街全体が歴史地区として世界遺産に登録されているフィレンツェ。
ドゥオモはその中心にあり、美しさ・壮麗さから、どんな人でも一目見たら思わず感嘆の声を上げずにはいられません。
街の一番大事な建物ですから、600年にも渡ってフィレンツェ人たちは政治家から商人・詩人・芸術家、その他一般庶民に至るまで、大切に心を込めて造り、飾り立ててきました。
建物の正面部分のことを「ファサード(伊:facciata / 英:facade)」と呼びます。
ファサードは、ドゥオモの第一印象を決める大切な「顔」。
そこには、様々な想いが込められています。
時代ごとの建築様式、移り変わりが楽しい!教会の「顔」、ファサードに大注目!目次
圧倒的なオーラを放つドゥオモのファサード
すごい!!なんだかカラフルだし、いっぱい飾りがついてるねぇ!!
そうでーす!このファサードは初めてはもちろん、何度目にみてもびっくりしたり、感動したり、とにかくスルーはできませーん
このファサードは1887年完成の「ネオゴシック様式」。
ネオゴシック様式はゴシック・リバイバルとも呼ばれ、18世紀~19世紀にかけてヨーロッパで流行したものだよ!イタリアでのネオゴシックは、13~14世紀に流行したゴシック様式の再評価により生まれたもの。特徴は尖塔アーチや上に伸びる高さのある建物だ!OK?
何が表現されているのか、細かく見てみましょう!
見どころ①全体を構成している素材
いきなり問題!!ドゥオモのファサードは、何の素材でできているしょーか!?
えっ、うーん、やっぱり定番の大理石じゃないかなぁ?
正解!!!
でも、大理石っていったら白だから、ピンクと緑のところは…色を塗ってるの?
と、思うだろ??実は、これは全部天然のものだよ!!
そう、天然なんです!!
フィレンツェのドゥオモはその豪華な装飾も目をひきますが、カラフルな大理石がとっても印象的。
白い部分は、大理石が特産のカッラーラという海沿いの街から運ばれたもの。
あの巨匠ミケランジェロもここの産地の大理石を愛用していたんだ!
緑の部分は、プラートというフィレンツェから西へ25kmほどの街で採れるもの。
ちなみにこの緑の大理石は、唯一ここでしか産出されないんだ!!OK?
そしてピンクの部分は、フィレンツェから南へ約80kmのシエナから運ばれました。
この3色が選ばれたのにはわけがあります。
見どころ②それぞれの色の意味
カトリックの大切な考え方のひとつに、「対神徳」というものがあります。
シンプルにいうと、信者が守るべき神さまとの約束事のようなものだと考えてくれ!!OK?
「対神徳は」3つ、それぞれにテーマカラーがあります。
- 緑=「希望」
- 白=「信仰」
- 赤=「(無償の)愛、隣人愛」
これらは大切なテーマなので、よーく見ると絵画その他の美術品にはたくさん登場しているんですよ。
例えば、現在ウフィツィ美術館で見られる、ピエロ・デル・ポッライオーロ(+ボッティチェリ)作の七元徳がこちら(一部抜粋)。
これを色だけ並べると…
あっ、イタリア国旗だ!
※イタリア国旗の3色の意味の解釈は諸説あり。代表的なものは緑=自然(大地)、白=雪、赤=血とするものなど。
見どころ③ファサード全体のテーマと意味
フィレンツェのドゥオモは、正式名称を「カテドラーレ・ディ・サンタ・マリア・デル・フィオーレ(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)=花の聖母大聖堂」といい、その名が示す通り聖母マリアに捧げられた大聖堂です。
ファサードの中心には赤ちゃんイエスを抱く聖母マリア、そして3つの扉にはマリアの生涯の場面が描かれています。
扉の模様なんて気にしたことなかったよ…こんな細かいところまでちゃんと細工がしてあるんだねぇ
見どころ④ファサードに登場する人物は全部で〇人!?
…というのは正直、数えきれないぐらいるんですが、大きめに表現されている人だけを数えても43人。
え?そんなにいる??
実はこんな感じになっています。
聖書の人物や聖職者だけでなく、地元の芸術家なども入っているというのは興味深い!!
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ガリレオ、ダンテなど名前を知っている人がいるんだ、と思うとちょっと面白いですね。
歴史に翻弄されてきたファサード
現在のファサードは、1887年完成、エミリオ・デ・ファブリス(Emilio De Fabris / 1807-1883)による設計のものです。
エミリオ・デ・ファブリスは、あのアカデミア美術館内にダヴィデくんのためのトリブーナを作った建築家だよ!
でも、この立派なファサードになるまでには、たくさんの紆余曲折がありました…
今のドゥオモになる前
今の大聖堂は、1296年に改めて綺麗に建て替えよう!となり、建設が開始されたもの。これより前はまだドゥオモが「サンタ・マリア・デル・フィオーレ」ではなく、「サンタ・レパラータ大聖堂」と呼ばれていました。
フィレンツェの大聖堂は、聖母マリアに捧げられる前は、聖女レパラータ(Santa Reparata)という3世紀頃の聖女に捧げられていました。
この頃の建物は現在の大聖堂を建築する際に取り壊してしまい、ファサード部分は残っていませんが、現在のドゥオモの地下にはサンタ・レパラータ教会の遺構が残っています。
ここにはサンタ・レパラータ教会と現在のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の大きさや位置関係を比較できる復元予想モデルも置かれています。
「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」初代のファサード
1296年に現在も残るドゥオモの建設が始まりました。この時代のファサードを再現したものがこちら。
中途半端に下半分だけが完成しています。
これは1296年のアルノルフォ・ディ・カンビオの設計によるもの。
設計通り彫刻品などもきちんと置かれてはいますが、上半分は未完成っぽい感じです。
このファサードは、当時置かれていた彫刻と一緒にドゥオモ付属博物館で再現されています。
このファサードは、200年以上も未完成の状態でしたが、1587年に取り壊されました。
1587年以前のドゥオモ広場を描いた様子がこちら。奥に半分だけできているファサードが見えています。
1587年~1887年のファサード
さて、1587年のこと。時のトスカーナ大公、メディチ家のフランチェスコ1世がファサードの取り壊しを決定しました。
彼は、当時のファサードがもうスタイルとして時代遅れだと考え新しいものを作ろうと、お抱えの宮廷建築家ベルナルド・ブォンタレンティ(Bernardo Buontalenti / 1531-1608)に新しいファサードの設計を注文します。
…が、同年発注したフランチェスコ1世は死去。
そこでいったん計画は頓挫し、その後何代にも渡ってファサードの計画がされ、模型も作られましたが、どれも実現には至らず。
1587-1589?
16世紀
1635
1635-1636
どれかが実現していたら、今は違うファサードだったのかもしれないのね!
実はこれ以前にも、1491年にメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコ(Lorenzo il magnifico)が、ファサードを新しくしようとコンクールを開いたんだが、入賞者なしということで延期となったんだ!
というわけで、取り壊したものの新しいファサードのない状態が続いた大聖堂。
旅好きナナミちゃん
そう、実は、1587年から約300年間、こんな感じの状態でした。
の…のっぺらぼう??なんで?大切なドゥオモのファサードなのに、こんなんじゃカッコ悪いんじゃないの?
確かに!でも、なんだかしっくりくるものがなかったんですね。
正確には、1689年にコジモ3世が長男グランプリンチペ・フェルディナンドの結婚式のために描かせた絵がうっすらと残っています。
そして現在のファサードへ
こんな色々な歴史を持つファサードですが、最終的に国際的なコンクールを経て、1887年にその堂々たる姿が完成しました!
そして現在も多くの人に感動と驚きを与え続けているのです♪
ドゥオモ、クーポラ、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ付属博物館、サンタ・レパラータ教会遺構