西洋美術ではキリスト教をテーマにした宗教画がたくさん登場し、表現されるそのほとんどがイエスや聖母マリアをはじめとした聖書に出てくる人物たち。それぞれの人がいったい誰で、何をした人なのかがわかれば絵画や彫刻を鑑賞する上でさらに楽しむことができます。
文学少女トモミちゃん
というわけで、今回はイタリアの美術を知るうえで欠かせない聖書の超有名人、「洗礼者ヨハネ」をご紹介します。
目次
洗礼者ヨハネとは
洗礼者ヨハネ(伊:San Giovanni Battista / 英:John the Baptist)とは、その名の通り「洗礼」をする人。
「洗礼」は教会用語で「バプテスマ」とも言われます。語源はギリシア語で、本来の意味は「一体化」ということだそう。
バプテスマ(洗礼)の本来の意味は、「一体化」ということです。布を染料液に浸けると、その色に染まります。それがバプテスマの意味です。
…(中略)…
クリスチャンが受けるバプテスマが象徴する一体化とは、もちろん、「イエス・キリストとの一体化」です。「自分はイエス・キリストを信じた」、あるいは「イエス・キリストと一つになった」、ということを象徴的に表現するのが洗礼です。洗礼は、イエス・キリストを信じてクリスチャンになった人がキリストに従順な生活を始める第一歩です。聖書入門.com「バプテスマ」より
現代では、一般的にキリスト教に入信する儀式のことを指します。
聖書に登場する「預言者」
ヨハネが登場するのは主に新約聖書の前半部分で、預言者という存在です。
「預言者」というのは、神の言葉を聞き、それを人々に伝える役割を果たす人のこと。ヨハネは旧約聖書でイエス(=救世主)について述べられていることを人々に説き、その到来を予告します。
ちなみに聖書には他にも有名な福音書記者(=聖書を著したとされる人)のヨハネが登場します。
そのため、洗礼者ヨハネをテーマにするときは、必ず名前に「洗礼者(伊:Battista / 英:the Baptist)」をつけて明示します。
洗礼者ヨハネの一生
洗礼者ヨハネは前述の通り、イエスに洗礼をするという重大な使命を負って生まれてきた人。
それゆえか、その誕生のいきさつから死まで、色々なエピソードがてんこ盛りの濃厚な人生を歩んでいます。
ヨハネの一生はこんな感じでした。
①父ザカリアのもとに天使が現れ、「受胎告知」
文学少女トモミちゃん
そう、そして、実は「受胎告知」によって生まれたのはイエスだけではなく、この洗礼者ヨハネもそうなんですよ。
ガイド学校の先生カテリーナ
時はユダヤの王ヘロデの時代、紀元前一世紀のことです。
祭司ザカリアという人がいまして、奥さんの名前はエリザベトといいました。
二人ともとても正しい人でしたが、エリザベトは子どものできない体だったため、二人の間には年老いても子どもがいませんでした。
ある日、ザカリアが祭司の務めをしていたときのことです。
その日はたまたまザカリアは一人で主の聖所に入って香をたくことになりました。
香をたいていたザカリアの隣に突然、現れたのが…
大天使ガブリエル!!
恐れおののくザカリアに向かって、ガブリエルはいいます。
大天使ガブリエル
そしてさらに、その子は誕生して長じたのち、偉大な人になり多くの民を主の下に導くことになるであろう、と予言します。
それに対してザカリアは
ザカリア
それを聞いたガブリエルは…
大天使ガブリエル
なんと、大天使ガブリエルは怒ってしまいました!!
神の言葉そのものをもたらすためにやってきた使いを信じなかった罰として、ザカリアは口が利けなくなってしまいました…
文学少女トモミちゃん
ザカリアが祭司としての務めが終わって自分の家に帰った後、妻エリザベトは身ごもりました。
②母エリザベトのもとに聖母マリアが訪問「エリザベト訪問」
それから六か月が過ぎた頃。
大天使ガブリエルは神から授けられた次なる使命のため、いそいそとナザレへとやってきました。
今回のお仕事は、そう、救世主イエスの誕生をその生母となる処女マリアにお告げをすること!
大天使ガブリエル
いきなり目の前に天使が現れ、謎の挨拶をされたマリアはびっくり…!!
シモーネ・マルティーニ『受胎告知』豪華絢爛なゴシック美術の極み。
最終的には天使の言葉に納得し、そのお告げを受け入れたマリア。
そのとき、ガブリエルは同時に、遠縁である高齢のエリザベトが妊娠していることも告げて立ち去ります。
それを聞いてマリアはエリザベトに会うためにユダの町(ザカリアとエリザベトが住む町)に向かいました。
ザカリアの家に入ってマリアがエリザベトに挨拶した時、エリザベトは驚き、また聖霊に満たされて言いました。
エリザベト
マリアのお腹の中の子(=救世主イエス)に対面し、エリザベトのお腹の中の子(=洗礼者ヨハネ)は幸福を感じ、喜んだのですね。
それでマリアは主を賛美する祈りの言葉を唱えました。
それから、三か月ほどエリザベトのところに滞在してから、自分の家に帰りました。
③ヨハネの誕生
さて、予定日を迎え、エリザベトは男の子を産みました。
八日目に割礼の儀式を施すために人々が集まり、慣例に従ってその子に父の名を取ってザカリアと名付けようとしたところ…
エリザベト
エリザベトの親類にそんな名前の人々はいなかったので、不思議に思った人々は、父ザカリアに確認しました。
ご存知の通り、ザカリアは天使の言葉を信じなかった罰を受けて口が利けなくなってしまいましたから、板を持って来させてそこに書きつけます。
『この子の名はヨハネ』
驚く人々の前で、ザカリアは口が開き、舌がほどけて神を賛美し始めました。
人々は恐れを感じてその噂はあっという間に近隣に広がり、「いったい、この子はどんな人になるのだろうか」と話し合ったのです。
④人々への洗礼
さて、その後ヨハネは成長し、荒れ野で隠者のような生活(らくだの毛衣を着て腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物とするもの)をしていました。
ユダヤの荒れ野で人々に「悔い改めよ。天の国は近づいた」と説教を行います。
そんなヨハネの下にはヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネの下にやって来て罪を告白し、彼から洗礼を受けました。
人々は救世主を待ち望んでいて、彼こそがその人ではないかと心の中で考えていました。
そこで、ヨハネは人々に向かってこう言います。
洗礼者ヨハネ
そしてその言葉通り、次に現れるのがイエスです。
⑤イエスへの洗礼
イエスはナザレからやってきて、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けました。
儀式の前に、ヨハネはこう言います。
洗礼者ヨハネ
イエスの答えは「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」というもの。
つまり、神の意志に従い、自分がヨハネから洗礼を受けることが正しいのです、と説得します。そこでヨハネはイエスの言われたとおりにしました。
イエスが水の中から上がるとすぐ、天が開いて神の霊が鳩のようにイエスの上に降ってきて、天から「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえたのです。
⑥ヨハネの最期「サロメの希望で斬首」
ヨハネの最期は壮絶なものでした。
領主ヘロデが自分の行ったあらゆる悪事についてヨハネに責められたのでヨハネを牢に閉じ込めたのです。
ヨハネが非難した最も重い罪とは、ヘロデ王の結婚のこと。ヘロデ王は自分の兄弟フィリポの妻へロディアを奪って結婚していました。
そのことをヨハネが
洗礼者ヨハネ
と言ったため、牢につないでいたのです。ヘロデ王としては彼を殺したかったのですが、民衆の反発を恐れて手を下せないでいました。
さて、ヘロデ王の誕生日のことです。盛大な宴が開かれ、多くの客人の前で妻へロディアの娘、サロメがとても上手に踊りをおどり、ヘロデ王を喜ばせました。そこでヘロデは、彼女に「願うものは何でもやろう」と誓って約束します。
すると、娘は母に唆されて
サロメ
と言いました…!
ヘロデ王は心を痛めたものの、皆の前で誓った手前、娘の願いを退けるわけにはいかず、衛兵を遣わして牢の中でヨハネの首をはね、盆に載せて持ってこさせました。
その首を受け取ったサロメは満足げな母へロディアに差し出したのです。
文学少女トモミちゃん
ちなみにこの日は6月24日、このため洗礼者ヨハネを守護聖人に戴くフィレンツェは6月24日は祝日です。
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洗礼者ヨハネのアトリビュート
「アトリビュート」とは、日本語だと「持物」と訳され、その人を示すシンボルです。
その人の聖書内のエピソード(例:マグダラのマリアの壺)、亡くなる原因となったもの(例:聖ステファノの石)などに基づいて表現されます。
洗礼者ヨハネの場合は、①長い棒のついた十字架②らくだの毛皮の2点です。
長い棒のついた十字架
十字架には「Ecce agnus Dei(=『見よ、神の子羊』の意)」と書かれることがあります。
これは、新約聖書「ヨハネによる福音書」にその洗礼者ヨハネのセリフの記載があることから、使われます。
…ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』と私が行ったのは、この方のことである。
…(中略)…わたしはそれ(=”霊”が降ってある人にとどまるの)を見た。だから、この方こそ神の子であると証したのである。」-日本聖書協会「聖書」ヨハネによる福音書1-29~34より引用
らくだの毛衣
前述の通り、荒れ野に出ていた頃のヨハネの服装はらくだの毛衣に革の腰ひもといういで立ちでした。たまに、殉教を示す赤いマントが付け加えられることもあります。
洗礼者ヨハネが登場する有名絵画作品
洗礼者ヨハネは聖書においても、イエス(=救世主)に洗礼をするという非常に重要な使命を負った人物であるため、絵画や彫刻などの芸術作品のモチーフとしてもとても人気です。
特に、フィレンツェでは街の守護聖人が洗礼者ヨハネということもあり、たくさんその姿を見ることができます。
フィレンツェ以外の街にあるものも含めて、代表的な有名絵画作品をご紹介します。
フィリッポ・リッピ「洗礼者ヨハネの物語」
ボッティチェリの師匠で、フィレンツェ出身のぶっとび修道士フィリッポ・リッピの作品です。
プラートのドゥオモ内の礼拝堂のひとつに書かれた、ヨハネの誕生以降の場面を描いた生涯の一連のフレスコ画作品。
この人の代表作とぶっとびキャラクターについてはこちら。
フィリッポ・リッピ「聖母子と天使たち(リッピーナ)」美しい聖母マリアの秘密とは?
アンドレア・デル・ヴェロッキオ「キリストの洗礼」
レオナルド・ダ・ヴィンチが師事していたアンドレア・デル・ヴェロッキオとレオナルド・ダ・ヴィンチの共作です。
若かりしレオナルドがすでにその素晴らしい絵画の才能を開花させていることがわかる素晴らしい作品です。
背景こそが面白い。ヴェロッキオ「キリストの洗礼」見どころを徹底解説!
ドメニコ・ギルランダイオ「ヨハネの一生」
ミケランジェロの師匠であるギルランダイオが、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の主祭壇(トルナヴォーニ礼拝堂)に描いたフレスコ画作品、一連のヨハネの生涯の物語。
対になるマリアの一生の物語も必見です。
フィレンツェの街を芸術的に大きく発展させた貢献者、メディチ家の面々やそれに関連する人々の似顔絵が多数、描かれていることでも有名。
レオナルド・ダ・ヴィンチ「洗礼者ヨハネ」
有名な『モナ・リザ』とともに、レオナルド・ダ・ヴィンチが最後まで自分で持ち歩き手を入れ続けたと言われる、実質上の遺作と言える作品です。
そのポーズは天を指し、「わたしの後から来る人がわたしより優れた方である」と人々に言っているときの姿。
女性的な雰囲気を感じる美しい顔立ち、ふくよかな体つきとともに他の作者のヨハネと比べると、不敵な微笑みを浮かべている表情が印象に残る作品です。
ティツィアーノ「洗礼者ヨハネ」
ヴェネツィア派の巨匠、ティツィアーノの作品。
ヴェネツィアといえば色彩感覚豊かな作品が特徴で、素描についてはトスカーナに後れを取っていました。が、ティツィアーノはこの作品を描く頃には、ミケランジェロに代表されるフィレンツェ派の卓越した素描技術を学ぼうとしています。
この作品は、もともとヴェネツィアの別の教会にあり、ヨハネはその飾られていた場所からイエスの方向、主祭壇を示すポーズをとっています。
カラヴァッジョ「洗礼者ヨハネの斬首」
ヨハネの最期を描いた作品で、カラヴァッジョらしい光と影のコントラストが生きた作品です。
彼の人生における重大な事件が起きた後の作品で、より画面の明るさが少なくなっていますが、それによって人々の沈痛な面持ちや悲劇的な場面が強く伝わる作品。
カラヴァッジョはこの他にも洗礼者ヨハネをテーマにした作品を、彼自身の手によるコピーも含め、たくさん残しています。
カラヴァッジョの波乱万丈な人生についてはこちら。
カラヴァッジョの「イサクの犠牲」”背景”が描かれた貴重な作品!
この他にも有名・無名を問わずたくさんの作品が残されています。
「らくだの毛衣」を着て「十字架」を持った人物がいたら、それはきっと洗礼者ヨハネ。その一生に想いを馳せてみてくださいね!