カトリック世界の主人公は、なんといってもイエス・キリスト。
恐らく世界中で最も名前が知られている存在でしょう。
ヨーロッパの、特に近世以前の美術作品を鑑賞するときには、聖書の内容がわかると断然意味が分かって面白いんです!
宗教的な信条や解釈ではなくて、美術作品の中に登場するイエスが、いったい何をしているシーンなのか、その作品が何を語りたいのか、少しでもわかると、俄然興味がわいてきますよね!
簡単にですが、イエスの伝えられている生涯といくつかのエピソードをご紹介します。
目次
「イエス・キリスト」の意味
日本では一般的に呼ばれる「イエス・キリスト」。
実は「キリスト」は名字ではありません。
これは、ヘブライ語の「メシア=膏(あぶら)を注がれた者」の意味です。
つまり、彼らの世界においては預言者・祭司・王などを表す言葉でした。
ユダヤ教など他の宗教ではイエスをキリスト(=救世主)であるとは考えないので、一般には「ナザレのイエス」と呼ばれ、キリスト教においてのみ「イエス」=「キリスト」として扱います。
イタリアの美術に関する本や説明などで個人名を表記したいときには、「イエス(Gesù)」という表現をされることが多いのよ
イエスの生涯(前半)
聖書などによると、イエスは紀元前7年頃から紀元前2年頃の間の12月25日(?)にエルサレムで誕生し、30年前後、生きていたとされています。
結構若くして亡くなったんだね…
さて、新約聖書の中のエピソードは、4人の福音書記者(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)による記録がもとになっています。
人によって思い入れのある部分が違うから、または伝承によるものなので多少の誤差がありますが、大方のストーリーが以下のような感じ。これらをもとに宗教画や美術作品が表現されています。
一般に、聖書は「旧約聖書」と「新約聖書」の二つ。イエス誕生以前は聖書といえば「旧約聖書」のみ(=ユダヤ教)、イエスの生涯とその弟子たちの言動や教えを説いているのが「新約聖書」という位置づけなの。だからイエスが生きている段階では、”キリスト教”というものはまだないし、「新約聖書」ができたのももっと後のことなのよ
1.受胎告知
ヨセフの婚約者であったマリアは、結婚前に精霊により身ごもり、そのことを大天使ガブリエルから告げられます。
シモーネ・マルティーニ『受胎告知』豪華絢爛なゴシック美術の極み。イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。
母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、精霊によって身ごもっていることが明らかになった。
夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
日本聖書協会「新約聖書」マタイによる福音書1:18-21
2.降誕(クリスマス)
イエスの降誕は、聖書には飼い葉桶のあるところであったと書かれています。
具体的な場所の記載はありませんが、飼い葉桶があるということは、馬か牛がいるところだろう、ということで、この場面が描かれるときには馬小屋のような場所として表現されます。
この作品も、イエスの後ろから馬と牛がのぞき込んでいます。ちょっと愛嬌があって可愛いですよね!
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。…(羊飼いたちは)急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書2:6-16
…が、実は誕生日が12月25日だったとは聖書にはひとことも書いていません!(; ・`д・´)
なので、実際のお誕生日は不明…というのが正解です。
クリスマスはキリスト教の行事ってみんな知ってる?意味と由来を解説!3.東方三博士の礼拝
キリストの誕生を悟った博士たちが、お祝いの品を持って駆けつける場面です。
実は彼らが三人であったかどうかは定かではありません。
でも、持ってきたお祝いの贈り物が黄金、乳香、没薬であったと聖書に書かれているため、一人一つで三人だろう、と予想され、今に至ります。
ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」が表す、エピファニア(公現祭)の世界観。(占星術の学者たちが)言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」…東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
日本聖書協会「新約聖書」マタイによる福音書2:2,9-11
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
4.ヘロデ王の幼児虐殺
先ほどの東方の三博士が「ユダヤ人の王がお生まれになったと思うのですが」と聞いた相手は、ヘロデ王です。
この質問を聞いたヘロデ王は、自分を脅かす存在が生まれたと恐れました。
そこで彼は東方の三博士に対し、その居場所がわかったら自分も拝みに行きたいから教えてくれと言います。
しかし本心は、見つかり次第こっそり殺してやろうと考えていたのでした。
なななんと…!!!逃げてーーー!!
イエスを無事、拝むことができた博士たちは、夢のお告げでヘロデのところに帰るなと言われたため、そのままそ知らぬふりをして自分たちの国へ帰ります。
このことを後に知ったヘロデ王は怒り狂い、結果、周辺地域の2歳以下の男児をすべて殺害させたのです…!
(東方三博士よりユダヤ人の王が生まれたと)聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。…そして、(彼らに)「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。…(博士たちがイエスに贈り物を献げたあと)「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
(中略)
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。
日本聖書協会「新約聖書」マタイによる福音書2:3, 8, 12,16
5.エジプトへの逃避
ヘロデ大王の企みを”父”ヨセフの夢に現れた天使が知らせ、一家そろってエジプトへ避難することに。
占星術の学者たちが帰っていくと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
日本聖書協会「新約聖書」マタイによる福音書2:13-15
ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。
6.イエスの神殿奉献
イエスが生まれた頃に主流だったユダヤ教では、男子が生まれると神殿に捧げられることになっていました。
日本で言うお宮参りのようなものですね。
さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子(=イエス)を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。
日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書2:22-23
それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。
7.イエスの洗礼
それから、成長したイエスはヨハネから洗礼(=原罪を清め、神の前に出ることができるようになるための儀式)を施されます。
ヨハネというのは実はイエスの遠縁にあたる人。
この洗礼者ヨハネも、天使から父ザッカリア・母エリザベトに受胎告知の上、生まれたという経緯がある人。
もちろん、キリスト教にとってはとても重要な存在なのであちこちの美術作品に登場します。
ちなみにフィレンツェの守護聖人です。聖ヨハネはイタリア語でSan Giovanni(サン・ジョヴァンニ)となるため、フィレンツェの洗礼堂は彼の名が付けられています。
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂、見どころ全部お伝えします!そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
日本聖書協会「新約聖書」マルコによる福音書1:9-11
水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、”霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。
つまり、イエスが洗礼を受けた瞬間に、天から鳩の姿をした精霊が降りてきて、同時にこの人こそ神の遣わした人である、というアナウンスがあったということです。
背景こそが面白い。ヴェロッキオ「キリストの洗礼」見どころを徹底解説!イエスの生涯(後半)
中盤のエピソード
この後、聖書のエピソードはもりもりと続いていくのですが、実は他のエピソードに比べて美術において表現されることがやや少ないのです。
なので、ここはちょっとお話を端折りまして、キーワードだけをご紹介。
- ヨハネによる洗礼後、荒野に出て四十日間の断食
(この間に悪魔による誘惑を受けるも、はねのける) - 主だった弟子たちの中から十二使徒を選び、宣教を開始
- 人々に多くのたとえ話を用いて神の教えを説く
- 次々に奇跡を起こし、姿を変えたりもする(変容)
- エルサレムに入城
- オリーブ山で説教
こうして次第に信者を増やしていったイエスは、同時に権力者たちから憎まれるようにもなりました。
また、人々の中にも信者だけではなく、「あいつは怪しい!」と言い出す人も。
そしていよいよ物語はクライマックスへ…
8.最後の晩餐
ユダの裏切りがあまりにも有名なこのシーン、「最後の晩餐」です。
イエスは自ら選んだ十二人の弟子たちとともに夕食をとり、その席で「あなたたちのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」と衝撃発言!!(; ・`д・´)
ユダを除く、寝耳に水の十一人は「嘘だ」「そんなまさか」「誰だ、それは」とワイワイガヤガヤ。
この時に、イエスが「私がパンを裂いて与えたものが、その者である」というクイズのようなことを言ったので、ユダがパンを受け取っているシーンが描かれているものもあります。
この予言がされたのが木曜日で、十字架につけられたのが金曜日、そして3日目つまり日曜日にイエスが復活したことから、復活祭(パスクア/Pasqua)は毎年日曜日に設定され、その前の木曜日を「聖なる木曜日」、翌日を「聖なる金曜日」として、キリスト教ではとても大事な日と位置付けられています。
復活祭(パスクア)は、「春分の日を過ぎた最初の満月の次の日曜日」と定義されていて、毎年日付が変わるのよ
フィレンツェで見られる「最後の晩餐」シリーズ。イエスやユダの見分け方は?夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。
(中略)
イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」
弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合せた。(中略)
イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。
ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは、「しようとしていることを、いますぐ、しなさい」と彼に言われた。(中略)
ユダはパン切れを受け取ると、すぐ出て行った。夜であった。
日本聖書協会「新約聖書」ヨハネによる福音書13:2, 21-22, 26-27, 30
9.十字架磔刑
そして予言通り、ユダヤ人総督のピラトに引き合わされた後、祭司長たちと議員たちと民衆の意見を総合した結果、イエスは十字架につけられることが決定しました。
イエスはいばらの冠をかぶせられ、自ら十字架を背負ってゴルゴダの丘へ。
二人の罪人とともに十字架に架けられます。
罪人二人のうち一人は、イエスのことを罵ります。
お前はメシアだと言っていたではないか、自分自身と我々を救ってみろ
それに対し、もう一人の罪人はこれをたしなめます。
我々は、自分のやったことの報いをうけているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない
最終的に、後者の魂は死後にイエスによって救われました。
この二人が一緒に描かれる作品もあります。
向かって左がイエスのことをかばった罪人。罪人なのに聖なるものを示す光輪が頭の上に描かれていることからそれがわかるわ
そしてこの後、イエスは息を引き取り、十字架から降ろされた後、遺体は亜麻布にくるまれて、岩に掘った墓に納められました。
10.イエスの復活
埋葬されて3日後、かねてからの予言通り、イエスは復活します。
聖書では、香油を持った女性たちがイエスの墓に行ったところ、そこは既に空になっていて天使が待っていました。
天使は主の復活を告げ、そのことを他の人たちに伝えるようにと指示します。
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
(中略)
番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
日本聖書協会「新約聖書」マタイによる福音書28:1, 4-8
天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなた方より先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。
すると、イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。
11.エマオの晩餐
イエスの復活を婦人たちは使徒たちに伝えますが、彼らは信用しませんでした。
ちょうど同じころ、エマオという離れた村で、別の二人の弟子がイエスの復活の真偽を話しながら歩いているとイエスが近づいてきて一緒に歩き始めます。
しかし彼らは、その人がイエスだとは気づきませんでした。
その夜、一緒に食事をしたときに、イエスがパンを取り、裂いて渡す様子を見て、二人はその人がイエス自身だと気づきます。
その瞬間、イエスの姿は見えなくなりました。
ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。(中略)
一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。
日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書24-13-16, 30-31
すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
食事のシーンが描かれている絵画で有名なのは「最後の晩餐」だけど、同じくこちらも食事のシーン。食卓についている人数に注目すると、どちらの場面かがわかるわ
この一連の復活とエマオの晩餐の場面は、モーセの予言書から始まって、聖書(この場合は旧約聖書)に書かれているすべてのことが実現されるために起こった(つまり書かれていることがすべて正しい)、と書かれています。
12.イエスの昇天
全ての仕事を終えたイエスは、天上にいる父なる神のもとへ行きます。
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。
日本聖書協会「新約聖書」マルコによる福音書16:19-20
一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。
というわけで、その後の弟子たちの活躍によりキリスト教は世界に広まり、たくさんの美術作品に表されてきました。
中世の美術作品が宗教画ばかりなのは、字の読めない人たちにもイエスの教えを伝えることができる手段として、重宝されたからなのよ
そして世界三大宗教へ
サン・ピエトロ寺院はイエスの一番弟子だったピエトロ(ペテロ)がこの地に教会を建て、自身が葬られた場所。
現在もカトリックの総本山としてローマ教皇がいらっしゃる場所で、世界中の信徒の尊敬の念を集めています。
バチカン教会統計局が発表する2016年「教皇庁年鑑」によると、全世界のカトリック信者数は12億7千万人、世界人口の17.8%だそうです。
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