・アポストリ教会オルサンミケーレ教会【ゴシック様式】14-15世紀
この教会のファサードは…一応、分類としては「ゴシック様式」に入れられますが、ミラノのドゥオモのようなザ・ゴシックではありませんね。
ゴシック建築の特徴は「より天に近づきたい!」というモットーなので、縦に長く伸びるものが多いのよ!それと、装飾も豪華にする傾向が見られます
なかなかユニークな歴史を持つ教会ですが、特に1階部分に注目するとゴシック建築の特徴が残っています。
フィレンツェのオルサンミケーレ教会は世界でここだけ!異色の歴史を持つ教会。この教会の場合はファサードっていうか…1階部分が全部そう呼べるかな
教会周りは14世紀~16世紀にかけて、たくさんの芸術家による彫刻作品で飾られています。
ファサード・歴史とも、とても個性的で面白い教会です。
オルサンミケーレ教会サン・ロレンツォ教会【???様式】15世紀
この教会はさっきのサンティ・アポストリ教会を見てインスピレーションを刺激されたブルネレスキが設計したの!
このサン・ロレンツォ教会もフィレンツェで最も古い教会のひとつで、オリジナルが建設されたのは4世紀頃とされています。
現在のドゥオモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂がドゥオモになる前は、ここがフィレンツェの街の大聖堂でした。
この教会を知るために、フィレンツェの歴史を簡単にお話ししないとね
14世紀終わりのこと。メディチ家のジョヴァンニ・ディ・ビッチがフィレンツェにやってきました。
そこから一家はめざましい発展を遂げ、フィレンツェで最も大事な一族となります。
そして彼らは一家の菩提寺的な場所として、このサン・ロレンツォ教会を選びました。
こことお隣のメディチ家礼拝堂にはメディチ家のメンバーが代々、葬られています(一部例外あり)。
ジョヴァンニは、当時一流の建築家として活躍していたブルネレスキにこの古い教会の改築を依頼します。
内部は、ブルネレスキが設計した美しく調和のとれた空間に仕上がったんだけど、ジョヴァンニの息子コジモとブルネレスキは仲が悪くて、建築計画はちょっとストップ…ファサードはいわば未完成のままになっちゃったの
ところでこの聖堂の内部にはジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチがブルネレスキに注文した旧聖具室があり、そこも見ごたえがあります!
サン・ロレンツォ聖堂の旧聖具室、謎解きが待たれる夜空のヒミツ…その日、何があったのか?さて、話は戻り、このファサードについて、16世紀にメディチ家出身で初めてローマ教皇にのぼりつめたレオ10世が、リニューアルするためのコンクールを開きます。
結果、優勝したのはミケランジェロ。
彼は木製のモデルを残していますが、結局これは実現することなく現在に至ります。
実現しなかった理由は、経済的な理由とか、材料不足とか…、まぁいろいろ…
数年前にマッテオ・レンツィがフィレンツェの市長だった時代に、サン・ロレンツォ教会のファサードを改築しようプロジェクトが持ち上がったそうですが、これも実現せず。
でも今となってはこの素朴なファサードがサン・ロレンツォ教会。
たぶん、この先しばらくはこの状態でしょうね。
もしかしたら何世紀か先には、変わっているのかも…!?
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会【ルネサンス様式】15世紀
あぁ…美しいわ…このファサードはフィレンツェでも一番美しいファサードだと思うの…
ダニエラちゃんはどうやらこれが一番お気に入りの様子ですが、この美しさの秘密はどこにあるのでしょう?
このファサードは、1439年からのフィレンツェ公会議がこの教会で開催されるのに合わせてリニューアルされたの。主にお金を出したのは裕福な商人のジョヴァンニ・ルチェッライ、注文を受けたのはお気に入りの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティよ
ルチェッライ一族はメディチ家とも友好関係にあり、当時フィレンツェで最も勢いのあった家のひとつでした。
それで彼の名前と完成年度がファサードの上の方に書かれているの。公的なものである教会のファサードにこんな風に記されているのはとても珍しいのよ
それよりもこのファサードがこんなにも美しい理由は、レオン・バッティスタ・アルベルティが幾何学を使って最高のバランスを計算して設計したからなの
こんな風に、いくつかの正方形と円ですべての部分が仕切られるように、綿密に計算してファサードを設計したのよ
そして、建築様式としては下の方にもともとあったゴシック様式を残しつつ、サン・ジョヴァンニ洗礼堂のようなアーチ型や、ローマのパンテオンのような古典的な調和のとれた美しさ、それに斬新な円と曲線の優雅な装飾を加えています。
その他にも、注文主ジョヴァンニ・ルチェッライの紋章である帆船や、婚家のメディチ家の紋章など、いたるところに装飾がたくさん。豪華ですね!
サンタ・トリニタ教会【マニエリスム様式】16世紀
この教会のファサードは16世紀終わりにベルナルド・ブォンタレンティが手掛けたもの。
建築様式としては「マニエリスム様式」に分類されます。
「マニエリスム様式」は「ルネサンス様式」と「バロック様式」のちょうど間に位置します。
ルネサンス建築はこの二つを合体したようなもの
- 古代ローマの調和のとれた様式を理想として、それを取り込む
- 新しい考え方として発達しつつあった人文主義(ざっくりいうと人間らしさ)
それに対してバロック様式の特徴は
- 独創的でダイナミックな動きが良しとされる
- 豪華な装飾(最終的にはやりすぎに…)
- 平たくいうと優等生的でおだやかなルネサンスに飽きて、もっと個性的に攻めようぜ!目立ったもん勝ち!!みたいなイメージ
だからマニエリスム様式であるこのサンタ・トリニタ教会はその中間をとったような形。
等間隔に設計されているところや線対称な形は、調和を重んじるルネサンス。
でも、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会のように平面ですべてのバランス美を追求しているのとは違って、ちょっと装飾をつけることに興味が出てきたみたい。
向かって一番左は同じ素材の石だけど、ダイヤモンド型にして飾りつけています
でも右側は未完成??
サンタ・トリニタ聖堂次の教会はザ・バロックよ!
サン・ミケーレ・エ・ガエターノ教会
【バロック様式】17世紀
実はフィレンツェにはバロック建築の建物がほとんどなくて、ファサードがバロック様式なのは、こことサン・フィレンツェ教会ぐらい
その理由は色々あると思いますが、ひとつは街のメイン・スポンサーであったメディチ家が、バロック様式が流行り出した16世紀末以降、だんだんと傾いていったからでは…というのがあげられます。
そんな中、このサン・ミケーレ・エ・ガエターノ教会はメディチ家のコジモ3世がお金を出して装飾をさせたの
設計者はゲラルド・シルヴァーニ、サンタ・トリニタ教会のファサードを参考にしていることは明らかです。
質素なトスカーナ産の石、ピエトラ・フォルテに白の大理石の豪華な彫刻がよく映えます!
情報にはスポンサーのメディチ家の紋章が堂々とついていますね。
明日使えるムダ知識?メディチ家の紋章、意味と歴史秘話。サント・スピリト教会【???様式】18世紀
この教会のファサード、すごくシンプル!これはこれでなんだか落ち着いていていいわね
でも、何様式に分類していいのか…
教会自体の設計をメインで手掛けたのはブルネレスキですが、完成を待たずに巨匠は世を去ってしまいました。
彼の後継者たちの手で教会本体は完成されましたが、ブルネレスキの建築意図を十分に理解できていなかったので当時の想定とはずいぶん違ったものになってしまったようです。
ファサードだけは、1700年代に現在の形になりましたが、これも他にほとんど見ないようなシンプル・イズ・ベストの極み…
これより前も、石がむき出しで飾り気のない15世紀のもののままだったそうよ
現在ではこのシンプルかつ平面的なファサードを生かし、プロジェクションマッピングが行われたりしています。
当時としてはこんな使われ方、考えもしなかったでしょうね!
これもある意味、時代の流行ですよね。
サント・スピリト聖堂サンタ・クローチェ教会【ネオ・ゴシック様式】19世紀
このサンタ・クローチェ教会は、ミケランジェロやガリレオなど、フィレンツェにゆかりのある大勢の著名人が眠る墓所。
見どころたくさん、『フィレンツェのパンテオン』サンタ・クローチェ聖堂。二度目のフィレンツェ旅におすすめ!また、この前の広場では毎年6月24日に、各地区の誇りをかけて戦う歴史サッカーの決勝が行われます。
優勝チームには雌のキアニーナ牛が贈られるのでーす
キアニーナ牛は、フィレンツェ名物ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナになる牛さんです。
フィレンツェに来たらコレ食べなきゃ!!ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ。おすすめレストラン情報もあるよ!ファサードの設計者はニッコロ・マタス。19世紀に活躍した建築家です
ファサードは1865年、フィレンツェの偉人ダンテの生誕500周年を祝う年に完成しました。
スタイルは、ネオ・ゴシック様式。
設計者のニッコロ・マタスはシエナやオルヴィエートのドゥオモなど、典型的なゴシック様式の建築物を参考に、このサンタ・クローチェ教会のファサードを設計しました。
彼のスタイルはネオ・ゴシックとしてはやや古典的(四角形も多用)だけど調和がとれていてとても美しいわ~
フィレンツェ人の中でも、このファサードが一番好き!!(*´▽`*)という人も多いです。
ちなみにファサードの一番上にあるのは「ダヴィデの星」と呼ばれ、ユダヤ教でよく使われるシンボル。ここから、設計者のマタスはユダヤ教徒だったのだと推測する学者もいます
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
【ネオ・ゴシック様式】19世紀
そして、ラストを飾るのはもちろん、フィレンツェ人の誇り、
やっぱりダントツ豪華よねっっ
1887年完成のファサードの設計者はエミリオ・デ・ファブリス。実はこの人、あのダヴィデくんの新居アカデミア美術館を設計した人でもあります。
ファサードの設置は、大聖堂本体の完成から実に400年以上経ってからのことでした。
豪華なファサードは聖母子と十二使徒のほか、色々なシンボルで構成されています。
使われている素材も白・ピンク・緑の天然の大理石。
詳しくは、こちらの記事をどうぞ!
フィレンツェ人の誇り、美しきドゥオモのファサード。壮大な歴史と意味を徹底解説! ドゥオモ、クーポラ、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ付属博物館、サンタ・レパラータ教会遺構