他のどの街にも負けない フィレンツェのドゥオモは、本当の名前がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、「花の聖母大聖堂」。
1296年の建築当初からフィレンツェの人々に愛されてきた街のシンボルの、魅力たっぷりの見どころ・観光ポイントを徹底ガイドします!
目次
「ドゥオモ」が意味するもの
旅好きナナミちゃん
「ドゥオモ」とは、ラテン語の「domus<ドムス>」(=「家」)から派生した言葉で、神とその民の家、つまり街で一番大事な教会のことをいいます。
だから、それぞれの街にはそれぞれの個性豊かなドゥオモがあります。
フィレンツェのドゥオモ「花の聖母大聖堂」
フィレンツェのドゥオモは、本当の名前がサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、「花の聖母大聖堂」という意味です。
この壮大な名前に負けないくらい、フィレンツェのドゥオモは初めて見ても、何度目に見ても、壮麗で圧倒的な存在感を誇っています。
中世のイタリアでは常に近隣の諸都市が競いあっていましたから、フィレンツェ人は
世界中のどこよりも
大きく、立派で、いちばん美しいもの
を建てたい!!
と考え、多くの芸術家たちが内外から招集されました。
特に、同じトスカーナでこの二つの町には負けられない!!という強いライバル意識を燃やしたのが、シエナとピサです。
フィレンツェのドゥオモ、現在の姿は1296年から建設が開始され、実に完成まで約150年もの月日を要しました。
最終的に現在のファサード(正面部分)が完成したのは1887年のことですから、そこも含めると600年近くかかったことになります。
ドゥオモはその昔からそれだけ一生懸命作ったものでフィレンツェ人たちの誇りでしたから、またその古さと壮大さゆえにお掃除も時間がかかります。
この間ここをやっていたと思ったら今度はその隣、そして次にさらに隣、…とやっているうちに最初の部分が汚れてきて(笑)、…と繰り返しているので、いつでも現在でもどこかしらの部分は常に修復や掃除が必要です。
フィレンツェのドゥオモの見どころ
外観と周辺施設・広場
ファサード
1296年のアルノルフォ・ディ・カンビオ設計当初から紆余曲折を経て、1887年にエミリオ・デ・ファブリスの設計により完成しました。トスカーナ産の白・緑・ピンクの大理石を配したネオゴシック様式です。先に完成していた南隣の鐘楼を模してデザインされました。
▶詳しい解説記事はこちら!
フィレンツェ人の誇り、美しきドゥオモのファサード。壮大な歴史と意味を徹底解説!ジョットの鐘楼
絵画界に革新をもたらした稀代の芸術家、ジョットにより設計されました。残念ながら巨匠は完成を見ることなく世を去りましたが、4面共に工夫の凝らされたパネルや彫刻が施され、その意義と景観は見事なものです。ちなみに鐘は現役です。
▶詳しい解説記事はこちら!
景色だけじゃない!『ジョットの鐘楼』の楽しみ方をご紹介します。ブルネレスキのクーポラ
ドゥオモの着工から数えること123年後、コンクールを勝ち抜いたフィリッポ・ブルネレッスキが設計。八角形のサン・ジョヴァンニ洗礼堂とローマで視察したパンテオンを参考に、当時の技術では不可能と考えられていた巨大なクーポラを完成させました。
アーモンドの扉
クーポラへの入り口となっている「アーモンドの扉」はドゥオモ側面にある4つの扉のうち最も華麗で、装飾が素晴らしいと称えられています。この装飾には当時人気のあった彫刻家ドナテッロ、ナンニ・ディ・バンコも参加しています。
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
ファサードの正面には、サン・ジョヴァンニ洗礼堂があります。
こちらもミケランジェロが「天国の門」とたたえたギベルティの作品(レプリカ、オリジナルはドゥオモ付属博物館所蔵)や、ブルネレスキとギベルティの因縁の対決にまつわるエピソードの残る北扉、内部のモザイクなど必見ポイントがたくさんです。
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂、見どころ全部お伝えします!ドゥオモ広場
ドゥオモの南側にある建物の一角に、現在のドゥオモの設計の原型を担当したアルノルフォ・ディ・カンビオとクーポラの設計者ブルネレスキの像(どちらもルイージ・パンパローニ作、1830年)が、それぞれが自分の作品を見つめるような角度に配置されています。
ドゥオモ付属博物館
ドゥオモ広場東側にある博物館で、ドゥオモ・洗礼堂・ジョットの鐘楼にかつて置かれていた美術作品や、現在レプリカが置かれているもののオリジナルが多く保存されています。かつてのファサードを再現した間や、鐘楼を飾る多くのパネルが間近で見られるのはなかなか興味深いです。ミケランジェロの未完のピエタ、ドナテッロのマグダラのマリアなどが展示されています。
ドナテッロ晩年の作品「マグダラのマリア」彼は何を伝えたかったのか? ミケランジェロのもう一つの「ピエタ」、未完成で放置されたワケ。ドゥオモ内部
ジョン・ホークウッドとニッコロ・ダ・トレンティーノの騎馬像(フレスコ画)
遠近法マニア、パオロ・ウッチェッロによる「ジョン・ホークウッド」とそれを参照して描かれたアンドレア・デル・カスターニョによる「ニッコロ・ダ・トレンティーノ」のフレスコ騎馬像があります。特にパオロ・ウッチェッロの作品は鑑賞点を2か所に設定した複雑な遠近法で、現実世界と対象を理想化する美化の世界を融合させた結果です。
ダンテと神曲
祭壇寄りには、フィレンツェが誇る詩人ダンテがその作品「神曲」を掲げ持ち、その世界観とフィレンツェの街が表されたドメニコ・ディ・ミケリーノの作品があります。
ダンテの『神曲』の世界へようこそ!作者ダンテ・アリギエーリとあらすじをわかりやすく解説。クーポラ内部のフレスコ画
メディチ家のコジモ1世の命によりヴァザーリが描き始め、フェデリコ・ズッカリが完成させた壮大なフレスコ画「最後の審判」が描かれています。相当な数の人物、聖人、天使が描かれていますが、よく見るとメディチ家の人物の肖像画になっていたりします。
モチーフ『最後の審判』について詳しくはこちら
キリスト教の『最後の審判』とは?西洋美術の人気のモチーフをわかりやすく解説!主祭壇
十字が交差する中心部分に八角形の内陣が設置されています。主祭壇の十字架磔刑像はベネデット・ダ・マイアーノ作の木製彫刻です。2009年の修復で美しい姿が取り戻されました。
フィレンツェの「木製」十字架磔刑像めぐり~ドナテッロからミケランジェロまで!サンタ・レパラータ教会
現在のドゥオモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂になる前に街の大聖堂だった、サンタ・レパラータ教会の遺構が残っています。古く400年代(恐らく)に建てられたものなので、大半の床にローマ時代のモザイク装飾の床が見えます。またこの時代の教会の多くは3階建て(メイン階と面積が半分~1/3ほどの上位階、地下墓所)なので、その名残の階段が部分的に残っています。聖女レパラータの聖遺物が主祭壇の左側に置かれています。
地下にはブルネレスキの眠るお墓があり、お土産物コーナーの一角から見ることができます。
ドゥオモ見学時の注意点
- 大聖堂を含む教会関連施設は神聖な場所のため、露出の多い服装はNGです。夏場、ノースリーブ・ショートパンツなどの場合、入場を断られることがありますので、さっと羽織れるショールなどをご準備ください。
禁止されている服装…ショートパンツ、ノースリーブ、サンダル、帽子、サングラス - クーポラ、ジョットの鐘楼に上る際は予約必須です。またいずれも階段のみ、エレベーターなしのため、歩きやすい服装をご準備ください。
▶ドゥオモ周辺施設のチケット情報はこちら
早わかり!フィレンツェのドゥオモ周辺施設のチケット売り場と予約方法2025年版。▶各施設の営業時間や休館日などの情報はこちら
ドゥオモ、クーポラ、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ付属博物館、サンタ・レパラータ教会遺構