16世紀末のイタリアで活躍した画家、カラヴァッジョ。
その大胆な構図や作風から「光と影の画家」として有名な彼ですが、今回はそんな彼の作品のうちでも貴重な作品、「イサクの犠牲」をご紹介します。
目次
カラヴァッジョという画家を知っていますか?
本名はミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョといいます。
ミケランジェロ…?
そう、あのダヴィデくんの生みの親、ミケランジェロ・ブオナローティと同じ名前!
天才っぷりもどこか通じるものがあります。
日本でも2010年にその人生が映画公開されました。
彼の作品は、主に光と影の大胆なコントラストが目を引き、それ以前の時代にはあまりなかった雰囲気でした。
例えば果物の静物画を描くときに、ちゃんと枯れた葉や腐った部分も表現したり。
その時代には絵に表すのは美しいものに限る、という風潮だったから
わざわざ汚いものを描く神経が信じられない!!(。-`ω-)
とけなされまくりました。
だから最初の頃は全然売れなかったんです。
でも彼は自分で見たものだけ、現実的なものしか描きたくないと、主義主張を貫きました。
次第にそんな彼の才能を認めてくれる人が現れます。
若い頃の作品はこんな雰囲気でした。
これは、20代前半の作品。一説によると、カラヴァッジョ本人の自画像だと言われています。
ボッティチェリみたいに華やかな画面ではないけれど、先ほどのバッカス同様、みずみずしい表現ですね!
しかしあることをきっかけに、作風がガラリと変わります。
このお話はのちほど!
後半の作品はこんな感じ。これは30代後半。
今日ご紹介する「イサクの犠牲」は大体、30歳前後ぐらいの作品です。
本日ご紹介する「イサクの犠牲」、なぜ貴重なの?
さて今日のメインのお話はこちらの作品、「イサクの犠牲」。
登場人物にまさかのゆるキャラ!?
描かれている内容は、旧約聖書の中の次のような場面です。
神は(アブラハムに)命じられた。
「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かっていった。
…(中略)…
イサクは言った。
「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」
アブラハムは答えた。
「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。
そのとき、天から主の御使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、御使いは言った。
「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとらえられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。
日本聖書協会『聖書』創世記22:1-13
ひとり息子イサクは、年老いてから生まれたアブラハムが溺愛していた子どもです。
神はそんな大切な息子を、自分への信仰心を試すために犠牲にせよと命じたのでした。
神さま、こわい…(ノД`)・゜・。
この主題は15~16世紀頃、好んで選ばれる主題のひとつでした。
フィレンツェでも、ギベルティとブルネレスキが、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の扉を製作するためのコンクールで争ったときの作品がバルジェッロ博物館に残されています。
フィレンツェの洗礼堂、北扉に秘められた因縁の対決とは!?絵では最も目を引くのが中心のアブラハム、そして叫び声をあげているかのようなイサク、いままさに止めに入ろうとしている天使。
そして…そして、右端にいる…ひつじ!!
ん???
今から自分が犠牲になることなんて夢にも思っていないかのような、のんびりした表情が可愛すぎます!
…、この後の展開を考えると可哀想なんですけどね。。
このモチーフの天使は、他の作者の作品では少し離れた天に浮かんでいることが多いけど、カラヴァッジョのはまさにイサクに刃をあてているアブラハムの手を抑えた、緊迫したリアルな表現になっているのが面白いでしょ?
注目ポイントはこんなところも
これが貴重な作品である訳は、背景の表現にあります。
この作品においてはローマ近郊の田舎の風景が描かれています。
カラヴァッジョは「光と影の画家」の名の通り、いつも背景は黒く、主題である人物やオブジェクトが強調されるような構図を好んで描きました。
彼がこのように自然な背景を描いた作品は、実はたった二枚しかありません。
この「イサクの犠牲」と、ローマのドーリア・パンフィーリ美術館にある「エジプトへの逃避途上の休息」だけなんです。
その人生を知ると、確かにこんな牧歌的な背景を描く人ではないな、と思わせられます。
作者カラヴァッジョ、通称「光と影の画家」はこんな人でした
カラヴァッジョが生まれたのは、イタリア北部のミラノ。
実は「カラヴァッジョ」という名前はニックネームのようなもので、本名のミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョというのは「カラヴァッジョ村から来たミケランジェロ・メリージ」の意味です。
レオナルド・ダ・ヴィンチと一緒だね!「ヴィンチ村のレオナルドさん」でしょ?
その通り、よくできました!!(*´▽`*)
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルネサンスの天才を生み出した小さくつつましやかな村。カラヴァッジョ幼少の頃
彼はミラノで生まれたのですが、当時、流行していたペストの感染から逃れるため、カラヴァッジョ村に引っ越します。
しかし、6歳のときに父と祖父と叔父を、13歳のときに母を亡くし、天涯孤独となります。
それでシモーネ・ペテルァーノという人の工房へ修行に入りました。
この人はティツィアーノの弟子のひとりよ~
そして18歳のとき、絵で成功しようとローマへ旅立ちます。
野望を抱いてローマへ
ローマにやってきたカラヴァッジョ。
意気揚々と自分の作品を引っ提げてあちこちの工房へ売り込みに行きますが、どこでもすげなくされてしまいます。
そのスタイルは、当時としては「新しすぎた」からねぇ~
それでも次第に評価してくれる人が現れ、少しずつ絵は売れていきます。
が、とても激情的で怒りっぽく、よくもめ事を起こしていたようです。
また破天荒な性格でした。
例えば、当時、描かれるのは主に宗教画で、聖人や聖女が多く登場するものでした。
しかし若きカラヴァッジョはモデルを雇うお金がありません。
そこで彼は画家仲間の友人や、なじみの娼婦など、いわば社会的身分の低い人たちをモデルにそれらの絵を描いていたのです。
しかしこのことは、
娼婦をモデルに聖女を描くなど…!!
と注文者の怒りを買ってしまい、作品の受け取りを拒否されることもありました。
こちらはそのうちのひとつ、お気に入りの娼婦をモデルに描いたと言われる聖女カテリーナです。
人生の過ちと転落、逃亡生活へ
1606年、カラヴァッジョ35歳のときのこと。
相変わらず激情的な性格だった彼は、テニスの試合中ふとしたことで口論となり、誤って相手の青年を殺してしまいます。
当時でも、殺人は大罪。
カラヴァッジョはすぐさま逃亡生活に入り、ローマからナポリ、マルタ島、シチリア島と転々とします。
その過程で各地に作品を残していきました。幸運だったのは、それぞれの地やタイミングに支援してくれるパトロンがいたという点ですね。
最終的には、ポルト・エルコレというトスカーナの街で、感染症のため亡くなったと伝えられています。
実は彼が亡くなる少し前にローマ教皇からその罪を許す恩赦が出ていたのだけど、彼がそれを知らずに亡くなったのか、それともそれを受け取るために向かう途中だったのかはわかっていないのよ
そうなんだ… 知っていたとしても無念だし、知らなかったとしても辛い気持ちのまま亡くなったのかもしれないねぇ…
逃亡の前後で作風が変化する
例の事件以降の作品は、それまで以上に光と影のコントラスト、というか影の部分が強いのがよくわかるわ
例えば
タイトルは「眠るアモレ(=キューピッド)」ですが、まるで死んでいるかのよう。
事実、カラヴァッジョはこの作品を描くときに子どもの遺体をスケッチしたと言われています。
また、逃亡生活以前と以降で同じ主題の作品を見比べると、色の種類の増減や人物の表情の描かれ方などで、その違いがよくわかります。
やはり長年にわたる逃亡生活は、決して楽なものではなかったのでしょうね。
作品の通り、極端な光と影のコントラストの中で生きたような人生でした
この作品が見られるのはこちら!
ウフィツィ美術館