さて、前回ご紹介したフィレンツェ一望の穴場スポット、ヴェッキオ宮殿の「アルノルフォの塔」。
フィレンツェの景色一望の穴場写真スポット!ヴェッキオ宮殿の『アルノルフォの塔』がおすすめ。
見晴らしは抜群、見た目もかなり迫力があり、威風堂々としているのですが、歴史をひもといてみるとなかなか味があって面白いのです。
それではどんなお話が隠されているのか、ちょっと昔の世界に行ってみましょう!!
目次
アルノルフォの塔、実は…①〇が建設されたのは一番先!
なんと意外なことに、この塔は実は宮殿の本体よりもさらに古いのです。
もともとこの場所にフォラボスキの塔(Torre dei Foraboschi)というものが存在していて、それをぐるりと囲むように建てられたのがヴェッキオ宮殿。
とはいっても、最初からこの高さがあったわけではなく、もっと高さは低い塔があって、それを囲む宮殿と塔の高さを伸ばす設計がされたという説が有力。
この設計をしたのが、たぶん、アルノルフォ・ディ・カンビオで、そこからアルノルフォの塔、と呼ばれるようになったのです。
イタリア人ガイドマーク先輩
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アルノルフォの塔は1310年、そしてヴェッキオ宮殿の本体は1315年に完成しました!!
イタリア人ガイドマーク先輩
アルノルフォの塔、実は…②塔の中には〇〇が!!
イタリア人ガイドマーク先輩
メディチ家の最重要人物 コジモ・イル・ヴェッキオ(老コジモ)
コジモ・イル・ヴェッキオ(Cosimo il Vecchio / 1389-1464)というのはメディチ家当主の中でも最も重要な人物のひとり。

コジモ・イル・ヴェッキオ(老コジモ)の肖像
ポントルモ
ウフィツィ美術館, フィレンツェ
たくさんの芸術家を保護し、文化の発展を奨励したので、彼のおかげでフィレンツェがここまで栄えたといっても過言ではありません。
旅好きナナミちゃん
実は、メディチ家がフィレンツェに来たのはコジモの数世代前の時代。
コジモの父、ジョヴァンニが銀行業を成功させて発展した家ですが、この時代はまだまだ街の中に有力な家同士が力を競っていた時代。
コジモは彼のことをよく思わないライバルの一家を中心として陰謀に陥れられ、ここに閉じ込められることに。
イタリア人ガイドマーク先輩
それからコジモはフィレンツェを追放されますが、民衆の彼の復帰を求める声に応じて、翌年フィレンツェに返り咲きました。

コジモ・イル・ヴェッキオの帰還
ジョルジョ・ヴァザーリ, 1556-58
ヴェッキオ宮殿(コジモ・イル・ヴェッキオの間), フィレンツェ
これはフィレンツェに戻ったコジモが民衆に歓迎されている様子。
ドメニコ会の修道士ジローラモ・サヴォナローラ
コジモの孫にあたるロレンツォ・イル・マニフィコ(ロレンツォ豪華王)の時代、フィレンツェはかつてないほど芸術の都として花開きます。

ロレンツォ・イル・マニフィコ
(ロレンツォ豪華王)
イタリア人ガイドマーク先輩
この時代はアンドレア・デル・ヴェロッキオやレオナルド・ダ・ヴィンチ、ボッティチェリ、ペルジーノ、アンドレア・デル・ポッライオーロなどなど、挙げ出したらきりがないくらいたくさんの芸術家が彼のもとで仕事をしました。
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イタリア人ガイドマーク先輩

牧神を彫る少年ミケランジェロ
エミリオ・ゾッキ, 1862
パラティーナ美術館, フィレンツェ
しかしそんなロレンツォも1492年、病気でこの世を去りました。
イタリア人ガイドマーク先輩
ロレンツォの死と前後して頭角を表してきたのがジローラモ・サヴォナローラ。

ジローラモ・サヴォナローラの肖像
フラ・バルトロメオ, 1498
サンマルコ美術館, フィレンツェ
彼は祈りと労働を規範とするドメニコ会の修道士で、当時の贅沢に慣れ切った聖職界や、フィレンツェの上流階級、特にメディチ家の様子を非難しました。
サヴォナローラの説教に感化されたフィレンツェの民衆は、ロレンツォ亡き後の当主ピエロが頼りないせいもあって、メディチ家を敵視するようになります。
贅沢を敵とするサヴォナローラは、有名な「虚飾のかがり火」により、多くの美しい美術作品や貴重な品々が捨てられ、燃やされ、破壊されてしまいました…。この動きにはボッティチェリを含む多くの芸術家も感化され、たくさんの作品が失われてしまいました。
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最終的に、サヴォナローラはローマ教皇庁を公然と批判したことで教皇の怒りを買い、異端の罪を問われ処刑されることに。
その処刑が行われたのが1498年5月23日、この日をサヴォナローラは塔の中の独房で迎えたのでした。
イタリア人ガイドマーク先輩
サヴォナローラの功績
サヴォナローラ、目立ちすぎましたが彼のやったことは悪いことだったわけではありません。
当時の教皇庁を中心とする聖職者たちは汚職や贅沢など、腐敗していたのでその改革を目指していたのです。
ですが、権力者に逆らうにあたってあまりにも急激に、強引にやりすぎたのが彼の命を短くする結果になってしまったんですね。
イタリア人ガイドマーク先輩

500人広間
ヴェッキオ宮殿, フィレンツェ
ここも、2016年公開の映画「インフェルノ」で舞台となり、大事な鍵を握るヴァザーリの「探して見つけよ(cerca, trova)」が登場する壁一面の絵が登場します。
アルノルフォの塔 正面の大きな時計
塔の正面には大きな時計がついています。
時間を示す針は1本だけ。
もともとはニッコロ・ベルナルドというフィレンツェ人作者によるものが設置されていましたが、1667年に現在のものに付け替えられました。
これは現在もちゃんと機能しています。