アルノルフォ・ディ・カンビオは、主にフィレンツェとローマにおいて、
特に彫刻・建築と都市計画の分野で活躍しました。
フィレンツェではサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)をはじめ、
今も残る多くの、そして大きな建築物の設計や建築に携わりました。
目次
アルノルフォ・ディ・カンビオ-若い頃
彼の時代はまだ、芸術家個人について記録や資料を残すことが少なかったので、
細かい人物像はあまり伝わりません。
その人生は、1232年?~1302年?と、生死年とも不詳で、60歳代で亡くなった?
という感じです。
出自について分かっているのは、コッレ・ディ・ヴァル・デルサ村という、
フィレンツェとシエナの間の小さな村の出身で公証人を父に持つということです。
公証人というのはわりと裕福なお家ですので、子どもの頃はそれほど苦労しなかったと思われます。
若いころはニコラ・ピサーノという彫刻家(建築家)のもとで修行し、
各地の教会建築に携わりました。
独立してからはボローニャやローマに赴き、多くの仕事をこなします。
ローマ滞在中は、この時代の最も重要な仕事のひとつ、
ローマ教皇庁(ボニファティウス8世)からも注文を受け、
聖人のブロンズ像やプレゼーピオ(イエス誕生のシーンを表現した人形)などの
教会用の装飾品を手掛けています。
フィレンツェでの活躍①都市計画と建築
1200年代の終わりにフィレンツェにやってきたアルノルフォは、
街の都市計画という重要な仕事を始めます。
彼が関わったとされる建築物は、ドゥオモ(1296~)の他、
オルサンミケーレ教会の前身(1290~)やサンタ・クローチェ教会(1294~)、
ヴェッキオ宮殿(1299~)など、街の中でもひときわ存在感をはなっているものばかりです。
- アルノルフォ・ディ・カンビオが設計したドゥオモ
- オルサンミケーレ教会
- サンタ・クローチェ教会
ただ、建築の分野においては、彫刻ほどには記録や資料がのこっていません。

ドゥオモの向かい側から、それぞれ自分の作品を見つめるアルノルフォ・ディ・カンビオ(左)とフィリッポ・ブルネレスキ(右)
フィレンツェでの活躍②彫刻
ドゥオモにおいては、最初の建築計画を考えただけでなく、
当時のファサード(建物の正面)を装飾する数々の彫刻を作成しました。
このときは、他の多くの教会と違って、
全て完成してからファサードを作ったのではなく、
本体の建築と同時にファサードも作り始めたのです。

アルノルフォが設計したドゥオモのファサード
アルノルフォが制作した彫刻のうちでも最も有名なものが
「ガラスの瞳の聖母」(ドゥオモ付属博物館蔵)で、
ファサードの正面扉上部に置かれていたようです。
この聖母はその名の通り、目の部分にガラスが使われているとても珍しい作品ですが、
ファサード(=外)に置かれることによって
太陽の光を受けて反射し輝く様子を信者たちに見せるためにこのようにしたと考えられています。
- 出産の聖母
- イエスを抱くガラスの瞳の聖母(中)と聖女レパラータ(左)と聖ザノビ(右)
- 眠る聖母
- ガラスの瞳の聖母(部分)
- ボニファティウス8世像(中)
彼の彫刻作品はどれも、まだ時代的に写実性に重きを置いていないので、
後のドナテッロやミケランジェロと比べるとリアルさは少ないですが、
でもとても穏やかで親しみやすい雰囲気をまとっているなぁと感じます。
同じファサードのためにいくつか彫刻作品を制作していて、博物館内に保存されています。
アルノルフォ・ディ・カンビオは、主にフィレンツェとローマにおいて、
特に彫刻・建築と都市計画の分野で活躍しました。