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ブランカッチ礼拝堂の修復現場が公開中!マザッチョのフレスコ画を間近で見てきました。

芸術の都、フィレンツェにはまわり切れないほどの美術館や宮殿がありますが、ブランカッチ礼拝堂はぜひ見ておきたい場所の一つ。

場所はオルトラルノ地区と呼ばれる、アルノ川の南側のエリアにあり、他の観光地からは少し離れた静かなエリアです。

この小さな礼拝堂が有名なのは、初期ルネサンスの偉大な画家、マザッチョを始め、共同制作者のマゾリーノや後継のフィリピーノ・リッピの素晴らしいフレスコ画が見られるから。実は大きな火災を免れた奇跡の作品でもあるのです。

ブランカッチ礼拝堂とは

ここ、ブランカッチ礼拝堂はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の一部で、現在は教会とは独立した別の入り口から入ります。

ブランカッチ礼拝堂 ブランカッチ礼拝堂(サンタ・マリア・デル・カルミネ教会)


教会自体の建築は13世紀に始まりました。ブランカッチ家は14世紀の終わりからこの礼拝堂を所有していて、15世紀の初め、当時の当主で経済的・政治的に強い力を持っていたフェリーチェ・ブランカッチがマゾリーノ(Masolino da Panicale/1383-1440?)の工房にフレスコ装飾を依頼したとされています。

詳しい経緯はわかっていませんが、マゾリーノは若きマザッチョ(Masaccio, Tommaso di Ser Giovanni di Mòne di Andreuccio Cassài/1401-1428)を共同制作者に選び、二人は礼拝堂を埋め尽くす素晴らしいフレスコ画装飾に取り掛かりました。

装飾のテーマとして選ばれたのは『聖ペテロの物語』。聖ペテロ(サン・ピエトロ)はイエスの一番弟子で、イエスから天国の鍵の門を託された人物(そのため、アトリビュートは二本の鍵)。後に、初代ローマ教皇になります。

『聖ペテロへの天国の鍵の授与』ピエトロ・ペルジーノと協力者, 1481-1482頃, フレスコ, システィーナ礼拝堂/ヴァチカン共和国
カトリックの有名な「聖人」たち。そのエピソード、アトリビュートを知って美術を楽しもう!

ブランカッチ家の守護聖人が聖ペテロだったことから、または注文者フェリーチェの祖父がこの名前だったことからこの主題が選ばれたとされています。

ブランカッチ家が最初に礼拝堂のフレスコ画を依頼したのは1423年のこと。指定された『聖ペテロの物語』の装飾を開始した二人ですが、1427年、マゾリーノがハンガリーに旅だち、その後、マザッチョもローマに向けて出発したことで作品は未完のまま中断します。

旅好きナナミちゃん
旅好きナナミちゃん

どうして未完のまま行ってしまったの?

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

実は、その辺りの詳しいことはわかっていないのよ~依頼主の経済状況が悪化したとか、依頼主との関係が悪くなったとか、別のもっと割のいい仕事が舞い込んできたとか、色々な説が出てるんだけど、今のところ定説となっているものはないの~


そして1436年、当時台頭してきていたメディチ家との関係がうまくいっていなかったブランカッチ家は、フィレンツェからの逃亡を余儀なくされます。

旅好きナナミちゃん
旅好きナナミちゃん

あ、出たメディチ家!フィレンツェと言えば…だね

そういう経緯があったため、ブランカッチ家の逃亡後、既にマゾリーノとマザッチョの作品の中に描かれていたブランカッチ家のメンバーの肖像画は消されてしまいました。さらに、1460年、礼拝堂は「民衆の聖母の礼拝堂」と改名され、ブランカッチ礼拝堂ですらなくなってしまいます…。

旅好きナナミちゃん
旅好きナナミちゃん

おぉ…なんだか波乱万丈だねぇ…


当時は共和制だったフィレンツェですから、まだまだ政権は不安定だったんですね。メディチ家もここから少しずつ強くなっていきますが、油断はできませんよ!


さて、時は流れ、1480年。ブランカッチ家はフィレンツェに再び戻る許可を得て、礼拝堂の装飾仕上げをフィリピーノ・リッピ(Filippino Lippi/1457-1504)に依頼しました。

フィリピーノ・リッピといえば、その父フィリッポ・リッピは破天荒な天才画僧として有名。ちなみに父フィリッポはかつてこの礼拝堂を装飾したマザッチョのわずかな弟子のひとりと考えられています。さらに、フィリピーノの師匠はあのボッティチェリ(Sandro Botticelli/1445-1510)。フィリピーノ本人の画家としての技量もさることながら、マザッチョに始まり、その教えを受け継いだフィリッポ・リッピとも縁の深いカルミネ教会にある礼拝堂、という歴史を考えるとピッタリな人選だったと言えます。

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

フィリピーノの師匠はボッティチェリで、さらにその師匠は父フィリッポ…まとめると、こういうこと!

フィリッポ・リッピ「聖母子と天使たち(リッピーナ)」美しい聖母マリアの秘密とは? サンドロ・ボッティチェリ物語。人物像と代表作品は?

こうしてブランカッチ礼拝堂は、無事に元の所有者の手に戻り、フレスコ画も全面、仕上げられました。

ただ、ここから現代に至るまでに、名匠たちのフレスコ画は失われてしまう危機を二度ほど乗り越えなければいけません。


一度目のそれは、1680年のこと。当時全盛だったバロックの流れに乗って教会が改築され、この礼拝堂もその計画に組み込まれそうに。その時、メディチ家当主コジモ3世の母ヴィットーリア・デッラ・ローヴェレが反対し、ブランカッチ礼拝堂に関しては18世紀半ばの天井などの一部の改築を除いて、ルネサンス時代のフレスコ画が残りました。

旅好きナナミちゃん
旅好きナナミちゃん

よかったねぇ~ メディチ家、グッジョブ!だね!!

バロック風に変更されたブランカッチ礼拝堂の天井装飾

そして二度目は1771年のこと。大規模な火災により教会のほぼ全体が消失してしまいますが、奇跡的にこのブランカッチ礼拝堂と向かいのコルシーニ礼拝堂だけは焼け残ります。
ただし壁の一部が損傷してしまったのと、煤(すす)で黒くなってしまったところはありました。

旅好きナナミちゃん
旅好きナナミちゃん

それでも貴重なフレスコ画はほぼ全部残ったのね…!本当にミラクルだね…!!

その後も色々と紆余曲折がありますが、だいたいこんな感じで今に伝わるマザッチョたちの作品を私たちは見ることができるのです。

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

そういう諸々を知ってみると、絵の完成度に加えてここでこの作品に対面できることがさらに価値あるものに感じられるのよ~

フレスコ画の修復現場を公開中

2022年から、ブランカッチ礼拝堂は足場を組んで本格的な修復とメンテナンス作業を行っています。

これに先立つこと2年前、2020年に通常メンテナンスに加え至近距離での確認を行ったところ、部分的に漆喰の剥離や傷など、劣化の現象があるのが確認されました。そのため、これらの現象の原因を追求し改善するために今回の作業が行われています。

そしてその足場を一般客にも公開しているので、普段は礼拝堂の床から数メートル上を見上げなければいけないマザッチョやマゾリーノのフレスコ画を、1mちょっとの至近距離で見られるのです!

いつものブランカッチ礼拝堂

左右の壁はそれぞれこんな風に見上げて鑑賞します。

修復現場へ!まずは3階、マザッチョ&マゾリーノの世界へ

足場は3階建てになっていて、まずは一番上の階から。ここは、左側の壁に主にマザッチョの作品、右側にマゾリーノの作品があります。
上がってすぐに目に飛び込んでくるのは有名な『楽園追放』と『貢の銭』。

今まで、上の方にあるのでよくわかりませんでしたが、アダムとイブは大体、等身大で描かれているんですね。こうなると、ますますリアル感が増します。

写真でしかはっきりと見たことのなかった二人の表情が目の前に。絶望で顔を覆うアダムと、悲痛な涙を流すイブ

Azu
Azu

二人の嗚咽が画面から聞こえてきそうです…!

二人を追い立てる天使も、本来なら非現実的な存在で画面に馴染まなさそうなものなのに、空中に浮かび厳しい表情で二人を追い出すジェスチャーをしていることにあまり違和感を覚えません。

さらに間近で見るとはっきりわかるのが、フレスコ画の境目
 

「フレスコ画」とはその名(フレスコ=”新鮮な”)の通り、壁に塗った漆喰が乾ききる前に顔料で描ききらなければいけません。つまり時間との勝負です。そのため、一日にできる作業には限りがあり、多くの場合は一日当たりの作業範囲を事前に決め(これを「ジョルナータ」と言います)、そこに集中して絵を描きます。

この『楽園追放』の場面では、特にアダムの体周りに注目すると足など体の部分と背景部分に区切りの線が確認でき、顔や背中の後ろの背景は区切り線があるので、恐らくそこが作業日の区切れ目なのだとわかります。

向かい側にはマゾリーノ作『アダムとイブの誘惑』。ヘビにそそのかされ、神に禁じられていた果実を口にしたイブ、そしてそれを受け取って同じく口にしたアダム。
こちらの場面はマザッチョの激しい現実感を伴う描写と比べると、非常に穏やかでどこか静かさも感じる表現です。

この部分はマゾリーノの画風の特徴で、前世紀(14世紀)の主流だった国際ゴシック様式の、宮廷風で優美な表現方法です。マゾリーノはマザッチョよりも18歳も上ですから、修行した時代、そして活躍した時代は主にこの様式が人気でした。

現代から見るとどちらがいいかは好みの問題ともいえますが、当時としてはマザッチョの表現は現実的で説得力のある革新的な画風で、共和国として政治的にも芸術的にも最盛期を迎えようとしているフィレンツェの街には歓迎されたのでしょう。

さらに同じ階にはマザッチョのこれまた有名な作品、『貢の銭』があります。


ここは足場の柱があるので全体の写真は正面からはうまく撮れませんでした。でも、下からだと分かりづらい遠近法を生かした背景の表現は、はっきり見えます。魚の口から銀貨を取り出す聖ペテロのはるか後方には山が、そしてそのふもとにも枯れ木がしっかり描き込まれています。

背景が興味深いのは向かいのマゾリーノも同じで、当世風の衣装を着て歩く二人の若者の後ろには、なんとも生活感の溢れる建物が。窓は開いていたり閉まっていたり、籠がつるしてあったり洗濯物がかかっていたり、さらに窓の外を歩く動物(サル?)の姿も!

Azu
Azu

普段は数メートル下から見上げるので、遠くからだと目の届きにくいところですが、芸術家が細かいところまできちんと(たぶん遊び心も加えつつ)仕事をしている、というのは見えると楽しいですね

そして2階へ、フィリピーノ・リッピの登場

続いては一つ下の階に降ります。ここで一番有名なのは左側の大きな壁の『テオフィロスの息子の蘇生と教座の聖ペテロ』。


この絵の中には色々な人物の肖像画が描かれているとされています。まずはマザッチョ本人の自画像。残念ながら奥の方なので前からの対面はかないませんでしたが、このグループはブルネレスキアルノルフォ・ディ・カンビオ、そしてマゾリーノと同時代の芸術家の肖像画になっています。
ちょっと遠目ではありますが、しっかりこちらに視線を投げかけるマザッチョと目が合います…!

さらに、左側のちょっと小太り(!)の修道僧は、若き日のフィリッポ・リッピ…?という説も。

この作品はマザッチョが大半を仕上げていたものと思われるものの、ブランカッチ家の人々の肖像画が後に消されてしまったり、代わりにその時代の著名人が描き足されたりと、フィリピーノ・リッピによる改変も多々ある様子。

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

ところで、ここでクイズ!フィリピーノが完全にやらかしてしまった失敗があるわ!この部分のおかしいところはどこ!?

…わかりましたか??

それでは正解!
 

中ほどに5人の人が描かれているのに、よーく見ると足が4人分しかないようです(!)

旅好きナナミちゃん
旅好きナナミちゃん

あら~…現代だったら、心霊写真だね~

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

これは恐らく、左から4番目以外の人々はマザッチョが描いていたのだと思われるんだけど、その後、左から4番目の人をフィリピーノが追加して、仕上げるときに足を描き忘れてしまったんでしょうね…

その他、画面中の大勢の人のうち、マザッチョが描いたもの、フィリピーノが描いたものとそれぞれに特定されていますが、背景に関してはまだ意見が分かれているようです。

反対側の壁にはフィリピーノ・リッピの自画像が。これはしっかりと正面で視線がぶつかりますね。

ここにはさらにアントニオ・デル・ポッライオーロやボッティチェリの肖像画も描かれています。

様々な人が関わる修復作業

前回の修復作業は30年前。それから様々な修復技術が向上し、作品の状態だけでなく、劣化の原因や使用されている技術の特定なども可能になってきています。これにより、良い状態で保存するだけでなく作品自体やその背景をよりよく理解することができるのです。

これらの作業には膨大な人が関係しています。化学者、物理学者、建築家、エンジニア、そして修復士。さらに大学各種機関、それらに属さない独立したプロの研究者までもが協力して礼拝堂の表面のモニタリングに取り組んでいます。

ブランカッチ礼拝堂、修復現場の見学は要予約

この修復の作業現場公開は2023年中に終了する予定です。
基本的には非公開日に作業は行われていますが、ごくたまに見学時に修復士の方が作業している場合もあるようです。

Azu
Azu

ただ、係の人によると作業日は化学物質を使うこともあって、そうじゃない日の方がゆっくり見学できるのだそうです

期間中に訪れる機会があれば、ぜひ見てみたいですね!

見学には予約が必要で、一回の見学時間が10人までと限られています。エレベーターも設置されているので、階段では支障がある方でも見学ができますよ!

現地に行って予約ということも可能ですが、直近の予約は取れないことも多いので、下記公式サイトからの予約がおすすめです(予約可能日の公開は毎月18日前後。作業の進行状況などにより公開日を決定するため、最大で次月分まで予約可能)。

Azu
Azu

余談ですが…この修復現場の見学に行ったとき、同じグループの見学者の方が「本当に美しいわね…すばらしいわ…来てよかった!!でも、何といっても予約とるのが難しすぎるわ」と言っていました。。笑
しかもその場に居合わせた他の人も一様にうんうん、とうなずき、係の人は苦笑い…実は私も予約時にサイトのエラーなどが頻発して問い合わせたりして、なかなか苦労しました!