今回の作品はドナテッロという1400年代に活躍した彫刻家の作品です。
素材は木で、ひとつの大きな木から彫り出した作品です。
もともとサン・ジョヴァンニ洗礼堂に置かれていたものですが、1966年のフィレンツェを襲った大洪水の被害を受けて修復され、その後、現在のドゥオモ付属博物館に移されました。
修復の結果、オリジナルの金箔が施された様子が見事によみがえりました。
この作品は1450年代半ばに作られたものなんですが、一目見ただけでものすごくインパクトが強いというか、勢いを感じます。
こちらを見てるわけではないのに、私たちに対して何かすごく強い感情を語りかけてるかのようなそんな印象を受ける作品です。
目次
題材「マグダラのマリア」とは
タイトルは「悔悛するマグダラのマリア(Maria Maddalena penitente)」。
マグダラのマリアというのは新約聖書に登場する人物で、イエス に体のなかから7つの悪霊を追い出してもらって助けてもらった人です。
マグダラのマリアって、どんな人?もともとは娼婦のような罪深い仕事をしていたんですが、イエスにその罪を清めてもらって、心を入れ替えたという人物です。
マグダラのマリアはその後イエスにずっとついて過ごします。
新約聖書には、イエスが十字架にかけられて3日後に復活するというシーンがあり、復活した時に一番最初にイエスを見つけたのがこのマグダラのマリアです。
イエスは復活した後、天に上るんですが、その後、マリアはフランス南部のマルセイユの近くに行き、人生最後の30年ほどを隠者として生活しました。当時、その辺りは砂漠で、そこで禁欲生活、つまり断食して眠らない、そういう生活をします(ヤコブス・デ・ヴォラギネ「黄金伝説」より)。
この作品に表されているのは、そういう辛い苦行を乗り越えたマリアが、憔悴しきった顔、でも平穏な気持ちで祈っている姿。体もやせ細っています。
改悛後の神秘的な深い精神性、しかし圧倒的にみすぼらしい、美しくない現実性。こんなにインパクトのある作品なので、その後もたくさんの芸術家がこれを真似て、創作活動に活かしました。
ドナテッロが作品にこめた想い
この作品は、マグダラのマリアが亡くなる直前に辛い禁欲生活を経て達観した瞬間、を彫り出したもの。
だから一見、美術作品としては正直、美しくない感じなのね…
もっというと美しくないどころか醜い、ものすごくやつれた姿で彫られています。でも、だからこそ、すごく印象的でもありますね。
ちなみに彼女は、何か動物の毛皮を身にまとっているかのように見えますが、実はこれは彼女自身の長い髪の毛!
普通、マグダラのマリアって、例えばティツィアーノなんかもそうですが、若くて髪が長くて綺麗な人っていう風に表現される作品てすごくたくさんあるんです。
ティツィアーノが「マグダラのマリア」を描くとこうなる。でも、 ドナテロのマグダラのマリアは例外的と言っていいほど美しくはないです。
ただ、ものすごくインパクトがあってものすごくドラマチックですね。
なので人々の心をすごく惹きつけるものです。
この作品をドナテッロが彫ったのはもう70歳頃、ほぼ彼の人生が終わりかけてる頃。
彼は80歳という、当時としては非常に長生きだったので、友達もみんな先にいなくなって、周りにいる人っていうのはもう弟子とか、対等ではない人たちばっかりだったんです。
寂しかったでしょうね…
しかも、同時にその時、彼は病気もしてたから、余計に心細かったのだと思うわ~
なので、自分の人生を振り返って、この世の誘惑を放棄して心を入れ替えることでおそらく救済されるというカトリックの考え方、そういう気持ちを心の中に持っていてそれをこの作品にぶつけた、そういう感じがします。
作者ドナテッロはこんな人
ドナテッロ(Donatello[Donato di Niccolò di Betto Bardi] / 1386-1466)という人は1400年代に活躍した彫刻家です。
実はフィレンツェの街にとって、とても大事な芸術家。
というのも、あのフィレンツェのクーポラを作ったブルネレスキ(建築家)、それとマザッチョという画家とともに、ルネサンスの幕を開けたとても大事な存在なんです。
ルネサンスは、フィレンツェが芸術で一番花開いた時代。
この3人はその時代のきっかけをつくった、初期ルネサンスの三大巨匠と呼ばれます。
三大巨匠のうち、彫刻の分野で活躍したのがこのドナテッロという人です。
ドナテッロの人生
彼は1386年、フィレンツェの貧しい羊毛織職人の父を持つ家庭に生まれました。
ですが彫刻の才能が非常にあったので、絶えず色々な注文を受けています。
特に当時のメディチ家の当主、コジモ・イル・ヴェッキオの大のお気に入りでした。
若い頃の代表作はこんな感じ。
いちばんの仲良しはブルネレスキ。
洗礼堂の扉を作るコンクールで、ギベルティに敗れたブルネレスキの付き添いで、16歳の頃ローマへ旅をします。
フィレンツェの洗礼堂、北扉に秘められた因縁の対決とは!?そこでは昔の建築、モニュメント、美術作品とかをたくさん勉強して吸収して、フィレンツェに帰ってきてから彫刻家として大活躍しました。
彼の人生は1386年から1466年の80年、当時としては非常に長生きした人です。
この作品はその長生きの人生の中でもかなり晩年の、だいたい67歳から70歳ぐらいまでの間に作られた作品と考えられてます。
ドナテッロの性格
ドナテッロという人は人生を通じて非常に友達が多かったようです。
この時代のことなのであまり性格とかそういうプライベートなことに関する記録というのは残ってないんですが、特に仲の良かったお友達は先ほど挙げたブルネレスキ、マザッチョ、ナンニ・ディ・バンコ。それと大事なパトロンはメディチ家、特にコジモ・イル・ヴェッキオとその息子のピエロです。
少しだけ伝わってるところによると、性格は結構、開放的というか、きっぷのいい人で、社交家だったようです。
でも奔放な生活をしていた人のようでもあります。同性愛者だったという話もあって、結婚は生涯していません。
ローマの旅で色々吸収したこともそうですが、おそらく好奇心が旺盛で新しいものを取り入れたいって言う性格(ミーハー?笑)と、勉強の結果だと思うんですけども、彼はとてもたくさんの種類の素材の作品を彫ってます。
例えばミケランジェロは、ほぼ、大理石しか彫らない人です。
それに対してドナテッロは彫れるものはあらゆる素材を彫ってます。
例えば、大理石はもちろんブロンズ、木、それからピエトラ・セレーナっていう灰色砂岩。これはちょっと灰色がかった石で、よく建築で柱に使われる部分のグレーがかった色の石なんですが、そういうものも彫ったりもします。
あとテラコッタって言って土を素焼きにしたものや、スタッコ(化粧しっくい)というようなのも使ってます。非常にいろんなこと、いろんなやり方を試して自分のものにしていくということがすごく上手だった人です。また、ミケランジェロと違ってほとんどの作品をきちんと完成させています。
長い人生だったのでたくさんの作品が残っていて、フィレンツェの重要な観光名所にはほぼドナテッロの作品があります。
ヴェッキオ宮殿、サンタ・クローチェ教会、バルジェッロ国立博物館、ドゥオモ付属博物館、そしてサン・ロレンツォ教会などなど(他にもあります)。
サン・ロレンツォ教会の二つの説教壇はドナテッロ最後の作品。
彼は自身の手でついに完成させることなく、この世を去りました。
ドナテッロは、もっとも彼のことを気に入っていてもっとも重要なパトロンだった、コジモ・イル・ヴェッキオのすぐそば、サン・ロレンツォ教会の地下に眠っています。
マグダラのマリアに会いに行こう!
「ミケランジェロのもう一つの『ピエタ』」でもご紹介したんですが、この美術館はかなり最近に建てられたもので、作品の見せ方が非常に工夫されています。
このドナテッロの『マグダラのマリア』も、ミケランジェロのピエタと同じく全方位から鑑賞できるよう設置されています。のみならず、後ろにかけられた十字架との関係、彼女が見つめている方向の聖遺物の部屋など、もともと洗礼堂に置かれていた時代を忠実に再現しています。
この作品が置かれている部屋は、天国の門(天国の門@フィレンツェの洗礼堂)などが置かれた「天国の部屋(Salone del Paradiso)」とは違ってとてもこじんまりしていて、まるで小さな教会(または礼拝堂)の中でこの作品と対話するために空間が作られたかのよう。
ドゥオモ、クーポラ、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ付属博物館、サンタ・レパラータ教会遺構
洗礼堂やクーポラ、ジョットの鐘楼に入場する予定があるのなら、共通チケットで入れますので、是非お見逃しなく!