フィレンツェの観光スポット、サン・ジョヴァンニ洗礼堂といえば、ミケランジェロもほめたたえたという「天国の門」が有名。
ですが、同じ作者、ロレンツォ・ギベルティによる、北側の扉にもちょっとしたエピソードが残されていて、なかなか面白い素晴らしい作品です。
今から遡ること600年前、多くの芸術家たちが意地とプライドをかけてたたかった、あるコンクールが花の都フィレンツェで開かれました!
目次
いちばん大事な扉、カッコいいものを・・
この扉が作成されたのは、1403年から1424年にかけて。なんと22年の歳月がかかっています。
作者は、Lorenzo Ghiberti (1378?-1455)。フィレンツェ出身の彫刻家で、本業はオラフォ(彫金師)でした。
同じくオラフォだった父のもとで腕を磨き、その技術の正確さはとても評判だったようです。
仕事ができる人だったのね!だから、この扉を任されたの?
実は、彼がこの扉を作るに至ったのには、こんなエピソードが残っています。
当代一の重要なコンクール
それは、1401年のこと。
フィレンツェの有力な毛織物貿易商人の組合、アルテ・ディ・カリマーラ(arte di Calimla)は、フィレンツェで宗教的に最も大事な建物、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉を新調しようとしていました。
計画では洗礼堂の東側入り口、つまりドゥオモの正面部分に設置される予定だった扉です。
当時、ドゥオモはまだ建築中だったから、こっちの方が大事な建物だったんだ!しかも、いずれドゥオモはもっと立派な建物になることがわかってたから、この扉はめちゃくちゃ重要なものだった!OK?
そんな大事な扉ですから、注文主のアルテ・ディ・カリマーラは、
めちゃくちゃカッコいい扉を、一番腕のいい職人に作らせよう!
ということで、コンクールを開き、その優勝者に注文することにしたのです。
コンクールにはたくさんの芸術家が応募し、最終選考に残った7人のトスカーナの芸術家のうち、最後まで残ったのがこの二人、ロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネレスキ。
ブルネレスキは、現在もフィレンツェのシンボルである、ドゥオモ(花の聖母マリア大聖堂/Basilica di Santa Maria del Fiore)の円屋根部分、クーポラを設計した人です。
この時のお題は、旧約聖書の題材「イサクの犠牲」。
神が自分への信仰心を試すために、アブラハムに一人息子イサクを捧げるよう命じるというお話です。
物語について詳しくは
カラヴァッジョの「イサクの犠牲」”背景”が描かれた貴重な作品!ブルネレスキとギベルティ、二人の作品
コンクールに際し、二人はそれぞれ、こんな作品を作りました。
注文主のアルテ・ディ・カリマーラ自体が、既に完成していた南扉と同じ形の枠にするよう条件を出していたので、外枠は同じ形を使っています。でも、同じお題なのに雰囲気がちょっと違いますね。
ギベルティの作品は、全体的に優雅でちょっとファンタジックな感じ。
中心にいるアブラハムや、左手前の羊飼いの少年たちの衣服のドレープは優雅にカーブを描いています。
少年たちはまるで世間話でもしているかのような、まったりした雰囲気すら醸し出していたり。それに右上を飛んでいる天使は、今にも首を切られそうなイサクを助けるためにもっと急いだほうがいいと思うんだけど 😥 、「あ~待ってぇぇ~~~」みたいなふわ~っと飛んでる感じ。
それに対してブルネレスキの作品は…
いままさに息子イサクの喉にナイフを突き立てているアブラハムの右腕を、天使ががしっとつかんで、「待てっ、まだ!!早まるな!!」というような真剣な表情と驚いてそれを見つめるアブラハムの顔。とても緊迫しています。
とにかく非常に躍動感があって、現実的。右下の羊飼いの少年も何事かというように彼らの方を振り返っています。
ブルネレスキの作品はこんな感じで全体的に勢いがあって、なんなら枠からはみ出しているところすらあります。
傷心のブルネレスキ…しかし転んでもただでは起きない
しかし最終的にコンクールで優勝したのはギベルティ。
理由としては、彼の作品がまだ当時の主流であった優美な「ゴシック」趣味であり、ブルネレスキのそれはそれまでにない、斬新すぎる現実感を持っていました。だから、ギベルティの作品の方が注文主の意向に合っていたのです。
ブルネレスキの作品は、いうなれば「早すぎた」んだ!!もっと時代が下っていれば、現実性を重視するルネサンスの潮流にのって、違う結果もありえたに違いない!!OK?
そんなわけで、見事コンクールを制したギベルティがこの新しい扉の注文を受けることになったのでした。
一方ブルネレスキは、思いの丈を込めた作品が落選したことにショックを受けてか、親友のドナテッロを連れてローマへ旅に出ます。
そこで彼は素晴らしい技術のつまった古代建築を目の当たりにして、また別のショックを受けたのです。
ブルネレスキはパンテオンとか、ローマのありとあらゆる建築物を計測して、研究しつくしたんだ!!その成果を持って帰って結果に生かしたのが、ドゥオモのクーポラってわけ!!OK?
そう、この洗礼堂の扉のコンクールから始まった二人の因縁は、次はクーポラへと持ち越されたのです。
16年後、今度はクーポラを作るためのコンクールが開かれ、その時は見事ブルネレスキが優勝して雪辱を果たしたのでした。
ギベルティが北扉に表現したもの
題材は新約聖書「イエスの物語」
この扉には注文当時は、コンクールの題材「イサクの犠牲」を含む旧約聖書の題材が表現されるはずでした。
が、注文主のアルテ・ディ・カリマーラは計画を途中で変更します。
この扉は作成時点では洗礼堂の東側に設置される予定だったので、ドゥオモの正面ということで「聖なる救済の扉」、つまりキリストの物語と、それを記した4人の福音書記者、4人の教父を表現してほしいという依頼に変わりました。
福音書記者は聖書の中の「〇〇の福音書」の部分の書き手、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネを指すんだ!4人の教父とは、教会の指導者で聖書の解釈を書いた人たち、聖アゴスティーノ、聖ジローラモ、聖グレゴリオ、聖アンブロージョのことだよ!!OK?
ということで、扉の内容はこのようになっています。
物語の配置は下から上へ…そのわけは
キリストの物語は下からスタートします。
最初の場面は「受胎告知」、そして「イエスの降誕」。続いてそのまま右の扉に話は続き、「東方三博士の礼拝」、4番目の「神殿での学者たちとの議論」の場面の次は、上の段のまた一番左のパネルに続いて…という感じで、一番上の段が、物語のクライマックス。
実は、先に完成していた南のアンドレア・ピサーノ作の扉は、左上から始まるのに、ギベルティは中途半端に下から3行目からストーリーが始まるようにしました。
確かに、普通左上から見るから、下からってなんか違和感あるなぁ~
ギベルティがあえてこの配置にした理由はただひとつ!
彼は、最もドラマティックな場面(=キリストの受難、処刑、復活など)をいちばん大切なこととして最上段に表現したかったんだ!!OK?
ルネサンス初の〇〇
彼はこの扉の中に、ルネサンス初の自刻像と自分のサインを入れています。
それは、この部分。
真ん中に、”OPUS LAURENTII FLORENTINI“と書いてあります。
現代イタリア語で「Opera di Lorenzo il fiorentino(フィレンツェ人ロレンツォの作品)」の意味。
左上の角にある自刻像の頭には、当時フィレンツェで流行していたマッヅォッキオ(mazzocchio)という帽子をかぶっています。
パネルとパネルの間には同じ時代に活躍した他の芸術家をあらわした彫刻や、たくさんの植物や昆虫の装飾も。
こういう華やかさはゴシック趣味ですね。
当時としては最先端の技術と流行の限りを尽くしたこの作品は、美しいものが大好きなフィレンツェ市民を大いに喜ばせ、最後の扉を新調するときにもギベルティに頼もう!ということになったのでした。
そして実はこの先にできた「イエスの物語」の扉、現在は北の扉にあります。もともと東の扉になる予定だったのに北になったわけは…最後の扉が素晴らしすぎたから。
ミケランジェロも惚れた!「天国の門」と呼ばれる極上の扉、フィレンツェの洗礼堂にあります。というわけで、現在の配置はこんな感じに。
外観の装飾、扉を見つめているだけでも時間がすぎてしまう美しいフィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂。
もちろん、内部の天井モザイクも必見です!
フィレンツェの洗礼堂内部、モザイク画の内容、見どころをズバリ解説!北扉は現在はレプリカが置かれていて、オリジナルはドゥオモ付属博物館に保管してあります。
オリジナルは、ブロンズのみならず金箔の部分も修復により再現されていて、とても綺麗ですよ。