オルサンミケーレ教会は、ドゥオモやヴェッキオ橋、ウフィツィ美術館など名だたる観光地が並ぶフィレンツェの街のもっとも中心部分にあります。
ずらりと彫刻が居並ぶ外観がひときわ異彩を放っています。
起源を1000年以上前に古く遡るこの建物、見た目も中身もとっても変わっています。
あまり目立たず知られていませんが、その秘密に迫ってみましょう♪
目次
オルサンミケーレ教会の場所
フィレンツェの街はとても小さくて、コンパクト。ドゥオモ周辺やヴェッキオ宮殿、ウフィツィ美術館など主な観光スポットがほぼすべて徒歩でまわれてしまうほどです。
オルサンミケーレ教会はそれらの集まる中心地の中でもさらに中心。
中世より、フィレンツェにおいて宗教の中心地はドゥオモ、政治の中心地はヴェッキオ宮殿でした。
この二つの場所を結ぶ重要な道がカルツァイウォーリ通り(Via dei Calzaiuoli)、そのちょうど中間に位置するのがこのオルサンミケーレ教会です。
オルサンミケーレ教会の見どころ①外観の彫刻群
まずは外観を眺めてみましょう。
そもそも形が四角くて、教会というよりまるで普通の建物のよう。ドゥオモみたいに、十字架の形をしていません。
そして、一定の間隔で壁につけられた壁がん(穴)のところに、大理石やブロンズなど色々な素材で、人の彫刻が置かれています。
商業組合と守護聖人
このたくさんの彫刻は、いったい何??
これらの彫刻は、すべて聖人を形どっているんだ!
それぞれの像は、中世フィレンツェでとても重要な機能を果たした組合(アルテ)の守護聖人で、当時の人気芸術家によって作られたものなんです。
組合って…?
中世のフィレンツェではそれぞれの職業の人たちが、自分たちの産業や利益を守りスムーズに運営できるよう、組合を作っていたんだ!「両替商組合」とか、「武器甲冑職人組合」とか、「革職人組合」とか…日本にも農協とか、漁協みたいなのがあるだろう?あんなイメージだよ!
ほぉ~、なるほど!!
それぞれの組合には守護聖人が定められています。ちょうど日本にも「学問の神様」「商売繁盛の神様」「航海の神様」…と色々な担当の神様が伝えられているようなイメージですね!
カトリックでは「神」は唯一だから、それぞれの組合の担当は「聖人」が担うんだ!OK?
例えば、西面の聖マタイは「両替商」の守護聖人。聖マタイはイエスの弟子、十二使徒のひとり。弟子になる前に聖マタイが徴税人であったので、お金を扱う「両替商」の守護聖人です。
聖ゲオルギウス / San Giorgio
壁がんの聖人像のうち、特に評価が高いのは北面で一番西側の、ドナテッロによる聖ゲオルギウスとその台座の下にある浅浮き彫りの彫刻。
この作品がなぜそんなに重要かというと、秘密は台座の部分、竜と戦って姫を救出する聖ゲオルギウスという、伝説に基づいて表現された場面にあります。
なんだかRPGに出てきそうなお話ねー!
このように平面的な浅彫りでありながらきちんと遠近法を感じられるように表現した彫り方を、この作品においてドナテッロが初めて開発したのです。
この技法のことを「スティアッチャータ(stiacciata)」と呼ぶんだ!
イタリア語で「スキアッチャータ(schiacciata)」と言えば「押しつぶされた」という意味でパニーノの一種やスリッパのことをそう呼びます。雰囲気というかイメージはそんな感じで、この表現技法のときは「スティアッチャータ」となるんですね。
姫の後ろにはうっすらと宮殿らしき建物。手前から奥に向かってだんだんと空間が小さく表現されているところが、奥行を感じ取れますよね。
全体の遠近法は一点透視図法で表現されていて、すべての視線が最終的に戦いのさなかの聖ゲオルギウスに集中するようになっています。
この一点透視図法、作者ドナテッロの親友ブルネレスキが理論を確立させて、ドナテッロに教えたんだ!あと、マザッチョにも!
ブルネレスキはフィレンツェのシンボル、ドゥオモのクーポラの設計者としても有名な、15世紀を代表する芸術家です。
聖ルカ / San Luca
オルサンミケーレ教会は長い歴史の中で、注文主の意向で
もっと流行りのカッコいい像がほしい!
と、彫刻が入れ替えられた例もあります。
東側のジャンボローニャによる聖ルカがそのひとつ。
最初は別の芸術家による大理石の聖ルカ像が置かれていましたが、約200年後、古びた壁がんを手直しする際に像もブロンズにリニューアル注文したのです。
聖トマスの疑い / Incredulità di San Tommaso
また、東側のヴェロッキオ作・聖トマスの像の場所にも、もともとは現在サンタ・クローチェ教会に保存されているドナテッロの聖ルドヴィコがありました。
現在あるもの
ここにもともとあったのはこちら。
それから、それぞれの壁がんの下や、上部の紋章はその聖人の担当(守護)する組合の活動や紋章があるのもチェックすると面白いぞ!
全体像
壁がんの聖人・作者・組合の組み合わせはこうなっています。
オルサンミケーレ教会の見どころ②豪華な内部装飾
祭壇(右)
教会内部は広々とした一部屋だけの空間で、正面右手にとても豪華な祭壇があります。作者はオルカーニャ、14世紀半ばの作品です。
祭壇の細かく豪華な装飾は見事なゴシック様式。
祭壇下部や、教会上部のステンドグラスは聖母マリアの生涯のシーン。
これは教会が建設されたときに聖母マリアに捧げられたからなんだ!
祭壇(左)
正面左側には聖母子と聖アンナ(マリアのお母さん、つまりイエスのおばあさん)の3人の像があります。
この彫刻は、1500年代前半にフィレンツェ市が注文したもの。その200年ほど前(1343年)、フィレンツェの危機を救ったとされる聖アンナに感謝するためでした。
秘密の壁の穴
さて、内部にはよく見ると謎の穴があります。
一部の柱の下の方に何やら怪しげな穴が。
近づいてみてみましょう。
さて、この穴は何のためのものなのでしょうか??
答えはこの教会の歴史を知るとわかります!
オルサンミケーレ教会の歴史
この教会は、一風変わった歴史を持っています。
教会の前身
その歴史は8世紀頃にさかのぼります。
この場所は周辺を菜園に囲まれ、大天使ミカエルに捧げられた小さな祈祷所がありました。
これが名前の由来!Orto(菜園)+ San(聖なる)+ Michele(ミカエル)=Orsanmichele(オルサンミケーレ)と呼ばれるようになったんだ!
アルノルフォの改革…小麦市場へ
13世紀中ごろにフィレンツェの町はこの祈祷所を取り壊すことを決め、1290年にアルノルフォ・ディ・カンビオが小麦市場のための回廊(ロッジャ)を建設します。
アルノルフォ・ディ・カンビオはドゥオモを設計した当時の人気建築家で、その他ヴェッキオ宮殿やサンタ・クローチェ教会など、この時代のフィレンツェの街の建築物の多くは彼の手によるものなんですよ。
フィレンツェの礎を築いた偉大な13世紀の芸術家、アルノルフォ・ディ・カンビオ。小麦市場として営業を開始したのもつかの間、1304年に大規模な火事が建物を襲い、すべては灰になってしまいました。この場所からポンテ・ヴェッキオまでの一帯を全て焼き尽くした、大きな火事だったということです。
それから約30年後にロッジャは現在の大きさで再建されました。
外観をよく見ると当時の様子がなんとなく想像できます。
もとの形のイメージは、現存する建物でいうと「ポルチェッリーノ(子豚ちゃん)」の銅像が有名なメルカート・ヌオーヴォみたいなもの。
開放されたアーチ型で、外と中が自由に行き来できる状態だった部分を後に塗りふさがれた建物へと変化しました。
ふさがれたのは1300年代後半のことで、同時に2階・3階部分も小麦の倉庫として増築されます。
その後外壁には14の壁龕(へきがん)が作られ、そこにそれぞれ彫刻が置かれました。
1400年代後半には小麦市場は移転され、この建物は教会となりました。
秘密の壁の穴の正体
さて、先ほど出てきた柱の謎の穴ですが、わかりましたか?
答えは、こういうこと!!
市場だった頃、2階部分は倉庫として使われていたので、1階の柱には上の倉庫と小麦を上げたり下ろしたりするために使われた穴が残っています。
まだまだ出て来るオルサンミケーレ教会の隠れ情報
2階は美術館
ここの建物って見た目には3階ぐらいありそうなのに、入り口はひとつだけ、階段もなさそうだけど…上はどうなってるの??
実は隠れ階段が入り口の左側にありまして、ここからは2階と3階の美術館にアクセスすることができます。
2階の美術館には、外側の壁がんに置かれている聖人像のオリジナルがあります(外側で見られるのは実はすべてレプリカ)。
やっぱり屋外にあるから傷みが激しかったり、部品の盗難に遭ったりしてしまうんだ…
オリジナルは並べてみると意外なほど大きさの違いがあったり
ブロンズ像は後ろが空洞になっていたり(ブロンズはとても高価なものだったので、見えない部分は節約していたため)
外のレプリカでは盗まれてしまった部品があったり
と、じっくり観察してみるとなかなか楽しめます。
ドナテッロの聖ゲオルギウスのオリジナルだけはこの美術館になく、バルジェッロ国立博物館で見ることができます[
3階からの眺望
こちらの美術館、3階まで上るとかなり見晴らしがよく、ドゥオモやヴェッキオ宮殿などを同時に楽しむことができます♪
オルサンミケーレ教会