ルネサンスの巨匠ミケランジェロ。
彼は人生の大半をフィレンツェとローマで過ごし、この二つの都市に作品のほとんどが残されています。
最も有名な作品のうちのひとつ、「ピエタ」はバチカン市国のサン・ピエトロ寺院にあるものが有名ですが、実は彼は「ピエタ」と呼ばれる作品を他にも彫っています。
今回の作品は、ローマで作られ、フィレンツェに後に運ばれたもの。
でも、巨匠は途中で作品を放棄し、未完成で残されてしまいました。
ピエタってなんなのか?どうして途中でやめちゃったのか?
ミケランジェロの頭の中をこっそりのぞいてみましょう!
目次
ミケランジェロの3つの「ピエタ」
「ピエタ」とは
「ピエタ」とは、「哀しみ・同情・慈悲・信心」などの意味を持つ言葉です。
美術作品において「ピエタ」と呼ばれるものは、通常、十字架から降ろされたイエスを聖母マリアが抱きかかえて悲しみにくれる様子を表したものです。
その意味では、このバチカンの「ピエタ」が最もその場面を的確に表しています。
一方、今回の「ピエタ」はマリア以外にニコデモ(後ろにいる頭巾をかぶった男性)、もうひとりの女性(マグダラのマリア)が一緒にいます。
このように他の人物が登場してイエスの身体を抱えている場面は、「ピエタ」というより「十字架降下」と呼ばれることが多いです。
例えばこんな感じ>>
ポントルモの”憂鬱な”「十字架降下」。変わり者だった作者の性格と作品の特徴とは。ミケランジェロが彫った他の「ピエタ」
作者ミケランジェロは、生涯で「ピエタ(Pietà)」と呼ばれる作品をいくつか彫りました。
このうち、3のパレストリーナのピエタについてはミケランジェロの作品かどうかは疑問視されています。
なぜなら、この作品は筋肉の表現が間違っている!!我らがMikeは病院で遺体解剖の現場に立ち会わせてもらって勉強したから、筋肉の表現を間違えたことはないんだ!!
※Mikeはミケランジェロ(Michelangelo)の英語名です。
この辺りのお話はこちらにも>>フィレンツェNo.1イケメン!?ダヴィデくんのお話。
フィレンツェのシンボル、ミケランジェロ作ダヴィデ像【前編】基本プロフィールを解説!あと、我らがMikeは人の手をつけた大理石を彫ったのはダヴィデ像だけ!!このパレストリーナのピエタは、後ろに明らかに別人が彫ろうとした跡が残っているんだ!!
それならどうしてミケランジェロの作品って言われてるの?
なぜなら誰の作品か明確な記録がないんだ!でも、この作品が見つかったのがローマの教会で、そこがMikeにゆかりが深かったからそのように言われたんだ!でも、こんな不完全な状態の作品がマエストロのものだとは、俺は信じない!OK?
まぁそんなわけで真偽のほどはわかりませんが、ミケランジェロ本人の作品と記録が残っているのは3つ。
最初に彫られたサン・ピエトロの「ピエタ」を除いて、すべて未完成で、ミケランジェロの晩年に彫られています。
「バンディーニのピエタ」の運命
さて、それではこの「バンディーニのピエタ」について詳しく見てみましょう!
作品が彫られることになったきっかけ
1547年、当時ミケランジェロはローマにいました。72歳。
この年、ミケランジェロが仲良くしていた詩人で貴族の女性、ヴィットリア・コロンナ(Vittoria Colonna)が死去します。
彼女はミケランジェロより15歳下でしたが、大変聡明で詩の才能にあふれていて、同じく自分も詩を書くミケランジェロにとっては数少ない友達のひとりでした。
Mikeは相当変人で、気難しかったから友達少なかったんだ!OK?
長らく手紙のやりとりなどで交流を深めていた友人の死は、老年のミケランジェロに少なからず衝撃を与えたのでしょう。
彼は自分の死後のことを考えるようになり、自らのお墓のプランを考えてこの彫刻に着手したのです。
ミケランジェロのプランでは、自分の死後ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ教会に葬られる予定でした。
そこの祭壇に置くために考えたのは、この「死」をテーマにした彫刻。
十字架から降ろされたイエスの身体を後ろから支えるニコデモは、彼自身の自刻像だと言われています。
しかし…彫刻は放置された!
彫刻に着手したものの、この大理石はなかなかの曲者でした。
硬くて不純物が多く、なかなか思い通りに掘り進まない!
既に70歳を超えていた巨匠にはなかなかこたえる作業…
ついに、イラーーーーーーっときたミケランジェロは作業を放棄!!
のみならず、破壊しにかかりました!!
なんなんこいつ!!使いづらすぎるやろ!!!イラッとするわ~!!
もともと短気で怒りっぽい性格だったので、一気に破壊神へ変貌。
そんなわけで1555年、作業をあきらめて未完成のまま放置していた大理石ですが、これを買いたいという人物が現れます。
その人物は、フィレンツェの彫刻家で建築家だったフランチェスコ・バンディーニ。
あ、だから、名前が「バンディーニのピエタ」っていうのね
1671年、メディチ家の手へ
その後、フランチェスコ・バンディーニの死去によりそのままローマのバンディーニ家のブドウ畑に放置されたまま時は流れ…
約100年後の1671年、メディチ家の当主、コジモ3世がこの彫刻を買い取りました。
彼はそれをフィレンツェに運び、一家の菩提寺であるサン・ロレンツォ教会の地下に設置しました。
ここの地下にはメディチ家にとって重要な祖先、コジモ・イル・ヴェッキオ(老コジモ)が眠っているんだ!ちなみにそのすぐそばに彫刻家ドナテッロのお墓もあるぞ!!
余談ですがこのドナテッロ晩年の作『マグダラのマリア』は、今回のミケランジェロ作『ピエタ』と同じドゥオモ付属博物館所蔵で、二つの作品はすぐそばに展示してあります。
ドナテッロ晩年の作品「マグダラのマリア」彼は何を伝えたかったのか?そしてさらに50年後、フィレンツェで宗教的に最も重要な場所、ドゥオモの主祭壇の後ろに設置されました。
現在保存されているドゥオモ付属博物館にやってきたのはわずかに1980年のことです。
未完成ながらも見どころが多い「ピエタ」
マエストロ作と弟子作
まず「ピエタ」全体像を見ての印象。
向かって左の女性、マグダラのマリアだけ、ちょっと…なんか違いますよね。
他の人たちはグループで統一感があるけど、ここだけ違和感…?顔や体の大きさとか、雰囲気も違うかな?
そうなんです。
実はこの部分はミケランジェロの手によるものではなく、弟子のティベリオ・カルカンニ(Tiberio Calcagni)が制作したもの。
1555年にバンディーニに買い取られた未完成の彫刻は、この取引を仲介したミケランジェロの弟子であった彼が仕上げてみようと試みます。
が、中途半端にクオリティの低い仕上がりの部分が加わっただけに終わり…
これより先はストップされたのか、カルカンニ自身が諦めたのかはわかりません。
破壊のあと
あまりの扱いにくさに彫刻を放棄したミケランジェロですが、ただ放置しただけではなく、怒りにまかせて破壊した跡が今でも残っています。
イエスのひじの部分と手首の部分、イエスの左胸の部分、そしてマリアの手の指の付け根、それぞれにひびが入っていたり変色していたりしています。
それと、わかりにくいですがイエスの肩の部分にもその跡が見えるようです。
イエスの左足がないのも、壊したせいだとも言われているぞ!
あ、ホント…。右足しかない…
ミケランジェロらしい「死」の表現
彼の独特の表現が見られるのは、イエスの手の部分。
左手はただだらんと下がっているだけでなく、わざわざひじから下は向きがひねられています。
確かに、意識のない状態(眠っていたり、死んでいたり)の身体はこんな風になって揺れたりしますね。
すごいリアル…!
せっかく全体が見えるように展示してあるので、全方向から鑑賞してみてくださいね。
この未完で残ってる石の部分なんかは、すごく硬くて彫りにくそうなのがわかるね…!逆に、よくここまで彫り出したなぁって感じ!
ドゥオモ付属博物館観光情報
このミケランジェロの作品、未完の「ピエタ」はフィレンツェのドゥオモ付属博物館に保存されています。
この博物館は2015年10月に改装を終えて再オープンしたばかり。
入り口が地味すぎて、そのすごさがなかなかわかりにくいんですが、中に入ってみるととても広いです。
ガイドブックでもあまりしっかり紹介されてないしね…
でも実はウフィツィ美術館と並んで、フィレンツェで一押し美術館のひとつ。
ここにはかつてサン・ジョヴァンニ洗礼堂やドゥオモ、その関連施設などにあった美術品や、今もそこで見られる作品のオリジナルが保存されています。
新しい美術館だけあって作品の見せ方がとても工夫されていて、かなり見ごたえがありますよ。
例えば今回のミケランジェロの作品なら、本来、教会の祭壇の上に飾るよう作者が想定していたように、少し高い台の上に設置されています。
そして空間を後方にもしっかりとって、360°どこからでも鑑賞できるようになっています。彫刻ならではの鑑賞方法ですよね。
作品のライティングもしっかり考えられていて、一番迫力があり、見るべき場所が注目できるよう光が当たっています。
洗礼堂やクーポラ、ジョットの鐘楼に入場する予定があるのなら、共通チケットで入れますので、是非お見逃しなく!
ドゥオモ、クーポラ、ジョットの鐘楼、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ドゥオモ付属博物館、サンタ・レパラータ教会遺構