ラファエロ・サンツィオ(Raffaello Sanzio / 1483-1520)。マルケ州ウルビーノ生まれ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、盛期ルネサンス三大巨匠のひとりに数えられます。
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ラファエロはレオナルドとは31歳差、ミケランジェロとは8歳差なので、ラファエロが画家として活動を始めた頃には、二人の大先輩はすでに芸術の都フィレンツェをはじめ各地で非常に有名になっていました。
画家としての修行と経験を増していくうち、若きラファエロはフィレンツェにやってくる機会を得て大先輩の技術を学び、自身も偉大な芸術家への道を歩んでいくことになります。
今回は、現在私たちが知るラファエロが完成するずっと以前、小さな頃を過ごした生家をご紹介します。
※ラファエロの日本語表記はラファエッロ、ラッファエッロなど複数ありますが、当記事内では「ラファエロ」で統一します。
目次
ラファエロの生家があるウルビーノ
ウルビーノの場所
ラファエロの生まれ故郷、ウルビーノがあるのはイタリア中部のマルケ州という場所です。
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周辺は緑いっぱいの小高い丘(山?)の上にある、小さな街です。
丘そのものに作られた場所なので、街自体も坂道がたくさん、アップダウンがかなりあります。もちろん、街から外側を眺めたときのパノラマは絶景♪
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2019年現在の人口は14,000人程度の小さな街(村?)です。イタリアの地方の小さな村の例に漏れず、過疎化が進んでいてここ10年ほどは人口は減少傾向。
でも、実はこの町には大学があることから、学生さんが結構住んでいるんです。通りを歩いていると若い学生さんらしきグループにたくさん遭遇します。
一方でもともとの町の住民は高齢化しており、年齢層は二分されているようです。
ウルビーノへのアクセス
実はここ、ウルビーノはなかなか交通アクセスが困難な場所にあります。
公共交通機関で行くとすると、ペーザロ(Pesaro)駅またはファーノ(Fano)駅が最寄になるのでそこまで電車でアクセスし、そこからはバスに乗って1時間前後。
- 南(ローマ・ナポリ)方面から
ローマ・テルミニ(Roma Termini)~ファーノ(Fano)まで電車で約4時間【トレニタリア(Trenitalia)】
ファーノ駅からバスで約1時間20分【アドリアブス(Adriabus)】 - 北(フィレンツェ・ボローニャ・ミラノ・ヴェネツィア)方面から
フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラ(Firenze S.M.N.)~ペーザロ(Pesaro)まで電車で約2時間半~3時間【トレニタリア(Trenitalia)】
ペーザロ駅からバスで約50分【アドリアブス(Adriabus)】
最寄り駅からのバス自体は1時間に2本程度出ていてそれほどアクセスは悪くないのですが…。
他都市からアドリア海側への電車でのアクセスは乗り換えあり、時間がかかり、とにかく行きにくい!
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なので、車でアクセスが一番楽で時間も短いです。
(フィレンツェから約3時間、ローマから約3時間半)
ラファエロの時代のウルビーノ
ここウルビーノの有名な人物にフェデリーコ・ダ・モンテフェルトロ(Federico da Montefeltro / 1422-1482)がいます。
フィレンツェのウフィツィ美術館にある、この作品に描かれた人物(男性)。
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とても有名な絵ですね。
フェデリーコはウルビーノの領主で、傭兵隊長という軍人出身ではありましたが、芸術文化に非常に造形が深く、彼が統治した時代のウルビーノ宮廷はとても華やかでした。
ラファエロが生まれる直前、1482年に死去するまでこのウルビーノの地を統治していて、ラファエロの父ジョヴァンニ・サンティもフェデリーコの統治するウルビーノ宮廷の画家として活躍していたのです。
この時代に重用された芸術家で特に有名なのがピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca / 1416?-1492 )。
Azu
彼らの偉大な作品が守られ生み出された芸術的に豊かなウルビーノという地にラファエロが生を受けたこと、それはまさに後の偉大な芸術家を作り出すのに必要なことでした。
ラファエロ誕生~幼少期を過ごした家
さて、こちらがラファエロの生家。
ウルビーノの街はどこを歩いてもほぼ坂道なので、こちらも例外なく坂道の途中に位置しています。
現在は、建物全体がAccademia Raffaelloという団体の管理で美術館として公開されています。
入り口左手の扉は、ラファエロの父ジョヴァンニの工房だった場所。
建物は3階建て。15世紀頃建てられた結構大きな建物で、全体図はこんな感じです。
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルネサンスの天才を生み出した小さくつつましやかな村。 ミケランジェロの生まれ故郷カプレーゼに行ってきました!
後に所有者が変った17世紀に少し改変が加えられたようですが、今も残っている元の部分は当時の市民階級の家としてはごく標準的なものだったとのこと。
この美術館全体には、父ジョヴァンニや同時代の芸術家の作品のほか、ラファエロの作品をコピーしたものなどが展示されています。
2階
リビングルーム
それでは、中に入ってみましょう!
階段を上って、まず最初の大きな部屋はリビングルーム(たぶん)
部屋の隅にはブロンズのラファエロの胸像。若い頃の自画像をもとに作られたんでしょうか、やはりイケメンですね!
部屋全体には父ジョヴァンニの作品のほか、15世紀の画家の作品が展示されています。
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そうなんです。それに、この部屋の天井が見事!飾り彫りの入った木枠が年代を感じさせます…
父ジョヴァンニの部屋
リビングルームを通って左手に進むと、『ジョヴァンニ・サンティの部屋』。
名前の由来はラファエロの父ジョヴァンニが結婚前にここをベッドルームとして使っていた(であろう)から。
小さな部屋ですが、天井が高いのと、通りに面した窓から光が入って明るめです。
ラファエロの部屋
またリビングルームに戻って、今度は右手の部屋に進みます。
ここが『ラファエロの部屋』!
まさにこの部屋で、ラファエロは誕生したと言い伝えられています。
壁のフレスコ画は、若きラファエロの作品と伝えられる『本の聖母(後述)』。
もともとここにあったものではなくて、家の中の「大きい部屋」にあったものを1900年代の初めにここに移されたものだそう。
Azu
キッチン&ダイニング
次に陶器のコレクションが置いてある『ウルビーノ公国の陶器の小部屋(=来客時の控えの間)』を通って、
まっすぐ行くとキッチン&ダイニングルームがあります。
↓この奥にちらりと見えている暖炉のある部屋です。
キッチンはとても天井が高く、使い込まれた暖炉が生活感を出しています。
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なにやら頑丈な紐や歯車などがついて、複雑そうな機械ですが…
実はこれ、お肉をローストするための機械です!しかも現役で使えるんだそうです(現在は使用接触禁止・動かないように固定してあります)。
たぶん、右の錘となる石を巻き上げておいて、棒に刺したお肉を火にかけると、熱で自然に棒が回転して石が自然に下がりきったらロースト完成!なのかな…?
レオナルド・ダ・ヴィンチが似た感じの大掛かりな機械を考案していましたね!
中庭
さて、台所に行く通路手前を左手に行くと井戸のある中庭に出ます。
ここには、ラファエロの父ジョヴァンニが絵を描くための顔料を作っていた石の台が残っています。
昔の顔料は、天然の鉱物や土などを削ってすりつぶして作っていたので、その作業のために使っていたんですね。
ゲストルーム(?)
この中庭の先にはもう一つ、暖炉付きの小さなお部屋が。「離れ」のような感じなので、いわゆるゲストルームとして使っていたんでしょうか。
部屋一面にはラファエロ作品のコピーがたくさん飾られています。もちろん、現代のアレンジですが、オリジナルがこんな風に一堂に会することはないので、なかなか圧巻な光景ですね!
3階
3階部分は、主にラファエロ作品のコピーや、Accademia Raffaelloに寄贈された作品などが展示されています。
そして、こちらはなんと…!
ラファエロの頭蓋骨の複製です。
彼は現在、ローマのパンテオンに眠っているのですが、こちらは1833年にその遺骨が発見されたときに作られたもの。
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ラファエロの生家ヴァーチャルツアー
このラファエロの生家、公式サイトでヴァーチャルツアーを楽しむことができます♪
音声(イタリア語 / 英語)による解説付き。
参考
VIRTUAL TOURCasa Raffaello(公式サイト)
ラファエロ最初期の作品(?)
ラファエロが生きた時代は父の職業を継ぐことが慣習でした。
幼い彼も、家の下にある父の工房で様々な画材や顔料、作りかけの作品に触れ、自然に絵画の世界へ順応していったことでしょう。
いずれ、ラファエロも父ジョヴァンニと同じく画家の道を歩み始めます。
(ヴァザーリはラファエロの母がまだ生きている頃、つまり8歳以前で既に師ペルジーノに弟子入りしたと書いていますが、それは実際には恐らく父が死去した11歳頃だとされています)。
ペルジーノへの弟子入り以前は父ジョヴァンニの教えのもと、画家としての基本的な技術を学んでいました。
さて、こちらのフレスコ画は、ラファエロの生家に今も残る聖母子像。
とても柔らかで愛情あふれる作品です…!
この作品に関しては、かつては父ジョヴァンニが実際に自分の妻と子(つまりラファエロ)を描いたものだとされていました。
最近は、ラファエロの最も初期の作品であるとする説が支持されています。
父の作品であることが否定される根拠は簡潔にいうと「(父の作品にしては)上手すぎる」から…!
例えば聖母の頭の清らかで透明なヴェールの表現、聖母が読んでいる本の文字まで書き込んである丁寧さ、そしてラファエロが得意とした柔らかな光の表現など…
Azu
それに、聖母に抱かれた幼子イエスの眠る姿はとても自然で本当の赤ちゃんのようですね。
この二人の極めて親密な距離感、愛情が感じられる姿も後のラファエロ作品(例:『小椅子の聖母』)によく見られる特徴です。
聖母の指先の表現がとても美しいのも、後のラファエロ作品(例:『ローマ教皇レオ10世と枢機卿ジュリオ・デ・メディチとルイージ・デ・ロッシの肖像』)で見られる表現を思い起こさせます。
8歳で母を、11歳で父を亡くしたラファエロ。
彼にとって、愛情あふれる聖母子像というのは、生涯もっとも情熱をかけて取り組んだテーマであり、今日でもそのように世界中に知られています。
この坂道の多い小さな街で母や父と一緒に過ごしたのは人生の1/3ほどでしたが、豊かな芸術に囲まれた、その後の人生のためにはとても恵まれた環境でした。
自然豊かなこの風景は、彼の作品の背景表現などによく表れていると思います。
ラファエロについてのおすすめ本
もっと知りたいラファエッロ 生涯と作品 /東京美術/池上英洋