フィレンツェでは毎年復活祭の日に恒例の伝統行事があります。
スコッピオ・デル・カッロ(Scoppio del Carro)、1年の運勢を占う大事なお祭り。
今年もドゥオモ広場でフィレンツェ市民が見守る中、鳩が飛び出しました!
このイベントの歴史と気になる今年の結果をレポート!!
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参考
Firenze, che spettacolo lo Scoppio del CarroLa Nazione
目次
復活祭とは
聖書に描かれた復活のシーン
イタリアはカトリックの国なので、年中行事のほとんどが聖書の内容と結びついています。
その中でも、「復活祭(Pasqua / パスクァ)」はとても大切な行事。
十字架につけられたイエスが奇跡の力により復活し、神の子であることが証明されたというキリスト教の根幹の教えです。
その場面は聖書の表現ではこんな感じ。
そして、週の初めの日の明け方早く、(婦人たちは)準備しておいた香料を持って墓に行った。
見ると、石が墓のわきに転がしてあり、
中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。
そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。
婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。
あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。
人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」
そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。
-日本聖書協会「新約聖書」ルカによる福音書24:1-8
復活祭の日取り
さて、そんな大切な復活祭なんですが、実は何月何日のこと、とは聖書に明記されていません。
書かれているのは「週の初めの日」という表現のみ。
ガイド学校の先生カテリーナ
そこで、325年に開かれたニケーア公会議により、以下のように復活祭の日取りが定められました。
つまり、春分の日と満月に基づいて決まるわけですから、毎年変動するのです。
いちばん早い年で3月22日、いちばん遅い年で4月25日と1か月以上の開きがあります。
※カトリックの考え方。東方正教会など別宗派のキリスト教では考え方が異なる。
ガイド学校の先生カテリーナ
ほんとにびっくりするぐらい閉まってしまいます。レストランも臨時休業が多く、要注意です!
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フィレンツェの伝統行事、Scoppio del Carro
フィレンツェでは、パスクァの日曜日に、スコッピオ・デル・カッロ(Scoppio del Carro, =山車の爆発)という伝統行事が行われます。
由来と歴史①第一回十字軍
この行事の由来を遡ると、11世紀のある伝承に行きつきます。
当時のキリスト教世界では聖地エルサレム奪回の十字軍が始まったところ。
フィレンツェからも多くのカトリック信者がこの聖なる戦いに参加し、その指揮官を務めたのがパッツィーノ・ディ・ラニエーリ・デ・パッツィという人物。彼は1099年、キリストを葬ったとされる聖墓のかけらを3つ、手に入れました。
このかけらはこれ以後フィレンツェにて保存され、現在はサンティ・アポストリ教会にあります。
由来と歴史②聖なる火を配る儀式
ところでエルサレム解放後の聖土曜日には、十字軍の兵士たちには清めの儀式として祝福された火が配られました。
フィレンツェにもこの習慣は継承され、儀式に大切なをおこすのに使われたのが…
ガイド学校の先生カテリーナ
この聖なる3つの石のかけら、これらを使う権利を持っていたのはパッツィ家の人のみでした。
彼らはこの、火をおこして信者に配る役割を果たすため、木でできた山車を作り、フィレンツェの街の信者たちに配って歩きました。
ガイド学校の先生カテリーナ
長らくパッツィ家の大切な役割だったこの火を配る儀式。ある歴史的事件をきっかけにフィレンツェの有力な商人組合であるアルテ・ディ・カリマーラに一任されるようになりました。
ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ
ジュリアーノとその愛人シモネッタが登場する有名美術作品といえばこの一枚!
サンドロ・ボッティチェリ作「春(プリマヴェーラ)」まさに春の喜びが溢れた幸せいっぱいの名画!
由来と歴史③現代に伝わる儀式
しかし1494年、ロレンツォ・イル・マニフィコの長男ピエロの失策によるメディチ家の追放をきっかけに、パッツィ家はこの大切な役割を取り戻します。
以降、ずっとパッツィ家はこの大役を務めていきますが1864年にフィレンツェ市へとバトンタッチ。
長らく聖土曜日に行われていたこの行事は、1956年からはパスクァの日曜日に移動されました。山車は専用の車庫から2頭のキアニーナ牛にドゥオモと洗礼堂の間にひかれてきます。
ドゥオモ広場に到着した後は、大司教が白い鳩をかたどったロケットに火をつけます。
この鳩のことをコロンビーナと呼び、これは山車まで糸をつたって飛んで、花火に点火!
この花火が激しく散る様子が、かつて市民に火を配った儀式を模しているのです。
コロンビーナは点火した後、出発した場所(ドゥオモの主祭壇)まで戻るんですが、もしも山車まで届かなかったり、ちゃんと元いた場所まで戻れなかったりすると、来たるべき年はよくない一年になる…と、フィレンツェの街の吉凶を占う役目があります。
ここ最近はコロンビーナはこの大役を失敗していません。記録によると最後に失敗したのは1966年。
フィレンツェ人にとっては忘れられない、街に甚大な被害をもたらした、アルノ川の大洪水が起こった年となりました。
11月4日、あれから50年。フィレンツェの街とアルノ川の大洪水。
気になる2017年の結果は?
というわけで、無事、ドゥオモ内を飛び立った白い鳩は、また来たところへと無事到着。
これにより、この1年は良い年になるぞ!と保証されたのですね。良かった良かった!!