カトリックには聖書に基づいて、宗教的な祭事が定められています。
「受胎告知」もその大切な日のひとつ。
イエスの誕生日が12月25日であることからその9か月前、3月25日は「受胎告知」の日と定められています。
これは救い主イエスがこの世に現れることを予告されるという、宗教的にとても大事な意味を持つできごと。
古くから人気のテーマで、多くの教会ではこの場面を描いた絵画を注文し、芸術家たちはそれぞれの解釈に基づいてその場面を表現してきました。
目次
「受胎告知」とは
「受胎告知」とは、新約聖書に登場する一場面。
ナザレの大工ヨセフと婚約していたマリアのところに大天使ガブリエルが現れてこう言います。
「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます」
つまり、普通の人間の女性であるマリアが神の子を身ごもる(受胎)という奇跡が起きたことを告げる(告知)のです。
聖書の記述ではこんな感じになっています。
…天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。
ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」
マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」
天使は答えた。「聖霊があなたに降り(くだり)、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
あなたの親類のエリザベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。
神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
-日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書1:26-38
この描写をモチーフに様々な絵画が表現されているんですが、作者によってその切り取った瞬間が色々。
シモーネ・マルティーニの「受胎告知」という作品の解説で書きましたが、「受胎告知」には大きく分けて4つのパターンがあります。
- 天使が突然目の前に現れて驚き、マリアが怖がる(戸惑う)
- 天使に妊娠を告げられ、マリアが「なぜ私が?」と驚く
- 天使の言ったことをマリアが受け入れる
- 天使が飛び立つ(マリアは見送る?)
このパターンがあることを頭に入れて見ると、同じ「受胎告知」というタイトルの作品でもそれぞれに作者が重視したかったポイントが分かるので面白いわよ~
ちなみに「受胎告知」はイタリア語では「Annunciazione(アンヌンチアツィオーネ)」、英語では「Annunciation」と言います。
アナウンスのことをイタリア語でAnnuncio(アンヌンチョ)と言いますので、あることを知らせるという意味の同じ語源から来ているんですね!
「受胎告知」を描く絵画に登場するものと意味
「受胎告知」をテーマとする絵画作品には、いくつかの特定のシンボルが登場します。
必ず登場するもの
聖母マリア
主役二人のうちの一人ですから、はっきりとわかりやすく描かれます。
聖母マリアのテーマカラーは青、だから青いマントの姿で、中に着ている服は赤やピンクなどが多いです。
多くの場合、手元には読みかけの聖書。これは天使が現れた瞬間に旧約聖書の「イザヤ書」の中の、「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエル(=「神は我々と共におられる」の意)と呼ばれる」と書かれた箇所を読んでいたとされるため。
とはいっても実は、新約聖書にはマリアとガブリエルの会話があるだけで、マリアが聖書を読んでいたとする解釈はキリスト教初期にはなかったのよ
だから、このようにマリアが聖書を読んでいたところに天使が現れた、という解釈はもっと後の時代(11世紀頃~)に広まったものとされているの
大天使ガブリエル
もう一人の主役、神の意思によりマリアがメシア(救世主)を身ごもることを告げに来る大天使ガブリエルです。
上空からまさに降りて来る様子で描かれることもあれば、すでに着地しているときも。
ちなみにガブリエルは三大天使のうちでも、最も美術作品に登場する回数が多いように思いますが、多くはこの「受胎告知」がテーマの作品内で見かけます。
三大ってことは、他にも大天使が?
他の二天使は、ミカエルとラファエル。ミカエルは戦いを象徴する場面でよく登場し、ラファエルはトビアスという少年を伴って描かれます。
白い百合の花
これは多くの場合、天使ガブリエルが手にしています。
白い百合の花の意味は、聖母マリアの純潔の象徴。
神の意思により、処女のまま身ごもった(だからこそ奇跡であることが証明された)ことを意味するために描かれます。
別々に描かれていても
この3つのシンボルが描かれていたら、「受胎告知」で決定。
このテーマは本当によく描かれるんですが、必ずしも一枚の絵の中に描かれるとは限りません。
例えば…
この作品で中心にあるのは十字架から降ろされたイエスを抱きかかえるマリア(ピエタ)、そして二人を囲む人々が悲しんでいる図像ですが、両サイドをよく見ると
それぞれ別の板絵に描かれていますが、左のガブリエルと右のマリア、合わせて「受胎告知」の場面を表現しています。
この作品が見られるのはこちら
ヴェッキオ宮殿、アルノルフォの塔、古代ローマ劇場遺跡必ずではないけど、よく描かれるもの
聖霊を表す白い鳩
神の意思を伝える役割をする聖霊(Santo Spirito)は白い鳩で表現されます。
マリアの方に向かって光線のようなものを放っていることもあります。
大天使ガブリエルまたは聖霊に告知を促す神
多くの場合、描かれていないか、描かれても絵の後方部分に小さく、という感じ。
本来、主役級の登場人物(?)なんですが、聖書の中には神がどうした、という記述はなく、「神がこう言っておられる、と天使が伝えに来た」というような、伝聞の形でしか登場しません。
糸巻き
これはちょっと珍しいパターン。
大天使ガブリエルがやってきたとき、マリアは神殿用の幕を作るために糸を紡いでいたという、2世紀に記された「ヤコブ原福音書」の中の記述に基づく表現です。
この「ヤコブ原福音書」という書物は、マリアを中心にイエス誕生までの物語を描いていて、当時は広く読まれ、その内容は宗教画などに表現されていました。
しかし現在では、キリスト教における正式な経典(正典)とはみなされていない「外典」の一部という位置づけになっています。
絵画作品で「受胎告知」を描いているもの
日本でもよく知られている「受胎告知」といえば、レオナルド・ダ・ヴィンチのものが有名ですが、実は他にも有名な同じテーマの作品がたくさんあります。
シモーネ・マルティーニ (Simone Martini)
4つの「受胎告知」の場面のうち、一番最初の驚くマリアを描いたもの。
1333年に描かれ、作者のサインと日付入り。
背景全体に金色が使われ、床の大理石や天使のマントなど、豪華な装飾が特徴的で、まさにゴシック芸術の極みです。
見どころについて詳しくは、こちら!
シモーネ・マルティーニ『受胎告知』豪華絢爛なゴシック美術の極み。ベアート(フラ)・アンジェリコ (Beato [Fra’] Angelico)
「光の画家」と呼ばれたベアート(フラ)・アンジェリコ。
フラ・アンジェリコって聞いたことあるけど…ベアートってなぁに?
日本では修道士を表すフラ・アンジェリコと呼ばれることが多いですが、イタリアはじめ他の国では福者であることを表すベアート・アンジェリコと呼ばれます。なので、美術館で作者を示すプレートには「ベアート・アンジェリコ」と描かれていることが多いですが、同一人物ですよ!
ちなみに本名はグイド・ディ・ピエトロ(Guido di Pietro)、「アンジェリコ」も実は「天使のごとき」という意味のニックネームよ
非常に敬虔なドメニコ会の修道士で、キリストの磔刑図を描くときには涙を流しながら描いていたというエピソードが残るほどの人物。実は福者に認定されたのはごく最近、1982年のことなんですが、生前よりその言動が素晴らしかったので既に「ベアート」と呼ばれていたとか。
その作風は信仰心に溢れ、繊細で清らかな表現。きっと本人の性格もとても穏やかで優しかったんでしょうね。
この作品があるサン・マルコ美術館は彼のための美術館。どの部屋にも、中庭の回廊にも、たくさんの場所に彼の残した宗教画が溢れています。
ガイド学校の先生カテリーナ
展示されているのはサン・マルコ美術館のとあるとっても目立つ場所なんですが、そこに置かれた意味も含めてとても深~い作品。
鑑賞する機会に恵まれたら、それもじっくり考えてみてください!
正解は、またいずれ別の機会にご紹介しようと思います。
サン・マルコ美術館【フィレンツェ】レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci)
たぶん、「受胎告知」というタイトルを持つ絵画の中では、日本では最も知られているのではないでしょうか。
1472年頃、レオナルドがヴェロッキオ工房での修行中に仕上げたとされています。
その根拠は、マリアの前にある、聖書を置く台の下の豪華な装飾の描写…これは、師匠ヴェロッキオの作品、サン・ロレンツォ聖堂にあるメディチ家のピエロ・イル・ゴットーゾとその弟ジョヴァンニの棺を描いたものとされています。
足の形や装飾の雰囲気がよく似ています!
これは4つのパターンでいうと2番目の「なぜ私が?」という場面かしらね
レオナルドの代名詞ともいえる「空気遠近法」、故郷ヴィンチ村で培われたのであろう遠景の観察力と表現力が見事!ガブリエルの持つ白い百合がこの上なく詳細に、精密に描かれているところ、背景にトスカーナ独特の糸杉が描かれているところも見どころです。
この作品が見られるのはこちら
ウフィツィ美術館アレッサンドロ・アッローリ (Alessandro Allori)
シンボル「糸巻き」が登場する珍しい作品。
フィレンツェのスーパーアイドル、ダヴィデくんのお家、アカデミア美術館にあります。
この絵のサイズが小さいこともあり、やはり圧巻のダヴィデくんで大満足して見ないで帰ってしまう人がほとんどですが、よく見るとその細やかな美しい表現や、いままさに天使が告知しようとしている場面の躍動感に惹きつけられます。
マリアが天使の方を向いていないのは少々珍しいですね。
まさに、そのあなたのお腹に御子が宿ったのですよと言われて驚いて自分のお腹を見ているような感じ。
作者アレッサンドロ・アッローリはブロンズィーノの弟子、マニエリスム時期の代表的な画家のひとり。
師匠ブロンズィーノ亡き後、絵画部門でメディチ家の注文を一手に引き受けました。
この作品が描かれたのは1603年で、16世紀後半の対抗宗教改革のあとの時代のことなので、非常に場面と登場人物がわかりやすく描かれているのが特徴ね
この作品が見られるのはこちら
アカデミア美術館エル・グレコ (El Greco)
この作品は日本で見られる貴重な一枚。
岡山県の大原美術館の所蔵です。
作者エル・グレコ(1541~1614)はギリシア・クレタ島出身。
当時のクレタ島はヴェネツィア共和国の支配下にありました。彼はヴェネツィアに滞在し、当時もっとも活躍していた画家、ティツィアーノ、ティントレットなどヴェネツィア派の影響を強く受けています。ちなみに本名はドメニコス・テオトコプーロス(Doménikos Theotokópoulos)で、イタリア語でギリシア人を意味する「Greco(グレコ)」にスペイン語の男性定冠詞「El(エル)」がつけられたもの(Wikipedia参照)。
この作者は「受胎告知」と題される作品を多数、残しています。とても好きなテーマだったんでしょうね。
そのうちの一枚が日本にある奇跡。これはある日本人洋画家とそのパトロンの偉大な先見の明によるものです。
1922年当時フランスに滞在していた児島虎次郎は、とあるパリの画廊でエル・グレコの『受胎告知』という作品が売りに出されていたのを眼にした。この作品の素晴しさを見抜いた児島ではあったが手持ちがなかったため、自身の出資者である大原孫三郎に送金を依頼、大原も送られてきた写真を見て了承し、児島は『受胎告知』を購入すると日本へ持ち帰った。結果的にこの二人の判断は的中し、現在では『受胎告知』が日本にあることは奇跡とまで言われている。
-Wikipedia「受胎告知(エル・グレコ)」より引用
ちなみにこの作品は天使が右、マリアが左に描かれるというちょっと変わった構図。
普通、絵画の世界において右は神聖なもの、左は俗なるものまたは悪魔を表すとされますが、「受胎告知」の場面においては登場人物が聖母と天使という、どちらも聖なる存在。
このような場合は、より神聖性が高い(=神に近い)ものが右に描かれ位階を表すようにします。つまり、普通のパターンでマリアが右に描かれるのは、そのお腹に既に神の子であるイエスが宿っており、その存在がより神聖であるため。
では、エル・グレコはなぜ、逆の配置に描いたのか?
ちょっと考えてみてください!
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正解は、作者自身に聞かないとわかりません。ゴメンナサイ。
が、この配置に描く場合の想定は神の目線から見たものであるという説があります。
つまり、普通のパターンだと鑑賞者から見て「右」が神聖なもの。
それに対してこの説の場合、絵の向こう側にいる(であろう)神から見て「右」(つまり鑑賞者から見ると左)に神聖なものを置いたということになります。
旅好きナナミちゃん
イメージ図はこんな感じ。
…伝わりましたか??(;・∀・)
色々な「受胎告知」とそのシンボル、お楽しみいただけましたでしょうか?
それでは、また!