本日の主役は、カトリックで最も大切な聖女、イエスのお母さんであるマリアです。
イタリア語では
Madonna(我が淑女), Madre(聖母), la Vergine(処女・おとめ)
などと表現されます。
目次
同じキリスト教でも違う!?マリア様の立ち位置
キリスト教といっても実は色々な考え方があります。
イタリアはカトリックの総本山、サン・ピエトロ寺院を擁するバチカン市国のお膝元なので、もちろん国教はカトリック。
聖母マリアは神の子であるイエスをこの世に誕生させた方なので、カトリックでは偉大な方として最上位の聖人聖女のうちの一人として扱われますが、プロテスタントではそうではありません。
ガイド学校の先生カテリーナ
マリア様のシンボルカラーは青。
たいてい赤の服の上に青のマント(服)を羽織った姿で描かれます。
実は聖母マリアのエピソードは、ひとつの本やストーリーにまとまっていません。主に新約聖書の4つの福音書に散りばめられているものを総合するとこのような流れになる、という感じです。
そのため、ある福音書には書かれていても別のものには登場しないものもありますし、会派など考え方によっても解釈は異なります。
でも、イタリア美術を理解するためには大まかにこのような流れなんだ、と思っていただければ、多くのシーンが理解できるのではないかと思います。
聖母マリアの一生
イエスに比べると圧倒的に聖書での登場回数の少ない聖母マリアですが、その登場シーンをつなぎ合わせると大体このような一生を送ったようです。
※以下、主にカトリックの解釈に基づいて記載しています。
1.マリアの誕生
誕生日は9月8日。
マリアの父母はとても信心深い人たちでしたが、子に恵まれないまま年を取っていました。
ある時マリアの父ヨアキムは神殿に捧げものの子羊を持っていきますが、子どもがないため、「子孫を残す」という神への義務に背いていると非難され、祭司に追い出されてしまうのです。
旅好き女子ナナミちゃん
非情なんですが、これが当時の世界では当たり前のことでした。
それでヨアキムは荒野で断食しつつ心から神に子を授かれるよう祈り、また、授かった子は神に捧げることを誓ったのです。
するとヨアキムのもとに天使が現れ、彼の願いが聞き届けられたことを告げます。同時に天使はマリアの母アンナの前にも現れ、同じく受胎告知を行い、アンナはめでたく懐妊しました(この日が12月8日「無原罪の御宿りの日」)。
旅好き女子ナナミちゃん
上の作品は、右端のベッドに横たわるのがマリアを生んだばかりの母アンナ、中央右手で乳母に抱かれている赤ちゃんがマリアです。
2.マリアの神殿奉献
マリアの父母は、3歳になったマリアを約束通り神殿に連れて行きます。
たった3つのマリアは、一人でしっかりと階段を上り、神に仕える身となりました。
3.ヨセフと婚約
14歳になったマリアは、神の意志により結婚することに。
その夫を選ぶにあたって、天使のお告げで対象の独身男性が集められます。それぞれの手には杖。
お告げでは、その杖の先に花の咲いたものがマリアの夫となるものである、ということでしたが、実は最初ヨセフは「私はもう年寄りですから」と遠慮したのです。
ガイド学校の先生カテリーナ
(※諸説あり)
しかし、祭司が「これは神の御意思であるから、背いてはいけない」として、ヨセフもそこに参加することに。
すると、なんとまさにヨセフの手にしていた杖から花が咲いたのです!
その場にいた人はみんなびっくり( ゚Д゚)
ヨセフ(中心の黄色い衣の人)のすぐ後ろでは、怒って拳を振り上げている人がいますね。
ガイド学校の先生カテリーナ
4.受胎告知
マリアはユダヤの掟に従い、婚約後1年間は両親とともに過ごすために実家に帰ります。
ある日読書中のマリアのもとに、大天使ガブリエルが降りたちこう言います。
大天使ガブリエル
マリアはこの時、全く何のことかわからず、考え込んでしまいます。すると、
大天使ガブリエル
と再び言われました。そこでマリアは疑問を投げかけます。
聖母マリア
すると天使は答えました。
大天使ガブリエル
それでマリアは言いました。
聖母マリア
そして天使はマリアのもとから飛び立ちました。
別の作家、シモーネ・マルティーニが描いた同じシーンはこちら
シモーネ・マルティーニ『受胎告知』豪華絢爛なゴシック美術の極み。
5.エリザベト訪問
大天使ガブリエルに、遠い親戚のエリザベトも神の力によって身ごもったこと(この赤ちゃんは後の洗礼者ヨハネ)を知らされたマリアは、エリザベトに会うため150kmの旅をします。
目的は、神の力に驚き賛美し、長年子どもに恵まれなかったエリザベトを祝福するため。
マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その(=エリザベトの)胎内の子がおどった。エリザベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。
わたしの主のお母さまが私のところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。
主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
– 日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書1:41-45より引用
マリアはそれから三か月ほどエリザベトのところに滞在して、家に帰りました。
ナザレに戻ったマリアが妊娠していることを知ったヨセフは、理由を知らなかったためマリアを離縁しようとします。が、夢の中に天使が出てきて、マリアの妊娠は神の意志によるものであるので受け入れるよう告げ、ヨセフは思いとどまりました。
ガイド学校の先生カテリーナ
6.キリスト降誕と羊飼いの礼拝
いよいよ「キリスト降誕(クリスマス)」です。
実はこのとき、母マリアと父ヨセフは旅の途中でした。
皇帝から、全領土に住む者に自分の町に住民登録せよというお達しが出ていたので、父ヨセフは自分の祖先であるダヴィデの町ユダヤのベツレヘムを目指していたのでした。
ヨセフとマリアはもともとナザレという町にいたのですが、まだ旅先のベツレヘムにいる間にマリアは男の子を出産します。このとき、滞在する適当な場所が見つからなかったので、生まれた男の子を布でくるみ飼い葉おけに寝かせました。
すると、近くにいた羊飼いたちのもとに天使が現れて言います。
夜通し羊の番をしていた羊飼いたちは、突然、ものすごい光につつまれてビックリ!!( ゚Д゚)
大天使ガブリエル
それで、彼らはまさしく生まれたばかりのイエス、母マリア、父ヨセフを見つけるのです。
そして天使の言ったことが本当だったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行きました。
7.東方三博士の礼拝
一方、星をみてイエスの誕生を知った占星術学者たちが、東方からやってきてヘロデ王に尋ねます。
東方三博士
これを聞いて不安になったヘロデ王。
いずれ自分を脅かす存在になるに違いない、と考え、ひそかに殺してやろうと思いつきます。が、そんなことは全く顔に出さず、もし見つかったら自分も拝みに行きたいから教えてくれと学者たちに言いました。
ヘロデ王のところにいた律法学者や祭司長の研究により、「幼子のいるところはベツレヘム」ということまでわかったので、彼らはその方向に向かって出発します。
すると、東方で見た星が先立って進み、ついに目指す幼子のいる上で止まったので、学者たちは喜び、家に入って幼子を拝み、用意してきた黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げました。
ちなみにこのあと、彼らの夢に天使が登場して「ヘロデのところに帰るな」とお告げがあったので、彼らは別の道を通って自分たちの国へ帰りました。
東方三博士
ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」が表す、エピファニア(公現祭)の世界観。
8.エジプトへの逃避
東方三博士たちが帰っていくと、ヨセフの夢に天使が現れていいます。
大天使ガブリエル
そこで急いでヨセフとマリアは、イエスを連れてエジプトへの旅へと出発しました。
ちなみにこの後、博士たちに裏切られたと知ったヘロデ王は猛烈に怒り、ベツレヘムとその周辺にいた二歳以下の男の子を全員殺してしまいました…(嬰児虐殺)。
9. 祭りの途中でイエスを見失う
ヘロデ王の死後、一家はナザレへ戻り、貧しく勤勉で献身的な生活を送っていましたが、過越祭には毎年エルサレムへ旅をしていました。イエスが12歳になったときも、この慣習に従って都に上ったのですが、このとき両親はイエスを見失ってしまいます。
そして必死に我が子を捜しまわるのですが、見つからないのでエルサレムへと引き返しながら捜し続けていました。
三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。
両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」
すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。-日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書2:46-50
10.カナの婚礼でイエスと再会
実はこのあと、新約聖書はイエスの物語を中心に話が進むので、聖母マリアはほとんど出てきません。次に彼女が登場するのは、イエスが最初に奇跡を起こす「カナの婚礼」というエピソードです。
…ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。
イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と言った。
イエスは母に言われた。「婦人よ、私とどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」
しかし、母は召使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。
…(中略)…
イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。
イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。
世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水をくんだ召し使いたちは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、
言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取って置かれました。」
イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
この後、イエスは母、兄弟、弟子たちとカファルナウムに下って行き、そこに幾日か滞在された。-日本聖書協会「新約聖書」ヨハネによる福音書2:1-12
11.ピエタ
そしてさらにこの後はまったく聖母マリアが登場する気配はなく、イエスが十字架につけられることが決定したあたりで再び登場します。
イエスが自ら十字架を背負い丘を上っていくところを見送り、なすすべもなく息を引き取って十字架から降ろされたイエスを抱きかかえて悲しみに暮れるマリア。
この場面を表した最も有名な作品の一つが、このミケランジェロのもの。
これはミケランジェロがようやく20代前半に達した年齢で彫ったもの。この若さでこの完成度!非の打ちどころがありませんね。
この「ピエタ」は、ミケランジェロの作品のうちで唯一、本人のサインが入っているもの。若きミケランジェロがプライドをかけて仕上げた、本人にとっても渾身の出来で自分の功績を刻み付けたかったのですね。
ここでの聖母マリアは実際の年齢よりもかなり年若く表現されています。
そしてマリアは、イエスの昇天後、その使徒とともに精霊の教えを広める活動をしていきます。
12.マリアの昇天
聖書の中ではマリアに関する記述はこれで終わりですが、5世紀頃から「聖母が昇天した」とする伝説が信じられるようになりました。
それによるとマリアは地上での生活を終え、体も魂も同時に天国(空の上)へ上ったとされています。つまり、それは「死」ではなく、「眠り」の一種であると表現されます。
マリアが天へ上った日は8月15日。そのためこの日はイタリア全土で毎年祭日とされています。
聖母マリアの物語が描かれた作品
イタリア、特にフィレンツェではドゥオモである大聖堂を聖母マリアに捧げるくらい、マリア様が大人気。街ではあちこちに聖母マリアが登場しますが、その中でも一連の物語が描かれている作品群があるのはこちら。
サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
主祭壇、トルナヴォーニ礼拝堂には、西面の壁一面に聖母マリアの物語(東面は洗礼者ヨハネの物語)が描かれています。
ミケランジェロの師匠であったギルランダイオの生き生きとして緻密な描写や、ところどころに当代の人物が似顔絵、肖像として描かれているのも見どころ。
サンタ・クローチェ聖堂
こちらはタッデオ・ガッディ(Taddeo Gaddi / 1290-1366)の作品。彼は同教会内のバルディーニ礼拝堂、ペルッツィ礼拝堂などを手掛けたジョットの弟子です。
師匠の画風を忠実に踏襲した表現は、ジョットの愛弟子であったというのもうなずけます。美術史上初めて「夜」のシーンを描かれたことでも有名な作品。
また聖具室には別の作者ジョヴァンニ・ダ・ミラノ(Giovanni da Milano / 1325?-1370?)による聖母マリアの物語のフレスコ画も見られます。
サンタ・トリニタ聖堂
こちらはロレンツォ・モナコ(Lorenzo Monaco / 1370?-1425?)が残した最後の作品。当時の美術潮流を代表する国際ゴシック様式で描かれたフレスコ画で、とても優雅な表現が特徴的です。この作者は、受胎告知をされる清廉なマリアを描いたベアート(フラ)・アンジェリコの師匠ともいわれ、サン・マルコ美術館にはロレンツォが描き始め、アンジェリコが仕上げた作品が残っています。