フィレンツェの中心、ドゥオモから徒歩1分のところにあるサン・ロレンツォ聖堂。こちらの教会も歴史が古く、その起源を4世紀ごろにさかのぼることができます。
“未完”のファサードと言い、内部の落ち着いた美しい空間と言い、フィレンツェに来たら絶対に訪ねるべき場所のひとつ。
その中の、ブルネレスキの設計による『旧聖具室』という場所に、謎の壁画があります。
どんな壁画なのか、そして謎はなんなのか、ご紹介します!ミステリーとか、占星術好きの人なら、ハマるかも…!?
目次
サン・ロレンツォ聖堂の『旧聖具室』とは
サン・ロレンツォ聖堂教会にはファサード左側の扉から入ります。
入ってすぐに驚かされるのが、外観の無骨な感じのイメージと対照的な、洗練された落ち着いた空間。
これぞブルネレスキ!という、調和のとれた美しい建築作品です。
見どころの多い教会ではありますが、今回の主役『旧聖具室』に向かいましょう。
まっすぐ内部に進み、中央祭壇の左手側に木製の扉がついた小さな空間があります。
この部屋が『旧聖具室』。ここもブルネレスキの設計による、「パーフェクトな調和」を目指した完成された空間です。
ちなみに聖具室とは、ミサで使う聖具や聖職者の祭服、その他教会の備品などを納めておく部屋のことです。
そして『旧』があるということは『新』もあって、そちらはミケランジェロによる設計。入口はメディチ家礼拝堂からになっています。
メディチ家礼拝堂さて、旧聖具室の部屋の中央には大きな大理石のテーブル的なものが。
こちらは、メディチ家の祖とも言うべき、メディチ銀行を創設したジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチとその妻のお墓です。
ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ~華麗なるメディチ一族の創始者そして突き当たり部分には祭壇があります。その祭壇の上を見上げてみると、小さなクーポラがあって、そこに美しい夜空が描かれた壁画があります。
これってフレスコ画かな?
実はこの壁画は、「イントナコ・ア・セッコ」という技法で描かれていて、正確にはフレスコ画とちょっと違います。
壁画の内容
この壁画では、美しい青い夜空の中に、たくさんの星と星座が描かれています。
本当にきれいな青ねー!まさに星いっぱいの夜空の色、て感じ!
そして下の方には黄道十二宮の一部、左からライオン(獅子座)、カニ(蟹座)、二人の男の子(双子座)、牛(牡牛座)とそれが太陽の通り道であることを示す金色のベルトが描かれています。
実はこの絵、長らく何を意味しているのかは謎だったのです。
作者ペセッロ(?)と協力者
この絵を描いたのは、Pesello(本名Giuliano d’Arrigo)とされています。
この人は動物の絵を描く技術に定評があったとか。
恐らく、ブルネレスキの友人であった天文学者のパオロ・ダル・ポッツォ・トスカネッリの指導のもと、描かれたものだと考えられています。
仮説①1442年7月4日の夜空
さて、この空の絵はいったい何を表しているのか?
いまから約40年前、1984年から1989年の修復の際、「1442年7月4日のフィレンツェの夜空」を表したものである、とする調査結果が発表されました。
えっ、けっこう最近の話だね…?!
そしてこの1442年7月4日がいったい何の日かというと、…
ナポリ王レナート1世(ルネ・ダンジュー)がフィレンツェに到着した日
この人はフランス名のルネ・ダンジューの方がよく知られていて、フランス王家ヴァロワ家の分家ヴァロワ=アンジュ―家の血を引くナポリ王。先代のナポリ女王ジョヴァンナ2世が兄アンジュー公ルイ3世を後継者に指名したが彼が早世したため、兄に代わってナポリ王に即位。しかし先代の女王ジョヴァンナ2世の養子アラゴン王アルフォンソ5世がその正統性に異議を唱え、ナポリ王位争奪戦に突入しました。1442年6月2日、アラゴン王アルフォンソ5世がナポリ市内に入城し、ルネ・ダンジューは海路でフィレンツェに逃亡することに。
当時のイタリアは半島の中に大小さまざまな国がひしめく戦国時代。勢力均衡のために、いくつかの国が手を結んでひとつの国が強くなりすぎないよう、またそれに対抗できるよう、時期によってさまざまな同盟が結ばれていました。
主な大国としてはミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ジェノヴァ、ナポリ、そしてローマ教皇領。
ナポリの王位を争っていたルネ・ダンジューは、ナポリを取り戻すため、ローマ教皇・フィレンツェ・ミラノのスフォルツァ家・ジェノヴァと同盟を取り付けることを目的に旅をしていました。
彼は公式に「エルサレムの王」の称号を持っていて、十字軍を指揮する権利を持っていました。
当時の世界において、十字軍とは聖地(エルサレム)解放とビザンチン帝国の残りを包囲していたオスマントルコ軍を打ち負かすための大切な軍。その総大将ということですね!
そんな大切な人が来たからその日の夜空を旧聖具室の天井に残した…という説。
仮説②1439年7月6日10:30頃
実はこの空の日付、別の説もあります。もう一つの日付の仮説は、1439年7月6日。さてこれが何の日かというと…
フィレンツェで公会議が開かれ、レテントゥル・チェリ(Laetentur Caeli) に調印された日。
まったく意味がわかりません…。
ですよね!ものすごく簡単に言うと、当時、東西に分かれていた教会(東方正教会とローマ・カトリック教会)を再統合するための合意がなされた日、ということです。
イタリアと言えば現在でも国教がカトリックで、昔からキリスト教が公私ともに人々の世界を支配してきました。キリスト教が生まれたのはもちろん、イエスが生きていた時代の1世紀ですが、その当時のローマでは、異教とみなされ教徒は迫害されていました。
ローマ帝国においてようやくキリスト教が宗教として認められたのは313年、コンスタンティヌス帝の時代のこと。そしてその世紀の終わり、392年には帝国の国教として定められました。
しかしそれからほどなくローマ帝国は東西に分裂します。
西ローマ帝国はそのままローマを首都に、キリスト教を存続させていきます(ただし476年に西ローマ帝国は滅亡)。イエスの一番弟子ピエトロ(ペテロ)を初代とするローマ教皇はそのままそこを本拠地としました。こちらがカトリック。
一方、東ローマ帝国は首都をコンスタンティノープルに定め、ビザンツ帝国となり、しばらくしてギリシア正教会が誕生します。
この東西二つの教会は非常に仲が悪く、というのも本来キリスト教では偶像崇拝(神やイエス、その他聖書の出来事などを絵や彫刻等で表現してそれを拝むこと)を禁止していたのですが、本拠地で西ローマ帝国が滅亡してしまったローマ教皇がとった政策がまさかのそれ。
つまり、旧帝国に侵入してきたゲルマン人やフランク人などに、キリスト教(アタナシウス派)に改宗させるためにそういった聖像を使ったんですね。この時点で東方教会からは白い目で見られるローマ・カトリック。
さらに!イスラム人に攻め入られた東ローマ帝国を救い聖地を奪回するという大義名分で始まった十字軍ですが、結構中身はぐだぐだでした。1096年の第1回十字軍から失敗続きで、あげくの果てに1202年から1204年の第4回十字軍では、味方であるはずの東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルを攻撃・攻略するという残虐な行いをし、ここで東西教会の分裂は決定的なものになりました。
深い歴史背景と、教義の解釈の違いや布教の姿勢の違いなどから分裂していた東西教会は、幾度となく再統合を試みるのですが、それらはことごとく失敗していたのでした。
さて、1431年、スイスのバーゼルで始まった公会議は1438年にフェッラーラ、そして1439年にフィレンツェへと場所が移されました。
前に開催されていたフェッラーラで財政的な問題と病気の流行があったので、コジモ・デ・メディチの申し出で会場がフィレンツェになったのよ~
メディチ家は当時、教皇庁のメインバンクだったからね~
そういう色々な背景があって、ようやく1439年7月6日、東西教会がお互いに再統合に同意!ということで一致。
その記念すべき日が、サンロレンツォ教会の旧聖具室天井に描かれている、という説なんです。
この説を支える空の解釈としては、時間はだいたい10:30頃、太陽(蟹座に滞在)と月(牡牛座に滞在)がまさにこの絵に描かれている位置関係にあったとするもの。ただ、他の惑星の位置関係がはっきりしないため、反対意見も多数出ているようです。
あと一部の星の配置が、前年の終わりごろのものになっているという指摘もあるわ~
ということで、こちらの仮説②もやはり決定打にかける…ということになります。
深まる謎…なぜか別の場所に同じ絵が!?
そしてさらに不思議なことに、まったく同じ空の様子を描いたものが、同じフィレンツェの別の場所にあります。
それは、サンタ・クローチェ聖堂のパッツィ家礼拝堂。
サン・ロレンツォ聖堂の旧聖具室完成の後、1441年に建築が開始されました。
実はこちらも、ブルネレスキが注文を受けて設計・監修したものですから、間違いなく彼の指示や意向が関わっているでしょう。
そしてパッツィ家と仮説①で登場したナポリ王レナート1世(ルネ・ダンジュー)には縁があって、この時の当主アンドレア・デ・パッツィを騎士に任命したり、アンドレアの孫レナートの洗礼に立ち会ったり(彼から名前をもらった)しています。
…となると、俄然、仮説①が真実味を帯びて来るねー
パッツィ家礼拝堂だけだったらかなり確実な感じがするんだけどね~メディチとレナート1世との関わりという意味でいくと、少し弱いような気がしないでもないのよね~…
メディチ家が選ぶとしたら仮説②の日付の方がつながりが強いんですけどね!
というわけで、まだ完全に結論の出ていないミステリー、解き明かされる日は来るのでしょうか!?
サンタ・クローチェ聖堂サン・ロレンツォ教会観光情報
2023年5月現在、月~土曜日の10:00-17:30まで見学可能、入場料は9ユーロです。
今回ご紹介した旧聖具室以外にも、ドナテッロの遺作『説教壇』やフィリッポ・リッピの『受胎告知』、ピエトロ・アニゴーニ『労働者聖ヨセフと幼子イエス』、ロッソ・フィオレンティーノ『聖母の結婚』、ブロンズィーノ『聖ラウレンティウスの殉教』など、見どころたくさん!おすすめです。
また、ジョヴァンニ・ディ・ビッチのほか、息子コジモ、孫ピエロとジョヴァンニのお墓(ヴェロッキオ作)、ドナテッロのお墓もあります。
サン・ロレンツォ聖堂