1年の運勢を占う、フィレンツェの伝統行事「Scoppio del Carro」2017

      2017/07/18

scoppio del carro

フィレンツェでは毎年復活祭の日に恒例の伝統行事があります。

 

スコッピオ・デル・カッロ(Scoppio del Carro)、1年の運勢を占う大事なお祭り。

 

今年もドゥオモ広場でフィレンツェ市民が見守る中、鳩が飛び出しました!

 

このイベントの歴史と気になる今年の結果をレポート!!

 

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復活祭とは

聖書に描かれた復活のシーン

キリストの復活 ラファエリーノ・デル・ガルボ, 1500-05 アカデミア美術館, フィレンツェ

キリストの復活
ラファエリーノ・デル・ガルボ, 1500-05
アカデミア美術館, フィレンツェ

イタリアはカトリックの国なので、年中行事のほとんどが聖書の内容と結びついています。

 

その中でも、「復活祭(Pasqua / パスクァ)」はとても大切な行事。

 

十字架につけられたイエスが奇跡の力により復活し、神の子であることが証明されたというキリスト教の根幹の教えです。

 

その場面は聖書の表現ではこんな感じ。

そして、週の初めの日の明け方早く、(婦人たちは)準備しておいた香料を持って墓に行った。

見ると、石が墓のわきに転がしてあり、

中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。

そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。

婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。

あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。

人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」

そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。

-日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書24:1-8

 

復活祭の日取り

さて、そんな大切な復活祭なんですが、実は何月何日のこと、とは聖書に明記されていません

 

書かれているのは「週の初めの日」という表現のみ。

ガイド学校の先生 カテリーナ
イエス以前の世界では安息日=土曜日、その翌日つまり日曜日が週の初めの日として扱われるの

 

そこで、325年に開かれたニケーア公会議により、以下のように復活祭の日取りが定められました。

 

「復活祭」:春分の日を過ぎた最初の満月次の日曜日

 

つまり、春分の日と満月に基づいて決まるわけですから、毎年変動するのです。

 

いちばん早い年で3月22日、いちばん遅い年で4月25日と1か月以上の開きがあります。

※カトリックの考え方。東方正教会など別宗派のキリスト教では考え方が異なる。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
観光でイタリアを訪問するときは、この日にちをチェックしておいた方がいいわよ~パスクァとその翌日、イースターマンデー(伊:パスクエッタ/Pasquetta)は連休になって、多くのお店が閉まってしまうの!

 

ほんとにびっくりするぐらい閉まってしまいます。レストランも臨時休業が多く、要注意です!

 

フィレンツェの伝統行事、Scoppio del Carro

フィレンツェでは、パスクァの日曜日に、スコッピオ・デル・カッロ(Scoppio del Carro, =山車の爆発)という伝統行事が行われます。

 

由来と歴史①第一回十字軍

十字軍

この行事の由来を遡ると、11世紀のある伝承に行きつきます。

 

当時のキリスト教世界では聖地エルサレム奪回の十字軍が始まったところ。

 

フィレンツェからも多くのカトリック信者がこの聖なる戦いに参加し、その指揮官を務めたのがパッツィーノ・ディ・ラニエーリ・デ・パッツィという人物。彼は1099年、キリストを葬ったとされる聖墓のかけらを3つ、手に入れました。

 

このかけらはこれ以後フィレンツェにて保存され、現在はサンティ・アポストリ教会にあります。

サンティ・アポストリ教会

サンティ・アポストリ教会

 

由来と歴史②聖なる火を配る儀式

ところでエルサレム解放後の聖土曜日には、十字軍の兵士たちには清めの儀式として祝福された火が配られました。

 

フィレンツェにもこの習慣は継承され、儀式に大切なをおこすのに使われたのが…

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
あの伝説の3つの石のかけら、これらを使って(摩擦によって)火をおこしたというわけなの

 

この聖なる3つの石のかけら、これらを使う権利を持っていたのはパッツィ家の人のみでした。

 

彼らはこの、火をおこして信者に配る役割を果たすため、木でできた山車を作り、フィレンツェの街の信者たちに配って歩きました。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
だからこの山車についている紋章は、パッツィ家の紋章なのよ
パッツィ家の紋章

パッツィ家の紋章
背中合わせの2頭のイルカ、青地の背景には金色の十字の模様

パッツィ家の紋章 背中合わせの2頭のイルカ、青地の背景には金色の十字の模様

長らくパッツィ家の大切な役割だったこの火を配る儀式。ある歴史的事件をきっかけにフィレンツェの有力な商人組合であるアルテ・ディ・カリマーラに一任されるようになりました。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
それは1478年の「パッツィ家の陰謀」。当時、フィレンツェの街で最も有力だったメディチ家の若き当主、ロレンツォ・イル・マニフィコとその弟ジュリアーノを亡き者にしようと、あろうことか大聖堂の中で暗殺計画が実行されたの!この時の首謀者がパッツィ家、でも陰謀は失敗に終わって計画に関わった者たちは極刑に処されたわ

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
当主ロレンツォの暗殺は失敗に終わったとはいえ、弟ジュリアーノはこの時、命を落としてしまったの…フィレンツェ一の美男と言われ、人望もあった彼の死を悼む人は多かったでしょうね

 

ジュリアーノとその愛人シモネッタが登場する有名美術作品といえばこの一枚!

由来と歴史③現代に伝わる儀式

しかし1494年、ロレンツォ・イル・マニフィコの長男ピエロの失策によるメディチ家の追放をきっかけに、パッツィ家はこの大切な役割を取り戻します。

 

以降、ずっとパッツィ家はこの大役を務めていきますが1864年にフィレンツェ市へとバトンタッチ。

 

長らく聖土曜日に行われていたこの行事は、1956年からはパスクァの日曜日に移動されました。山車は専用の車庫から2頭のキアニーナ牛にドゥオモと洗礼堂の間にひかれてきます。

 

ドゥオモ広場に到着した後は、大司教が白い鳩をかたどったロケットに火をつけます。

パスクァのコロンビーナ

この鳩もサンティ・アポストリ教会に保管されています

 

この鳩のことをコロンビーナと呼び、これは山車まで糸をつたって飛んで、花火に点火!

 

この花火が激しく散る様子が、かつて市民に火を配った儀式を模しているのです。

scoppio del carro

コロンビーナは点火した後、出発した場所(ドゥオモの主祭壇)まで戻るんですが、もしも山車まで届かなかったり、ちゃんと元いた場所まで戻れなかったりすると、来たるべき年はよくない一年になる…と、フィレンツェの街の吉凶を占う役目があります。

 

ここ最近はコロンビーナはこの大役を失敗していません。記録によると最後に失敗したのは1966年

 

フィレンツェ人にとっては忘れられない、街に甚大な被害をもたらした、アルノ川の大洪水が起こった年となりました。

 

気になる2017年の結果は?

 

というわけで、無事、ドゥオモ内を飛び立った白い鳩は、また来たところへと無事到着。

 

これにより、この1年は良い年になるぞ!と保証されたのですね。良かった良かった!!

 

この記事を書いた人
フィレンツェ在住の公認観光ガイド、Azuです。
得意ジャンルは美術、街歩き、ワイン。好きな芸術家は、ブロンズィーノ。有名作品もいいけど、隠れ注目ポイントや裏話が大好き!普通のガイドブックじゃ見つからない、”ここだけの話“をお伝えします♪ 詳しいプロフィールはこちら
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