地図をご覧いただくとわかるように、フィレンツェの街はアルノ川のすぐそばに発展した街。
昔からたっぷりとその恵みを受けてきましたが、同時に歴史上、何度も何度も大洪水に悩まされてきました。
近年、被害が大きかったと伝えられるのが1966年の11月4日のもの。2016年にはそれから50年の節目を迎えました。
目次
アルノ川の大洪水①1333年
恐らくそれ以前にも洪水は何度も起こっていたのですが、史実として記録される最も古いのがこの1333年のものです。
実はこの大洪水は、その後に起こったものも含めて歴史上もっとも被害が甚大だったものとされています。
しかし、実は浸水した高さで言うと1966年の方がより高くまで来たのです。
どうして水の高さが低かったのにそんなにひどかったの?
それは恐らく、
- この頃はまだ土木技術も発達していなかった
- 川の氾濫は過去に何度も起こっていたけどそんな甚大なものがなかった
などの理由で、たいした対策をしていなかったと考えられています。
それで予想外の水量に街は押し流されてしまったのでした。
この洪水により、ヴェッキオ橋のふもとにあったマルスの像が流されたと言い伝えられているんだ!OK?
さらに洪水の15年後の1348年には、ペスト(黒死病)がヨーロッパ全土を襲い、フィレンツェの町も壊滅的な被害を受けました。
これにより、ヨーロッパ全体の人口は2/3になったと記録されています。
踏んだり蹴ったりだねぇ・・・
アルノ川の大洪水②1557年
トスカーナ大公コジモ1世の支配下にあった1557年9月13日。
街にもっともひどい被害をもたらしたのひとつである洪水が起こりました。
この時、多くの被害を受けたのがサンタ・クローチェ聖堂の周辺。
この辺りはずーっと大昔はアルノ川の一部だったことや、ヴェッキオ宮殿などのある辺りと比べると土地の高さが低めで水害を受けやすいところなんです。
この時の洪水では、水は約3.5mほどに達し、サンタ・クローチェ聖堂の中にも浸水してしまいました。
広場にある建物には、浸水した高さを示すプレートが掲げられています。
これによって、内部の貴重なジョットなどの作品・フレスコ画装飾がたくさん洗い流され、失われてしまいました。
この復旧作業を命じられた、コジモ1世お気に入りの建築家、ヴァザーリは教会内部を大きく変えました。
特に、この頃主流となっていた対抗宗教改革のスタイルにするため、中心部にあった仕切り壁(tramezzo)を取り去り、内部の側廊に等間隔に石造りの礼拝堂を設置しました。
現在ではその間にはミケランジェロやガリレオ、ダンテなどフィレンツェに縁のある著名人の墓碑が設置されています。
アルノ川の大洪水③1844年
そして次の大きな被害は1844年11月の3日、日曜日の朝のことでした。
この時は10月の終わりから強い雨が降り続き、目に見えて川の水位が上がっていたといいます。
しかし不幸中の幸い、日曜日だったことが犠牲者を少なくしました。
???どういうこと??
イタリアは、カトリックの国。日曜日は、多くの人がミサに出席するために教会に集まっていたので、洪水に関する注意喚起ができたのです。
そしてみんな大切な家財道具を持って建物の上の階の方に避難することができました。
あぁ、そっか~!良かったねぇぇぇ
この時の洪水はフィレンツェの都市部だけではなく、川から遠く離れたボルゴ・サン・ロレンツォやムジェッロの地域にも及んだといいます。
ボルゴ・サン・ロレンツォはフィレンツェから30kmも離れた山の向こうにある街なんですよ!
フィレンツェではやはり、サンタ・クローチェ地区とサン・ニッコロ地区が大きな被害を受けました。サン・ニッコロの鉄橋は破壊されてしまいましたが、幸運にもその他の橋の被害は免れました。
しかし水は建物の2階部分まで達し、悪天候とボートなど資材不足で救助活動は難航しました。この時のトスカーナ大公レオポルド2世・ディ・ロレーナは、滞在先のポッジョ・ア・カイアーノのヴィッラ(別荘)からすぐに戻り、自らも救援活動を指揮し参加したそうです。
消防士、カラビニエーリ(軍隊警察)、大公警察などの活躍と、裕福な家族、外国人市民、領内の他の町からもたくさんの救助が届き、苦戦しながらも救助復旧が行われました。
アルノ川の大洪水④1966年
そして1966年11月4日。
また数日前から続く悪天候、フィレンツェだけでなくピサやアレッツォなど、トスカーナの大部分において大きな被害をもたらしました。もちろんフィレンツェも、山にも、谷にも、市街地にも多くの水が押し寄せます。
ドゥオモやサン・ジョヴァンニ洗礼堂も浸水してしまい、サンタ・クローチェ教会もやっぱり大きな被害を受けました。車などの財産はもちろん、貴重な美術作品も修復不可能なほどの被害を受けたものも多くあります。
有名なのがこちらのチマブーエ作・十字架磔刑像。
洪水後、ボランティアたちの手によって懸命に修復作業が行われましたが、残念ながらもとの美しい姿を完全に取り戻すことはできませんでした。
あれから50年
このように、たくさんの恩恵を与えてはくれるけれども時に牙をむいて襲い掛かってくることもある、そんなアルノ川とフィレンツェの街は常に共存しなければなりません。
自然をコントロールすることはできませんので、せめて被害が少ないようにと、フィレンツェでは大切な絵画など、水による損害を受けると修復の難しいものは高いところに保管するように工夫されています。
だからウフィツィ美術館の作品は2階以上にしか展示しないんだ!!OK?
50年、一応は無事で、今後もあんなことがありませんように。
そんな願いをこめて、2016年、50周年の式典がシニョーリア広場をはじめ、街の各所で行われました。