「消えてしまった」サン・ピエル・スケラッジョ教会。

      2017/07/18

サン・ピエル・スケラッジョ教会は、「消えてしまった教会」です。

現在のヴェッキオ宮殿とウフィツィ美術館のあいだのニンナ通りから、

わずかに当時の姿を残すアーチを垣間見ることができます。

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ウフィツィ美術館やヴェッキオ宮殿が建てられるはるか以前のフィレンツェの様子。手前の橋はポンテ・ヴェッキオ(ヴェッキオ橋)。

 

1000年前に歴史をさかのぼる教会

サン・ピエル・スケラッジョ教会復元予想図

サン・ピエル・スケラッジョ教会復元予想図
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

 

ロマネスク様式の教会で、建設されたのは11世紀頃

非常に重要な建物で、

後に政治の中心地となるヴェッキオ宮殿(1299年建設開始)ができるまで

宗教施設としてだけではなく、市民が集まって政治的なことを話す場所でした。

その内部にあった説教壇(現在はサン・レオナルド・イン・アルチェートリ教会に移動)で

ダンテボッカチオが演説をしたと伝えられています。

二人の姿は、ウフィツィ美術館の1階部分の柱の壁がんに

彫刻が飾られているのを見ることができます。

dsc_1587ダンテ・アリギエーリ
dsc_1585ジョヴァンニ・ボッカチオ

教会が接する「ニンナ通り」の由来

この教会の内部には、チマブーエ作の美しい聖母子のフレスコ装飾があったとされ、

その聖母のしぐさが赤ん坊のイエスを寝かしつけるようだったので、

フィレンツェ人は親しみを込めて

子守歌(=ニンナ・ナンナ/Ninna nanna)の聖母」と呼んだそうです。

そこから、この教会に接する通りはニンナ通り(Via della Ninna)と呼ばれるように。

残念ながら、行政長官の宮殿(現ヴェッキオ宮殿)を作る際に隣接する道を広げるため

この教会は縮小され、このときにチマブーエのフレスコ画は壊されてしまいました。

姿を消した教会

そして、教会自体も最終的に1560年、コジモ1世がヴァザーリに命じて、

後のウフィツィ美術館となる建物を作らせたときに、

その一部として組み込まれ、その姿を消してしまいました

現在は、ウフィツィ美術館の外壁に残されたわずかなかつての姿と、

いくつかの資料でその姿を想像することができます。

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ウフィツィ美術館外壁に、かつて教会だったアーチと、色の違う壁が見えます(写真右下のあたり)。

上に見えるのは、ウフィツィ美術館とヴェッキオ宮殿を結ぶヴァザーリの回廊の一部。

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ウフィツィ美術館建設前の様子。

左奥に見えるのがヴェッキオ宮殿、その手前にサン・ピエル・スケラッジョ教会。

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ウフィツィ美術館建設中。

教会は既に一部が切り取られています。

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この場所にありました。

現在は、残った部分はウフィツィ美術館の中に取り込まれています(普段は非公開)。

 

この記事を書いた人
フィレンツェ在住の公認観光ガイド、Azuです。
得意ジャンルは美術、街歩き、ワイン。好きな芸術家は、ブロンズィーノ。有名作品もいいけど、隠れ注目ポイントや裏話が大好き!普通のガイドブックじゃ見つからない、”ここだけの話“をお伝えします♪ 詳しいプロフィールはこちら
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