Luca Giordanoという芸術家をご存知でしょうか?
うぅ~ん…聞いたこと、ないかなぁ…
ですよね!大丈夫、想定内です。でも、素晴らしい作品を残した画家なので、今から紹介します!
この人は、イタリアの後期バロック美術を代表する偉大な画家で、フィレンツェにはメディチ・リッカルディ宮殿の『鏡の間』の他、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会のコルシーニ礼拝堂など、フレスコ画を中心に名作を残しています。
バロックといえばカラヴァッジョやベルニーニ、グイド・レーニ、そしてイタリア以外でもレンブラント、ルーベンスなどビッグネームが並ぶ時代。そんな中でルカ・ジョルダーノは決してよく知られているという芸術家ではありませんが、とても多彩で多作な人で、美しい見事な作品を数多く残しました。
目次
ルカ・ジョルダーノの人生
父は画家のアントニオ・ジョルダーノ
ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアに滞在。ロンバルディア、エミリアにも立ち寄った。
この時期(1670年頃)の自画像
同じ年、メディチ・リッカルディ宮殿『鏡の間』の装飾を受注(主な作業は3年後)
カルロス2世の宮廷で活躍。この時期(1692年頃)の自画像
ナポリのサンタ・ブリジダ教会に埋葬
若い時代
ルカ・ジョルダーノは1634年ナポリ生まれ。父アントニオも同じく画家で、当時既にナポリで見ることのできたカラヴァッジョ作品やその影響を受けた作品を中心に、多くの芸術作品をルカに模写させ、厳しく勉強させました。
お父さんはとても厳しい人で、ルカにとにかく「早く描け、早く早く」といつも急かしていたそうよ
おかげでルカはとても速く絵を描けるようになって、その技術を生かして後年色々な宮廷などで大人気になったの!ニックネームは『早描きのルカ(Luca Fapresto)』で、これはある教会で働いていたときにたった二日で絵を完成させたことからつけられたとされているわ
初期は、スペイン人画家で当時ナポリで活躍していたホセ・デ・リベーラ(1591-1652)に師事していました。
当時のナポリはスペイン領で、リベーラはスペインのバレンシア地方の出身ですが、若いうちにイタリアに来て終生そこで過ごしました。
その作風は恐らくイタリアに来る途中で経由した北イタリアの自然主義に影響を受け、その後多くの時間を過ごしたナポリでのカラヴァッジョ(とその追随者)の強い影響が見受けられます。画面構成は明暗がはっきりとしており、また老人や貧しい人なども美化せず現実をそのまま表現する写実主義が特にカラヴァッジョ風です。
代表作はこちらの『えび足の少年』(ルーブル美術館所蔵)。
このリベーラの下でルカ・ジョルダーノは修行を積み、師からカラヴァッジョ風の作風を受け継いでナポリの教会などを中心に多くの仕事をこなしました。
これらの作品は現在でも世界各地の美術館に残っています。
画家としての成長
師リベーラが1652年、ルカ・ジョルダーノが18歳のときに死去したため、ルカはさらなる勉強のための旅に出ます。ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィアに滞在し、ロンバルディアやエミリア地方にも立ち寄りました。
ローマはバロック美術の全盛期。バルベリーニ宮殿のフレスコ画などに見られるピエトロ・ダ・コルトーナ作品やピーテル・パウル・ルーベンス作品などから影響を受け、ルカの画風も少しずつ新しい要素が加わっていきます。
古代から近代の代表作を多数学び、しかし同時に1500年代のヴェネツィア絵画にも大きく刺激を受けます。
その時代のヴェネツィア画家の代表と言えばティツィアーノ、ティントレット、パオロ・ヴェロネーゼなど。彼らの作風は優雅で伸びやかな人物の表現と、豊かな色使い、そして生き生きとしたドラマチックな画面構成が特徴的よ~
こうしてルカはイタリアの様々なエリア、新旧それぞれの美しい作品を目にして自身のスタイルを確立していきました。この修行の旅の間に進化したルカのスタイルは、夢の世界のような、どこか浮足立ったようなファンタジーな表現と生き生きとした自然主義、さらに感情が強く表現されたドラマチックなものになりました。
この作品なんかは、痛みにもだえ苦しむマルシュアスの表情やポーズと勝利のほほえみを浮かべるアポロンの対比が、薄暗い画面構成の中でひときわ際立って一気にいろんなインパクトを与えてくるわね~
ほんとだ~…二人の表情が「恐怖」と「笑顔」で一瞬ゾワっとする取り合わせだけど、すごいドラマチックで目が離せなくなっちゃう…
1665年(31歳)、ナポリの画家組合に登録し、同年、フィレンツェに滞在してメディチ家やその他トスカーナ地方の有力な注文主の下でいくつかの仕事をこなします。また、ヴェネツィアにも再び訪れ、教会やプライベートの注文のために多数の作品を制作しました。
外国(この場合はイタリアの他の都市)での滞在の合間にも故郷のナポリでフレスコ画などたくさんの注文をこなしました。
この頃のルカはイタリアだけでなく、ヨーロッパでも著名な芸術家の一人になりつつあって、時には故郷で制作した作品を外国の注文主のところに送ったりもしていたそうよ~
フィレンツェでの活躍
ナポリに戻り、たくさんの注文をこなす日々を送っていたルカですが、1682年、ふたたびフィレンツェへやってきました。フィレンツェでも変わらず地元の有力者を中心に多数の注文を受け、この滞在時の最も大きな仕事はサンタ・マリア・デル・カルミネ教会のコルシーニ礼拝堂のクーポラのフレスコ装飾でした。
サンタ・マリア・デル・カルミネ教会は有名な、マゾリーノ&マザッチョ&フィリピーノ・リッピ作品があるブランカッチ礼拝堂があるところよ~
そしてその仕事の評判を知ったリッカルディ家がルカに接触。これに先立つこと少し前、購入した元メディチ宮殿を1670年から1677年にかけ拡張工事をし、その際にガッレリア(現『鏡の間』)と図書館を増築しました。その装飾の注文、とのことだったのです。
実はこの装飾の仕事は、もともとは別の芸術家(Ciro Ferri)に依頼されていたのだけど、この人がなかなか仕事に取り掛からないもので、リッカルディ家はしびれを切らしていたのよ~そこにルカの評判を聞きつけて、打診が来たというわけね!
ということで注文を受けたルカは
自分、できます!!ぜひ、やらせてください!!!すぐに描きます!!!!
と、早速情熱をもって仕事にとりかかりましたが、家族の事情でナポリに緊急帰国しなければならなくなりました。この段階では、現『鏡の間』の天井の中心部分だけ着手していたとされています。
このとき、妻が病気になってしまってナポリに帰ったのだけど、同じ年に父も亡くなっているの…彼にとって辛い年になってしまったわね~
1685年、みたびフィレンツェに戻り、4月から8月のわずか5カ月間で天井装飾を完成!さらにそれらの「記録」のため、いくつかの部分をキャンバス画に残しました。そのキャンバス画は、現在、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵のデニス・マホンコレクションの中核をなすものです。
ご、5カ月・・・!?と驚くほど、結構広い空間で、ものすごい人数の人が描き込まれているんですよ!あとで詳しく出てきます
このメディチ・リッカルディ宮殿の『鏡の間』天井のフレスコ装飾はルカの芸術家としてのもっとも成熟した時期であり、のびやかな表現力で輝くような明るく美しい作品に仕上がりました。この作品は後々にわたって彼の代表作となり、またここに始まるルカ・ジョルダーノとしてのスタイルの確立へとつながります。
スペインに10年滞在
この仕事の後、ルカはナポリに戻り、地元の教会などを中心に数多くの装飾の仕事をこなしました。
この時期の自画像はこんな感じ。とても貫禄があって、マエストロ!という感じですね~
そして1692年、スペイン王カルロス2世に呼ばれ、スペインに旅立ちます。
スペイン宮廷にイタリア人芸術家が招聘されたのは実に30年ぶりのことだったそうよ~
この頃のスペインの美術界では、先代のフェリペ4世の時代に活躍したディエゴ・ベラスケスが亡くなって以来、停滞状態にあって、王家の栄光を華やかに描いてくれる芸術家が求められていました。
ルカの画風は、まさしくそんなニーズにピッタリ!はまったわけね~
彼の仕事は王を喜ばせ、宮廷画家として大活躍。なんと「騎士(Caballero)」の称号まで与えられました。そしてキャンバス画、フレスコ画、さらには銅版画、そしてテーマも世俗的なものから宗教的なものまで多岐に渡る作品を生み出しました。
その活躍はマドリッド王宮だけでなく、ブエン・レティ―ロ宮殿、エル・エスコリアル修道院、トレド大聖堂など様々な場所に及びました。そういった作品は、後世においても装飾のお手本となるような偉大な基準として扱われたのです。
ナポリで晩年を過ごす
1700年、カルロス2世が死去します。宮廷画家とは一見、華やかで恵まれた職業ではありますが、・・・
その身分を保証してくれていた君主が亡くなるとその状況は一変してしまうのが最大の難点ね~
ルカの仕えていたスペイン王カルロス2世は、スペイン・ハプスブルク家の血を引く最後の王となりました。およそ二世紀にわたるハプスブルク家の近親婚を理由とする先天的に病弱な体質で、子どもに恵まれなかったのです。彼の死を以てスペイン継承戦争が勃発し、スペインの国内情勢は一気に不安定に。
1702年、ルカはイタリアのリヴォルノに短期間滞在した後、故郷ナポリに戻りました。70歳近い年に達していたルカですが、そこでも衰えることなく情熱的な制作活動を再開します。
この時期には、ナポリやローマの教会などのためにキャンバス画、フレスコ画など変わらず様々な主題、様々なタイプの作品を制作しています。多作、多様で精力的な制作スピードは相変わらずでしたが、時代の流れとともに画風も少しずつ変わっていきます。間もなく訪れるロココ時代を先取りするかのように、晩年に描かれた作品は軽やかで透明感にあふれていて、それまでの画風からなお一歩進化したものでした。この年になってもまだ自身のスタイルを変革させる能力があったことに驚かされます。
ルカ・ジョルダーノは1705年、故郷ナポリで永眠。自身がフレスコ装飾を担当し、またその他の作品も残したサンタ・ブリジダ教会に埋葬されました。
ルカ・ジョルダーノの代表作@フィレンツェ
メディチ・リッカルディ宮殿
『鏡の間』
フィレンツェで最も知られているルカ・ジョルダーノ作品、メディチ・リッカルディ宮殿の『鏡の間』の天井装飾です。巨大な天井の中心には大きな雲に乗った最高神ゼウスのもとに、コジモ1世から連なるメディチ家の当主とその子どもたちが描かれています。
彼らを取り巻くのはミネルヴァやネプチューン、バッカス、ヘラクレスなど、ローマ神話に登場する神々や人物とそのエピソード、そして『正義』『節制』『賢明』『剛毅』などの寓意像。
おびただしい数の人物像(動物も!)が生き生きと描かれており、どの方向を見ても圧倒されるバリエーション豊かな表現になっています。このサイズのフレスコ画をたった5ヶ月ほどで仕上げたということからも、ルカ・ジョルダーノの筆の速さがわかります。
ちなみにミケランジェロの有名なヴァチカンの『最後の審判』は13.7m×12mで、制作年数は約5年よ~このルカの作品は、恐らく7m×21mぐらいかしらね~
『リッカルディ図書館』
同じくメディチ・リッカルディ宮殿内にある図書室で、先ほどの『鏡の間』とは隣接した空間にあります。こちらもルカ・ジョルダーノの手になるフレスコ画で天井が装飾されています。テーマは「真実を見抜く知性」。
ここにはリッカルディ家により収集された、貴重な写本などのコレクションが収められています。
コルシーニ礼拝堂
この礼拝堂は所有者であるコルシーニ家の先祖で聖人となった、14世紀の聖アンドレア・コルシーニに捧げられたもので、1675年ピエル・フランチェスコ・シルヴァーニの計画でフィレンツェ初のローマ・バロックスタイルで建築されました。
ルカ・ジョルダーノはここに1682年2月、コルシーニ家の依頼でサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の同家の礼拝堂のクーポラ装飾を制作します。作品のテーマは聖アンドレア・コルシーニが天国の栄光に包まれている様子を描いたもの。ペンデンティブ(クーポラの足元の四隅の部分)には四つの徳の擬人像が描かれています。
ウフィツィ美術館
ここまでは主に建築物に描かれたフレスコ画を紹介しましたが、ルカ・ジョルダーノはキャンバス画も膨大な数を残しています。ウフィツィ美術館にはこの『エジプトの逃避』や『ピラトの前のキリスト』、『十字架降下』など聖書を題材とした作品のほか、『ガラテアの勝利』など神話題材のもの、そして自画像などのコレクションがあります。
その他
フィレンツェだけでもこのほかにまだまだ
- ピッティ宮殿
- ステファノ・バルディーニ美術館
- コルシーニ美術館
- カーザ・マルテッリ美術館
- サンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ教会
- スティッベルト美術館
などの場所が作品を所蔵しているのですが、これに加えてイタリア各地(ナポリ、ローマ、ヴェネツィア、パドヴァ、ジェノヴァ…)やヨーロッパ各地(パリ、マドリード、ウィーン、ロンドン、モスクワ、…)、さらにニューヨークやブエノスアイレスなど、世界中に様々な作品が残っています。
人生は70年と、まずまずの長さではあるものの、残っている作品は1,000点超(下書きやデッサンも含めると3,000点超!)で美術史上でもトップクラスの多作な画家だったと言えるでしょう。それは何といっても彼の筆の速さが大きな武器だったことは間違いありません。
とはいえもちろん、その膨大な作品をすべて自分で一から最後まで仕上げたとは考えにくく、他の多くの芸術家と同じく作品の大半は弟子に任せ、最後の仕上げの一筆、二筆を加筆する…という方法でやっていたのでしょう。
現在でも一流レストランのトップシェフは、料理行程のほとんどを担当せず最後の仕上げだけ手を加えるので、きっとそんな感じでーす!パセリをのせたら、それはシェフの作品でーす
ベルナルド・デ・ドミーニチというほぼ同時代の美術史家「ルカ・ジョルダーノは3つのタイプの絵筆、一つは『金』、一つは『銀』、そしてもう一つは『銅』を持っていて、注文主の重要性と提示された価格によって使い分けていた」と書いているわ~
あ、なんか、急にマネーなにおいが…
まあ、もっと前の時代にもラファエロとか、ティツィアーノとか、有名な画家も同じようなやり方で受注してましたからね!画家が『職人』でもあった時代には、それほど珍しいことでもないんですよ…。
あと作品数の多さもそうなんですが、作品のテーマも宗教画から神話を素材にしたもの、そして大小さまざまな各種サイズのキャンバス画、広大な空間の天井に描かれたフレスコ画など、種類の多さも段違いです。
そして非常に特徴的なのが、何枚も同じ題材で描かれた作品が多いことです。メディチ・リッカルディ宮殿の『鏡の間』においても、フレスコ画を仕上げたあとにその「記録」のために同じテーマ・同じ構図のキャンバス画を残しています。
例えばこの『節制の寓意画』には、まったく同じ構図で描かれたサイズ違いの二つのキャンバス画が残っているの…違いと言えば、サイズと背景の色使いという点ぐらいで、登場人物のポーズからその距離感に至るまで、ほぼ同じなのよ~
いずれにしても彼の終わりなき作品一覧を眺めていると、圧倒されるばかりです。