西洋美術の定番のテーマと言えば宗教画。特に近世以前の作品では、『キリスト降誕』『最後の晩餐』『キリスト磔刑』『キリストの復活』…など、聖書のエピソードに基づいた有名な場面を描いたものが多くあります。
『最後の晩餐』ってレオナルド・ダ・ヴィンチの作品だよね!
そうですね!ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会にある、レオナルドの作品がとても有名です。他にもいろいろな作者が描いているんですよ!
さて、本日のテーマはこちらとよく間違えられがちな、
『最後の審判(伊:Giudizio Universale/英:Last Judgment)』。
キリスト教では人が死んだあとどうなるの?という世界観が反映されるモチーフです。
世界で一番有名なこのテーマの作品は、恐らくミケランジェロが描いたバチカン美術館にあるシスティーナ礼拝堂のこちら。
とってもたくさん登場人物がいて、何やら複雑そうですね…
こちらも同じく、ミケランジェロだけでなく、色々な年代の色々な作者が独自の世界観を表現した作品がたくさんあります。
それでは、『最後の審判』とはいったい何なのか、詳しく見てみましょう。
目次
『最後の審判』とは
『最後の審判(公審判)』とは、簡単に言うと世界の終わりの日に、生前の行いによって行き先が天国または地獄に振り分けられる、というキリスト教の考え方です。
仏教でいう閻魔様的な…?
そうですね、私たち日本人になじみのある閻魔様とよく似たイメージですが、閻魔様は人が亡くなったあとすぐに裁きを受け、各々の生前の行いにより行き先を決める、という存在であるのに対して、キリスト教に輪廻転生という発想は基本的にない(※)ので亡くなってすぐに行われる裁きではない、というのが大きく違う点です。
※様々な宗派や解釈があり、中にはそれが存在するという人もいますが、基本的に聖書では次の人生があるとは教えていません。
だから、キリスト教での考え方では、人は亡くなった後、その魂と肉体はそれぞれ「終末の日」を待ち続け、いざその日が来たら魂は再び肉体と融合して神の裁きを受け、行き先が決まるとなっています。
では、この場面を描いたフラ・アンジェリコの作品を見ながら、何が表現されているのか見てみましょう!
墓の中の死者が裁きの声を聞く
驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
『新約聖書』日本聖書協会より「ヨハネによる福音書5:28-29」
ここで「人の子」と表されているのはイエスのこと。時が来ると(=世界の終わりの日が来ると)、死者はイエスの声を聞いて墓から出てくるのだ、と語られています。
イエスが現れ、裁きを行う
「その苦難の日々の後、たちまち
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
そのとき、人の子の徴(しるし)が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗ってくるのを見る。人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
(『新約聖書』日本聖書協会より「マタイによる福音書24:29-31」)
前半の空の表現はまさに終末感いっぱいですね…
「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、」…真っ暗だねぇ…
この世からいっさいの光がなくなり人々が嘆き悲しむような情景の中、イエスが天の雲に乗って現れると語られています。
イエスの足元にはラッパを吹く天使たちがいて、裁きの日が訪れたことを墓の中の死者たちに知らせています。
天国へ行く人たち
人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。…(中略)…王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
(『新約聖書』日本聖書協会より「マタイによる福音書25:31-36」)
お前たちは、私が飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
イエスが困っていたときに助けてくれたら善人と認めてくれるってこと…じゃあ、イエスに会うチャンスのなかった人は…?
実はこの記述は例えであって、イエスについてくる人たちのうちの一人に善い行いをしたのであれば、それはイエス自身にしたのと同じことである、とこのあとのくだりで言っています。
つまり、同じキリスト教信者に対し、善行を積んだのであれば、それはイエスを大切にしたと同じ意味であるとみなされるということですね。
なるほど~…
ということで、生前に善い行いをした人たちは、裁きを聞いて歓喜の表情を浮かべ、上の方を見上げています。それらの人たちの頭には光輪が描かれています。
このあと、天使に導かれてイエスの右手側(向かって左側)にある天国に入っていき、そこで永遠の命を授けられるというわけですね。
地獄へ行く人たち
それから、王は左側にいる人たちにも言う。
『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。
お前たちはわたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』
…(中略)…こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。
(『新約聖書』日本聖書協会より「マタイによる福音書25:41-46」)
こちらは反対に、生前の行いが悪かったので地獄へ落とされる罰を与えられた人たち。ここでも同じようにイエスに対して善いことをしなかった人が対象であると語られていますが、キリスト教信者に対する行いが裁きの対象になります。
イエスの左手側(向かって右側)にいる人たちは、苦悶に満ちた絶望の表情を浮かべ、天国に行く人たちと対照的に地面を見下ろしています。その悲痛な表情からは悲鳴が聞こえてきそう。
そして悪魔に追い立てられ、または引きずられるようにして地獄へと送り込まれます。
送り込まれた先の地獄では、生前の悪行に応じた永遠の罰を受けています。
救いのない暗闇の中、悪魔に取り囲まれて責め苦を負い続ける…、まさに「後悔先に立たず」。
この当時の美術作品の基本的な存在意義は、聖書の世界観を世の人に知らせ、普及させること。特に識字率が今と比べて非常に低かった時代なので、絵画や彫刻による表現のインパクトはそれはもうすごかったことでしょう。
こんなに恐ろしい地獄絵図を目にしたら、やはり正しく生きよう…!と思う人が大半だったのではないでしょうか。
ちなみに、聖書で語られているように、天国はイエスの右手、地獄はその左手にあります。そのため、作品の中でもイエスの右手は上方にある天国を、左手は下方にある地獄を示すように表現されています。
『最後の審判』を描いた代表作
フィレンツェで見られる作品
フラ・アンジェリコ
こちらは、フィレンツェのサン・マルコ美術館にあるフラ・アンジェリコ(Beato Angelico/1395頃-1455)の作品です。
形と大きさから聖職者のミサ用の椅子の背中部分の装飾として作られたものと考えられていますが、はっきりしていません。
作者のフラ・アンジェリコ(Beato Angelico/1395頃-1455)という人は、ドメニコ会の修道士でとても評判の高い画僧でした。ヴァザーリによるととても清らかな魂を持つ信心深い人で、キリストの磔刑図を描くときは涙を流しながら描いていたというエピソードが語られています。
同じ時代に活躍した同じく画僧のフィリッポ・リッピと好対照をなす人物で、イタリア中部のフィレンツェ~ローマにかけてのエリアを中心にたくさんの作品を残しています。
サン・マルコ美術館【フィレンツェ】チマブーエ他のモザイク画
こちらは、フィレンツェのシンボル・ドゥオモ前にあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の天井画。
著名な芸術家ジョットの師匠であるチマブーエ(Cenni <Bencivieni> di Pepo/1204頃-1302)や、コッポ・ディ・マルコヴァルド(Coppo di Marcovaldo/1225頃-1276頃)など13世紀に活躍した芸術家の共作で、とても細やかなモザイクを使ったとても豪華な作品です。
正面で裁きを行う巨大なイエスが印象的な作品。こちらでもイエスの手は、聖書で語られる通りに右手が天国、左手が地獄を指し示しています。一番上の帯(イエスの頭の左右)には天使、二番目には聖人たち、そして一番下の帯に天国と地獄がそれぞれ描かれています。
フィレンツェの洗礼堂内部、モザイク画の内容、見どころをズバリ解説!なお、2023年現在、修復作業のため、通常見学はできません(有料ツアーにて参加可能な日程あり)。
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の天井モザイク画、6年間の修復作業へ。ヴァザーリ&フェデリコ・ズッカリのフレスコ画
こちらは、フィレンツェのシンボル、ドゥオモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の円屋根部分クーポラの内部に描かれたもの。
フィレンツェのシンボル、花の聖母大聖堂(ドゥオモ)の観光ポイント徹底ガイド!もともと、既に存在していたドゥオモ正面の洗礼堂(上記)と同じく、モザイク装飾の予定でした。しかし、モザイクは既に当世の技術ではなかったので実践面での保証がないことや、予算的な都合によりフレスコ画の技法を採用。
当時のメディチ家当主のコジモ1世から命を受けたジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari/1511-1574)が描き始めましたが、開始後わずか数か月で死去。ヴァザーリの手になるものは1/3ほどだそうで、その後はフェデリコ・ズッカリ(Federico Zuccari/1539-1609)が仕上げました。
でも、この大きさ(直径45m)の作品の1/3をわずか数カ月で描いたという、それがすごい…!!
全体の完成にはトータル7年を要していますが、1/3をヴァザーリが数か月で、残り2/3が6年ちょっとという計算に…
じゃあ、もしヴァザーリがあと1~2年生きていたら、もしかしたら完成していたと…!?
ヴァザーリの仕事の速さは有名ですが、いやはや恐れ入りますね!
16世紀の偉大な美術史家、ジョルジョ・ヴァザーリ。トスカーナ大公も絶大な信頼を置いた『総合芸術家』の人生とは?さて、作品の内容ですが、主祭壇に向いて正面に『最後の審判』を行うイエスの姿、こちらでは左右ではなく上の方に天国、下の方に地獄と描き分けられています。
登場人物(生物)がとにかく多い大作で、天使や聖書の登場人物の他、当時を生きていたメディチ家のメンバーや、徳の擬人像など色々と織り込まれています。
描かれている総数はなんと700人以上!ほとんどが天使や擬人像、宗教的な人物で、実在の人物の肖像画が13人、そしてその他に化け物や動物などもいます。直径45m, 総面積3,600平方メートルの大作です。
クーポラに登るときには、すぐ頭の上に大迫力のフレスコ画が見えます。特にすぐそばに見えるのは地獄の場面なので、実際の人間よりもはるかに大きく描かれた苦痛の表情を浮かべる人の顔など、インパクト絶大です!振り返るのを忘れずに!!
ドゥオモ、クーポラ、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ付属博物館、サンタ・レパラータ教会遺構