ブロンズィーノ、フィレンツェで高貴な女性を描かせたら右に出るものはいない。

      2017/03/20

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日本ではあまりその名を知られていない、ブロンズィーノ

 

1500年代にメディチ家の宮廷画家として活躍した人で、その類まれな観察力と描写力には、見れば見るほど感心します。

 

本名アニョロ・ディ・コジモ・ディ・マリアーノ(Agnolo di Cosimo di Mariano /1503-1572)、どんな人だったのでしょうか?




ブロンズィーノ修業時代、師匠ポントルモの影響

ブロンズィーノは1503年、フィレンツェの肉屋の息子として生まれます。

 

貧しい家庭の子なので、幼少期の記録は残っていません。

 

最初に彼の人生が記録されるのは15歳頃、ラファエッリーノ・デル・ガルボという画家の工房に弟子入りしたこと、続いて後に師匠でもあり生涯の友人ともなるポントルモの工房で修行していたことです。

 

師匠のポントルモというのは非常に変わった人で、大変な人嫌いで有名でした。どんな人かというと…、

  • 自分が絵を描くときは2階の自分の作業場へはしごをかけて上り、そのはしごを外して誰も入ってこられないようにしていた
  • 日常生活の記録魔だったようで、ものすごく細かい日記を残した

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
そんなポントルモと一緒にサンタ・フェリチタ教会での仕事が、恐らくブロンズィーノの最初の作品なの

 

ブロンズィーノの最初の作品

ヴェッキオ宮殿からウフィツィ美術館を通り、ピッティ宮殿までを結ぶ「ヴァザーリの回廊」の途中にあるサンタ・フェリチタ教会

 

ここにあるカッポーニ礼拝堂に4人の福音書記者(新約聖書の「〇〇の福音書」となる部分を書いた人)のフレスコ画を残しています。

 

santa_felicita_cappella_capponi_01

 

描かれているのは礼拝堂の天井の4隅の部分。

 

 

一応、4人のうちの2人はポントルモ作、2人はブロンズィーノ作とされているのですが(ヴァザーリの記録より)、見ての通りかなり画風が似通っていて、いまだにどれが誰の作かというのは学者の間でも意見が分かれています。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
この時期はまだまだ師匠ポントルモの影響を色濃く受けているのがわかるわね

 

ちなみに正面の「十字架降下」はポントルモの作品です。

 

肖像画家としてのキャリアをスタート

1531年(28歳)頃、ブロンズィーノはペーザロというマルケ州の町に引っ越し、デッラ・ローヴェレ家という裕福な一族のもとで働きます。

顔はもうちょっと若かったハズ

顔はもうちょっと若かったハズ

 

30代のうちに既に優れた肖像画家としての名声を得ており、この時期に描いたもののひとつが、パンチャティーキ夫妻の肖像画

 

これも素晴らしいです。

 

Agnolo Bronzino Ritratto di Lucrezia Panciatichi 1541ca, Galleria degli Uffizi, Firenze

ルクレツィア・パンチャティーキの肖像
アニョロ・ブロンズィーノ, 1541年頃
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

 

注文主パンチャティーキ夫妻の奥さまのルクレツィアの肖像画ですが、ベルトや指輪などのジュエリーの細かな装飾や、着ているドレスの豪華さ、胸元のレースの美しさと繊細さ、彼女の陶器のように滑らかな肌の描写などなど。

見れば見るほど、引き込まれるような作品。ため息ものです。

 

旅好き女子ナナミちゃん
うわ~ホントに写真みたい!!この時代に、ここまで正確に緻密に表現しきっているのってすごい!!

 

ブロンズィーノ、メディチ家の宮廷画家へ

ヴェッキオ宮殿のエレオノーラの礼拝堂

この肖像画より遡ること数年前、ブロンズィーノはメディチ家の仕事を初めて請け負いました。

 

それは、コジモ1世の奥さま、エレオノーラ・ディ・トレドの希望により、ヴェッキオ宮殿内の礼拝堂にフレスコ装飾をするものでした。

ヴェッキオ宮殿

ヴェッキオ宮殿

彼らは1539年にコジモ1世が20歳、エレオノーラが17歳のときに結婚。

 

政略結婚ではありましたが、コジモ1世がエレオノーラを望んだのです♡

 

二人はとても仲睦まじく、エレオノーラが40歳で亡くなるまでに、11人もの子をもうけました!

 

そして結婚の翌年、メディチ宮殿(現メディチ・リッカルディ宮殿)からヴェッキオ宮殿に引っ越してきました。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
コジモ1世は、とても強い絶対君主だったの。そして自分でもそのことを自覚していて、政治の中心であるヴェッキオ宮殿に住居を置くことによって自分の力の強さを知らしめる意図があったのよ

 

ちなみにヴェッキオ宮殿は建てられたときから現在まで、常に街の政治の中心地。いまでもフィレンツェ市の市役所が置かれています。

 

この礼拝堂は巨大な宮殿の一角にひっそりと作られていて、そこにあると知らなければ通り過ぎてしまいそうなほどさりげないですが、ブロンズィーノが施したフレスコ画は素晴らしいものです。

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エレオノーラの礼拝堂 天井
三位一体、大天使ミカエル、聖フランチェスコ、聖ヒエロニムス、聖ヨハネ(福音書記者)

<div class="linkcard"><div class="lkc-internal-wrap"><a class="no_icon" href="http://firenzeguide.net/pontormo-desposizione/"><div class="lkc-card"><div class="lkc-info"><span class="lkc-domain"><img class="lkc-favicon" src="https://i1.wp.com/firenzeguide.net/wp-content/uploads/2016/11/cropped-favicon-1.png?fit=16%2C16" alt="" /> firenzeguide.net</span> <span class="lkc-share"></span></div><div class="lkc-content"><span class="lkc-thumbnail"><img class="lkc-thumbnail-img" src="http://firenzeguide.net/wp-content/uploads/2017/01/Jacopo_Pontormo-deposizione.jpg" alt="" /></span><span class="lkc-title">"憂鬱な「十字架降下」作者ポントルモはマニエリスムの変わり者!"</span><div class="lkc-url"><cite>http://firenzeguide.net/pontormo-desposizione/</cite></div><div class="lkc-excerpt"></div></div><div class="clear"></div></div></a></div></div>

エレオノーラの礼拝堂(南壁)
アニョロ・ブロンズィーノ, 1540-45
ヴェッキオ宮殿, フィレンツェ

壁面は主に旧約聖書からエピソードが描かれていますが、このひとつひとつがすごい迫力と表現の豊かさに魅了されます!

 

人物の筋肉質かつ完全な形の表現や、マニエリスムの特徴であるからだをひねったポージングなどは尊敬していたミケランジェロの影響が見られますね。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
マニエリスムについては後で詳しくお話するわね~

 

そして、特に彼の優れているのは女性の姿の表現力。
cappella

 

美しく、柔らかく、とても人間らしい愛情のこもった表現だと思いませんか?

 

この女性は特に抱っこしている赤ちゃんの表情との差が激しく、つい見入ってしまいます。

 

コジモ1世ファミリーの肖像画シリーズ

そしてなんといってもブロンズィーノの最大の功績は、メディチ家のコジモ1世の家族の肖像画をたくさん残したこと。

 

ウフィツィ美術館の「ブロンズィーノの間」には、コジモ1世をはじめとして、

  • エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ
  • 長女マリア
  • 長男フランチェスコ(後のフランチェスコ1世)
  • 早世してしまった娘ビア
  • 小さなジョヴァンニ

 

などなど一家の肖像画がずらりと並んでいます。

 

 

中でも印象的というか、個人的におすすめなのが次の2枚。

 

大事に愛されたお姫様、ビア・ディ・コジモ・デ・メディチ

ビア

ビア・デ・メディチの肖像
アニョロ・ブロンズィーノ, 1542年頃
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

 

この可愛らしい女の子は、コジモ1世がエレオノーラと結婚する前に、別の女性との間に生まれた子で、ビアという名前です。

 

コジモ1世はこのビアのことをとても愛していて、仕事場にも連れて行くほど可愛がっていたんだとか。

 

旅好き女子ナナミちゃん
わかる~だってすごく可愛らしいよね!

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
彼女が身に着けているネックレスのトップには、コジモ1世の横顔が刻まれた貴重なメダルがついているのよ。これは父コジモが本当に彼女を可愛がっていた証拠ね!

 

繊細な刺繍の入った真っ白なドレスパールのネックレスベルトピアスなど身に着けているものがすべて高級で、大事に大事に育てられたお姫様。

 

でも小さい子らしく、左手はちょっと落ち着きなくベルトの先をいじっています 😆

 

ただ残念ながら、ビアはこの肖像画が描かれたすぐ後、わずか6歳で早世してしまいました 😥

 

コジモ1世は、その死をとても嘆き悲しんだそうです。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
この時代で強い君主にそのようなエピソードが残っているのは、とても珍しいことなのよ

 

大公の愛妻エレオノーラと息子ジョヴァンニ

そしてもう一枚、おすすめの作品はこちら。

 

コジモ1世の息子ジョヴァンニの肖像 アニョロ・ブロンズィーノ, 1544 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ(?)の肖像
アニョロ・ブロンズィーノ, 1545年頃
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

 

こちらはコジモ1世の奥さま、エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ(?)の肖像画。

 

これも間近で見るとドレスの生地を張り付けているのではないかと思うほどのリアルさ、その豪華さは誰しも肖像画の前を通る人が目を奪われてしまうほどです。

 

また身に着けているジュエリーもパールの一粒一粒に至るまで、繊細に丁寧に表現されていて、どこを見てもため息が出てしまいます!

 

エレオノーラ妃の陶器のような滑らかで透明感のある肌も、見事に表現されています。

 

この時代の高貴な女性は屋内で過ごすものとされていましたので、このように色白で美しい肌をしていました。

 

日本の平安時代のようですね!

 

「マニエリスム」の巨匠ブロンズィーノ

ブロンズィーノは、「マニエリスム」の代表的な芸術家だったとされます。

 

マニエリスムとは??

ガイド学校の先生 カテリーナ
マニエリスムとは、ミケランジェロを頂点とする盛期ルネサンスで古典様式の芸術が完成されたと考え、この様式・手法(=マニエラ)をさらに進展させ…

 

旅好き女子ナナミちゃん
…うぐっっ!!全然わからないよ!もうちょっと簡単におねがいします…

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
マニエリスムをひとことで言うのは難しいんだけど…要はミケランジェロすごい!真似しよう!みたいなイメージからスタートして…

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
その完成された芸術を真似するところから、だんだんと色んな方向に再解釈されて、最終的に特徴としては次のような感じになったの

 

「マニエリスム」の特徴
  • 極端な強調(曲がりくねったり、引き伸ばされた人体)
  • デッサンや空間の歪曲
  • 遠近法を抽象化または極端に誇張
  • 明暗の強いコントラスト
  • 大胆な構図

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
盛期ルネサンスでいったん完成して理路整然としたはずの芸術が、再解釈によって様々な形に変化していったの

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
ミケランジェロ自身もマニエリスムの先駆けとされることもあるけど、それは彼の作品「トンド・ドーニ」や「最後の審判(システィーナ礼拝堂)」の表現に、特に曲がりくねった人体表現などが見られるからなの

 

ブロンズィーノの代表的マニエリスム作品「愛の寓意」

ロンドンのナショナル・ギャラリーにある、「愛の寓意」という作品です。

 

allegoria-del-trionfo-dellamore

愛の勝利の寓意
アニョロ・ブロンズィーノ, 1540-45
ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 

中心にいるのがヴィーナス、その口元にキスをしているのがキュービッド(=エロスまたはアモレ/ヴィーナスの息子)ですが、キュービッドの体は引き伸ばされ、不自然なバランスになっています。

 

右側の男の子(”喜び“)も体型としては妙に長く、体をひねった特徴的なポーズをしています。

 

こんな感じの、一見、ちょっと変… 😕 な印象を受ける特徴を持つマニエリスムという様式、17世紀以降は巨匠ミケランジェロの単なる模倣であり、「創造性を失った芸術」として低評価になりました。

 

ガイド学校の先生 カテリーナ
ここから「マニエリスム」は型にはまって新鮮味がない、飽きた、つまらないといった「マンネリズム」の意味を持つようになったの

 

ちなみにこの作品、解釈するのがとても難しい作品です。

 

口づけを交わすヴィーナスとキューピッドは、愛し合っているように見えてお互いに相手に見えないように相手のものを盗もうと手をかけています。

 

ヴィーナスはキューピッドの矢、キューピッドはヴィーナスの髪飾り。

 

このことは、お互いに「裏切り」を働く可能性があると示しています。

 

二人の左後ろで頭を抱えている人物は「嫉妬」を表し、二人の向かって右手には「喜び」を表す男の子、でもその足は鎖でつながれています。

 

その男の子の後ろには女の子、でも体が蛇で足がライオンという奇妙な姿をしています。手も左右逆についていますね。これは「欺瞞」を表していて、ヴィーナスの足元に置いてある仮面もそうです。

 

右後ろに描かれた老人は「時」の神様、つまり愛の快楽にふけっていると魔法のように時間が過ぎ去ってしまうということを示しています。

 

ブロンズィーノは結局、どんな人物だったのか?

残念ながら、ブロンズィーノの私生活や人となりを伝える資料はあまり残っていないんです。

 

本名ではなく「ブロンズィーノ(Bronzino / ブロンズ色の)」と通称されるのは髪の色がそうだったから、と言われることや、生涯を独身で通したことくらい。

 

他人の肖像画は数多く描いたにも関わらず、自画像はほとんど残しておらず、どんな人物だったのかはほぼ想像に頼ることになりますが、おそらく身近な人たちにとても愛情深く接したのであろうエピソードが残っています。

 

それは、師匠のポントルモと、弟子のアレッサンドロ・アッローリに関するもの。

 

ブロンズィーノ「聖ラウレンティウスの殉教」

ブロンズィーノ「聖ラウレンティウスの殉教」
左上の3人がブロンズィーノ、ポントルモ、アッローリの肖像画

 

ブロンズィーノはポントルモと長らく生活を共にしており、ポントルモ亡きあとは弟子のアレッサンドロ・アッローリと暮らしていて、最期に亡くなったのもアッローリの家でした。

 

お葬式にはたくさんの同時代の芸術家たちが駆けつけ、その死を嘆き悲しんだということです。

 

これは想像でしかありませんが…

 

自画像をたくさん残した芸術家が同時代にもいたにも関わらず、彼はそうではなかった謙虚な人物。そして目立つわけではなかったけど、とても周りの人を大切にする穏やかな人物だったのではないでしょうか。

 

そうでなければ、気性が激しかったと伝えられるコジモ1世に気に入られることは難しく、大切な家族の肖像画をあんなにも任されることはなかったのではないかと思われるからです。

 

正確で繊細で、様式にのっとった「マニエリスム」の名にふさわしい、整った作品を残した、心優しい芸術家。

 

私の中のブロンズィーノはそんなイメージです。

 

ポントルモ
いいやつだったよ

 

この記事を書いた人
フィレンツェ在住の公認観光ガイド、Azuです。
得意ジャンルは美術、街歩き、ワイン。好きな芸術家は、ブロンズィーノ。有名作品もいいけど、隠れ注目ポイントや裏話が大好き!普通のガイドブックじゃ見つからない、”ここだけの話“をお伝えします♪ 詳しいプロフィールはこちら
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