ラファエロの代表的な有名絵画作品21選~あの天使たちから聖母子像まで所蔵美術館ごとに紹介!

ラファエロ(Raffaello Sanzio / 1483-1520 )はわずか37歳でその短いながらも華やかな生涯を閉じましたが、残した作品数はなんと120点を超えています(共作や帰属その人のものと考えられている>作品を含む)。

聖母子像をはじめ、かなり有名作品の多い作者ですが、中には「インパンナータの聖母」のように日本ではあまり知られていないものも。

ここでは、ラファエロ作品の中でも有名な作品を厳選して、現在の所蔵美術館ごとにご紹介します!

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イタリアでみられるラファエロ作品

フィレンツェ:ウフィツィ美術館&パラティーナ美術館

アニョロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィの肖像(ウフィツィ美術館)

アニョロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィの肖像 ラファエロ・サンツィオ, 1506頃 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

アニョロ・ドーニとマッダレーナ・ストロッツィの肖像
ラファエロ・サンツィオ, 1506頃
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

1503年1月31日の彼らの結婚式の後に注文された作品で、1506年頃、ラファエロがフィレンツェ滞在中のわずかな期間に描いた作品の一つ。

2人のうち、特に夫のアニョロ・ドーニは当時のフィレンツェで有力な商人でした。ラファエロのことを気に入っていた大口注文主の一人で、そしてミケランジェロの現存する唯一の板絵『トンド・ドーニを注文した人でもあります。

ミケランジェロ/トンド・ドーニ(聖家族)ミケランジェロの唯一の板絵「トンド・ドーニ(聖家族)」巨匠こだわりの逸品!

2人とも上質な服に身を包み、指輪など高価なアクセサリーをたくさん付けていることからかなり裕福であることが示されています。

肖像画の背景には自然豊かな美しい景色。ラファエロが育ったウルビーノの雰囲気を反映しているとともに、このようなスタイルはフィレンツェに来たことによってレオナルドなど偉大な先輩の作品から学んだとされています。鑑賞者の方を見た3/4ポーズの肖像画も、同じくレオナルドの超有名作品『モナ・リザ』からの影響が見て取れます。

ヒワの聖母(ウフィツィ美術館)

ヒワの聖母 ラファエロ・サンツィオ, 1506頃 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

ヒワの聖母
ラファエロ・サンツィオ, 1506頃
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

こちらもラファエロが23歳頃、フィレンツェ滞在中に描いた作品のひとつ。

伝記作家ヴァザーリによると、友人だった裕福な毛織物商のロレンツォ・ナージの結婚のときに贈られたもので、彼らの自宅に飾ってあったそう。それが、1547年に住居が倒壊した際にこの作品も巻き込まれてしまい、大損害を受けてしまいました。その後、たくさんの破片をつなぎ合わされて復元されたこの作品、数々の修復作業を得て現在見られるような鮮やかな色彩を取り戻しました(最も新しい修復作業は2008年)。

描かれているのは聖母マリアと、その足の上に立つ幼子イエス、そして遠縁にあたる洗礼者ヨハネ。小さなヨハネはヒワ(小鳥)をイエスに差し出し、イエスはその小鳥を撫でる仕草をしています。ここではヒワはイエスの受難を示しています。

この作品に採用されているピラミッド型の構図は、レオナルドの画風から学んだもの。マリアの足の間にいて、足の上に立つ様子のイエスはミケランジェロの作品からインスピレーションを受けているとされています。

子どもたちを見つめる聖母マリアの悲し気な眼差しはとても伝統的な手法です(イエスの将来の受難を予測)。

大公の聖母(パラティーナ美術館)

大公の聖母
ラファエロ・サンツィオ, 1504頃
パラティーナ美術館, フィレンツェ

幼子イエスを抱きかかえた聖母マリアは眼差しを伏せて、少し憂鬱そうな感じも。我が子の将来の受難を既に知っているからと解釈されています。

この作品は、実は制作された経緯はわかっていません。名前の由来は18世紀終わりから在位していたトスカーナ大公フェルディナンド3世がこの絵を購入後、非常に気に入って常に自分とともに移動させたことからつけられたもの。
ラファエロがフィレンツェに滞在していたわずかな期間に、その時(またはそれ以前に)街で活躍していた色々な芸術家の作品をしっかりと学習し、影響を受け、自分なりの画風を模索しながら描かれた作品です。

ラファエロ作品にしては珍しく真っ黒な背景は、恐らく本人の描いたものではなく、オリジナルには風景が描かれていたものに後世、破損を補修するため加筆されたものと考えられています。

自画像(パラティーナ美術館)

自画像 ラファエロ・サンツィオ, 1504-06頃 パラティーナ美術館, フィレンツェ

自画像
ラファエロ・サンツィオ, 1504-06頃
パラティーナ美術館, フィレンツェ

この自画像は、フィレンツェ滞在中のラファエロ、恐らく23歳前後の頃の作品です。
ユーロになる前のイタリアのお金、リラの紙幣にはこの肖像画がデザインとして採用されていました。
自画像ですが、こちらをまっすぐ向いているわけではなく、振り返った顔を描くという斬新な構図です。

ただ、身体の解剖学的な正確さに欠けるという点や表情の表現力の乏しさなどから、本人の手によるものではないとする説もあります。

ユリウス2世の肖像(パラティーナ美術館)

ユリウス2世の肖像 ラファエロ・サンツィオ, 1512頃 パラティーナ美術館, フィレンツェ

ユリウス2世の肖像
ラファエロ・サンツィオ, 1512頃
パラティーナ美術館, フィレンツェ

ユリウス2世とは、ラファエロにとって最も大事なパトロンの一人、彼にヴァチカン美術館の装飾を依頼したローマ教皇でした。
波乱の時代にあった15世紀末~16世紀初頭にローマ教皇庁で宿敵アレッサンドロ6世と争い、1492年のコンクラーベ(選挙)では敗れますが、最終的に1503年にローマ教皇に即位。数々の外交政策や教皇領奪回の手腕から戦争好きと評されることが多いものの、同時に信仰心も深い人物であったと言われています。
また芸術に関する造詣が非常に深く、ラファエロの仕事を評価して重用したばかりでなく、ミケランジェロにもシスティーナ礼拝堂の天井画制作の依頼を行った人物でもあります。

ローマ教皇のような威厳ある人物の肖像画として、伝統的な横顔の”プロフィール“ではない描き方を採用したのはとても斬新でした。
実はこの肖像画、とてもよく似た二枚が現存しており、もう1枚はロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵です(恐らくそちらが最初のバージョンで、このパラティーナ美術館が2枚目)。

小椅子の聖母(パラティーナ美術館)

小椅子の聖母 ラファエロ・サンツィオ, 1513-14頃 パラティーナ美術館, フィレンツェ

小椅子の聖母
ラファエロ・サンツィオ, 1513-14頃
パラティーナ美術館, フィレンツェ

この作品、実は注文主が確定はしていませんが、上記のユリウス2世が腰かけているものと同じデザインの椅子に聖母マリアが座っていることから、ローマ教皇庁に縁の深い人物、つまりメディチ家出身のローマ教皇レオ10世が注文し、故郷の家族の元に送らせたのではないかと考えられています。

実際にいそうなぷくぷくした赤ちゃん、オシャレで高級なストールをまとったお母さん…、と時代と場所が違えば宗教画ではないと言われても違和感がないくらいに、普通に世の中にいそうな親子を描いた感じですね。
柔らかそうな赤ちゃんイエスの体やバラ色の頬の美しいマリア、後ろでやや心配げに見守るヨハネ。
それぞれの人物描写から、触感や重力感や感情表現など様々な表現を感じさせる色彩の描写力、素晴らしいですね。

小椅子の聖母 ラファエロ・サンツィオ, 1513-14頃 パラティーナ美術館, フィレンツェラファエロ作「小椅子の聖母」愛情深い母のまなざし。

ヴェールの貴婦人(パラティーナ美術館)

ヴェールの貴婦人 ラファエロ・サンツィオ, 1516頃 パラティーナ美術館, フィレンツェ

ヴェールの貴婦人
ラファエロ・サンツィオ, 1516頃
パラティーナ美術館, フィレンツェ

ヴェールをまとった上品な女性。でも、この女性が誰なのか、というのはわかっていません。作品が描かれたのはフィレンツェ滞在後、ローマに移ってからの時期。

16世紀の美術史家ヴァザーリは、ラファエロが死ぬまで愛した女性マルゲリータ・ルーティ(『ラ・フォルナリーナ』のモデルとなった女性)を描いたものであると述べていますが、彼女の身に着けている絹の衣装やジェリーが大変に豪華なことから、誰か注文主の依頼を受けて描かれた貴族階級の女性であるとする説が現在は有力です。
綺麗な絹織物のドレスの他、ヴェールの下に一部が見えているパール・ルビー・サファイアを組み合わせた髪飾りや琥珀の首飾り、そしてこの女性のバラ色の美しい肌の表現なども見どころです。

ローマ&ヴァチカン市国:ヴァチカン美術館&バルベリーニ宮殿

聖母の戴冠(オッディの祭壇画)(ヴァチカン美術館)

聖母の戴冠(オッディの祭壇画) ラファエロ・サンツィオ, 1502-03 ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

聖母の戴冠(オッディの祭壇画)
ラファエロ・サンツィオ, 1502-03
ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

制作1502年頃と、ラファエロがまだ弱冠20歳という若い頃の作品です。

ペルージャの教会のために注文された作品で、後にいったんパリに運ばれた後イタリアに戻り、ローマ教皇ピウス7世によりヴァチカン絵画館コレクションへ追加されました。

モチーフ「聖母の戴冠」で、様式はペルージャで中心となっていた上下二層に分かれた表現方法。上半分では天空でマリアイエスの手から冠を授けられており、その周りを音楽を奏でる天使たちが取り囲んでいます。さらに上を飛んでいるのは智天使熾天使たち。

下半分ではマリアが葬られた棺を取り囲む12使徒が、天に昇ったマリアの戴冠の様子を見つめています。12使徒のひとり、中央にいる「疑いのトマス」は聖母から手渡されたベルトを手にしています。棺の中の花は聖母マリアの象徴である白いユリ赤いバラ
全体的に落ち着いていて人物の動きも少なめで、師ペルジーノの影響をよく受けている表現は、フィレンツェに来た後、大きく変わります。

アテネの学堂(ヴァチカン美術館)

アテネの学堂 ラファエロ・サンツィオ, 1509-11 ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

アテネの学堂
ラファエロ・サンツィオ, 1509-11
ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

ヴァチカン宮殿内にある「署名の間(=法令や勅書などに署名するための部屋だったことから)」と呼ばれる部屋の一つの面に描かれた壁画で、ラファエロが手掛けた一連のフレスコ装飾の中で最も有名なものでしょう。

一点透視図法を利用し、なおかつシンメトリー(対称)に描かれた正確な構図によりあたかも奥に向かってさらに別の空間が広がっているかのようなリアルな奥行きを与えています。絵の中の壁龕にはアポロンとミネルヴァ、芸術と知識のシンボル。この絵の中に登場するのは主に古代の様々なジャンルの第一人者たち、プラトン、アリストテレス、ユークリッド、ゾロアスター、プトレマイオスなどなど、そしてそれぞれはラファエロの生きた時代の人々の芸術家がモデルで描かれています(例:プラトン=レオナルド・ダ・ヴィンチ、ユークリッド=ブラマンテ、ヘラクレイトス=ミケランジェロなど)。そして画面の右端でこちらを向いている人物こそ、作者ラファエロその人です。

ペテロの解放(ヴァチカン美術館)

ペテロの解放 ラファエロ・サンツィオ, 1513-14 ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

ペテロの解放
ラファエロ・サンツィオ, 1513-14
ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

「署名の間」に続く「ヘリオドロスの間」、教皇ユリウス2世の私的な空間として利用されていた部屋の壁に描かれた作品。「署名の間」での大成功により、この部屋の装飾も請け負ったラファエロは、またもや周囲をあっと驚かせる素晴らしい作品を仕上げました。

捕らわれの身となった使徒ペテロを、眠り込んでいる門番たちを差し置いて天使が暗闇に紛れて牢獄から導き出す…そんなドラマチックな場面です。天使そのものが光り輝いた表現になっているので、周りの人物はそれに照らし出されるような表現が見事。ここでは天使の他に、月の光、トーチの光など様々な光が表現されています。

この作品はもともと窓(写真では閉まっている中央下部分)があった壁に描かれたもの、つまり鑑賞者は絵の方向から光を受けることになります。すると壁そのものは暗くなってしまうので、その状況を逆手に取りつつ、印象的なコントラストの強い光を使った夜景表現という手法をラファエロは選択したのです。実際の区切られた窓から入ってくる光と絵の中の光、一つの壁の中で最も効果的に融合したアイデアは見事ですね。

キリストの変容(ヴァチカン美術館)

キリストの変容 ラファエロ・サンツィオ, 1518-20 ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

キリストの変容
ラファエロ・サンツィオ, 1518-20
ヴァチカン美術館, ヴァチカン市国

ラファエロの遺作となった本作品。彼が描いたのは白く輝く「変容するキリスト」はじめ上半分、そして微妙に画風の異なる下半分はラファエロの死後、弟子のジュリオ・ロマーノが描いたとされています。

この「キリストの変容」という場面は、イエスが3人の弟子を連れて山に登ったとき、旧約聖書の人物エリヤとモーセとともに話しているイエスの姿が白く光り輝いたという聖書の記述に基づいており、多くの画家が描いています。

この作品を注文したのはメディチ家出身の枢機卿、ジュリオ・デ・メディチ(後の教皇クレメンス7世)。本当はラファエロのライバルだったセバスティアーノ・デル・ピオンボと競わせるつもりでしたが、ラファエロはこの作品を仕上げることができませんでした。

下半分のグループ右手には悪魔に取りつかれた少年が、イエスによって癒され正気を取り戻す場面が描かれています。

ラ・フォルナリーナ(バルベリーニ宮殿)

ラ・フォルナリーナ ラファエロ・サンツィオ, 1518-19 バルベリーニ宮殿, ローマ

ラ・フォルナリーナ
ラファエロ・サンツィオ, 1518-19
バルベリーニ宮殿, ローマ

タイトルの「Fornarinaフォルナリーナ」とは「パン屋の娘」を意味する言葉。

実際にこの絵のモデルとなった女性が誰なのかはわかっていません。が、この女性の左腕に巻かれた腕輪には「RAPHAEL VRBINAS(ウルビーノのラファエロ)」とサインが書かれているのが、まるで自分のものだと誇示しているかのように見えることから、この女性はラファエロが愛した女性である、と考えられています。マルゲリータ・ルーティと言うラファエロの恋人がパン屋の娘さんだったので、この名前が付けられました。でももし本当に彼女だとしたらこの時18歳くらい、ラファエロは35歳ですから、結構、年が離れていたんですね。。

しかしラファエロは「美しい女性を描くためには、たくさん美しい女性を知らなければならない」と言って多くの女性と付き合ったと言われています。そのため彼の描く女性や聖母子像は、特定のモデルを使って描いたというよりも様々なイメージが融合されて出来上がっている場合が多いとも。だから彼が描いた様々な女性、「ヴェールの貴婦人」も「システィーナの聖母」もそしてこの「ラ・フォルナリーナ」も同一モデルを使ったと主張する学者と、そうではないとする学者と、今でも意見の分かれるところです。

ミラノ:ブレラ美術館

聖母の結婚(ブレラ美術館)

聖母の結婚 ラファエロ・サンツィオ, 1504 ブレラ美術館, ミラノ

聖母の結婚
ラファエロ・サンツィオ, 1504
ブレラ美術館, ミラノ

この作品は、師匠ペルジーノの同名の作品「聖母の結婚」に構図が酷似していることから、ラファエロがそれを参照して描いたことは明らかです。1504年、フィレンツェへ出発する前のまだまだペルジーノの影響下にある頃のことでした。

背景の建物中央には「Raphael Vrbinas(ウルビーノのラファエロ)」とサインが入っています。

聖書では、マリアの結婚に際しては「枝を持って集まった男性のうち、花が咲いた者がマリアと結婚する」というお告げがありました。年老いたヨセフは最初遠慮しましたが、神の御意思だからということで参加するとまさかの当選!!そして司祭さまが二人を結びつける祝福を行う…というシーンをラファエロは描いています。

背景を初め全体に完全に左右対称の均衡がとれた構図、そして人物の表情や動きも落ち着いている様式はペルジーノ風。ただし右下に悔しさのあまり杖を折る仕草をしている若者の姿は、ラファエロの斬新さです。

1からわかる、聖母マリアの生涯の物語。

ボローニャ:国立絵画館

聖女セシリアの法悦(国立絵画館)

聖セシリアの法悦 ラファエロ・サンツィオ, 1514頃 ボローニャ国立絵画館

聖セシリアの法悦
ラファエロ・サンツィオ, 1514頃
ボローニャ国立絵画館

この作品はラファエロと助手たちによる合作で、ボローニャの貴族エレナ・ドゥッリョーニにより絵のテーマでもある聖女セシリアに捧げられた礼拝堂のために注文されたもの。

ナポレオンの統治下にあった1798年にはパリに持ち去られ、その際にルーブル美術館の技術により板絵からキャンバスに移行されました。1815年、ナポレオンの統治終了とともにイタリアに戻ってきました。

テーマである聖女セシリアは絵の中心に立つ女性。音楽の守護聖人でもあるので手にはオルガンの一種、足元には楽器が描かれ、天からの天使たちによる清らかなコーラスを見上げて法悦に浸っています。
周囲を取り囲むのは聖パオロ福音書記者ヨハネ聖アゴスティーノマグダラのマリアの4人の聖人たち。背景には遠い丘の上に教会も描いてあって、恐らくボローニャのサンタ・マリア・デル・モンテ教会だと考えられています。

フランスで見られるラファエロ作品

パリ:ルーブル美術館

美しき女庭師(ルーブル美術館)

美しき女庭師 ラファエロ・サンツィオ, 1507 ルーブル美術館, パリ

美しき女庭師
ラファエロ・サンツィオ, 1507
ルーブル美術館, パリ

この作品も聖母子と幼子洗礼者ヨハネを描いたものですが、タイトル『美しき女庭師』は1800年代に使われ出したもの。彼らのいる平原がまるで庭のように見えることから名づけられました。

ヴァザーリによると、ラファエロ本人はこの作品を受注後、完成前にローマへ行ってしまい、一部(特に聖母マリアの青いマント)は別人の手により完成したようです。

ヒワの聖母』と同じく、マリアの足の上にいるのが幼子イエス、右手が洗礼者ヨハネ。そちらの作品と違うのはつかまり立ちがやっとといったイエスは母を頼るように見上げ、マリアもそれに応えて子の手と背中をしっかり持っています。でも実はイエスの手はマリアの足の上にある聖書を取ろうと伸ばされており、よく見るとその表情はちょっといたずらっぽいような雰囲気も。そしてヨハネはというとマリアの足元に跪き、イエスを敬うように見上げるポーズ。三人三様のポーズをとっていながらも、レオナルド・ダ・ヴィンチに影響を受けたピラミッド型構図を維持しています。

作品中の聖母マリアのマントにはラファエロのサインと制作年(1507年)が描き込まれています。

バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像画(ルーブル美術館)

バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像 ラファエロ・サンツィオ, 1514-15頃 ルーブル美術館, パリ

バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像
ラファエロ・サンツィオ, 1514-15頃
ルーブル美術館, パリ

肖像画のモデルのバルダッサーレ・カスティリオーネは、ラファエロと同時代に生きた人文主義者・外交官・作家。著書『宮廷人』はヨーロッパ上流階級の人々にとって模範的な衣装・振る舞いを指南する書として長く支持されました。ローマの教皇領への外交官としてバルダッサーレが滞在していた時期にラファエロと親交を深め、この肖像画を頼んだと考えられています。

この作品はオランダ、スペイン、フランスと旅をして、最後にルーブル美術館の所蔵に。あのレオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』が盗難にあった1911年には代わりにその場所に展示されていたとか。
ルーベンス、レンブラントなど後世の画家によってたくさんコピーも作られました。

肖像画の中のバルダッサーレは流行に乗った「オシャレ」さん。黒いジャケットに白いシャツ、毛皮のついた袖となんだか派手な、流行りの切込みの入った帽子をかぶっています。

友人といる自画像(ルーブル美術館)

友人といる自画像 ラファエロ・サンツィオ, 1518-20頃 ルーブル美術館, パリ

友人といる自画像
ラファエロ・サンツィオ, 1518-20頃
ルーブル美術館, パリ

描かれた二人の人物のうち、向かって左後ろにいるのがラファエロの自画像。描いたのは35歳~37歳頃、亡くなる少し前の時期と考えられています。手前の人物については誰を描いたのか、よくわかっていませんが、肩に手を置くラファエロ自身の仕草から弟子のひとり(ジュリオ・ロマーノ?)と解釈されています。
他に、友人のひとりであるとか依頼主であるとか、色々な説が挙げられています。

スペインで見られるラファエロ作品

マドリッド:プラド美術館

バラの聖母

バラの聖母 ラファエロ・サンツィオ, 1518頃 プラド美術館, マドリッド

バラの聖母
ラファエロ・サンツィオ, 1518頃
プラド美術館, マドリッド

この作品は1667年、マドリッドのエル・エスコリアル修道院にあったという記録以前の詳しいことはわかっていません。

描かれているのは右手のイエスを抱く聖母マリアと、幼子洗礼者ヨハネ、そしてマリアの夫であるヨセフです。2人の子どもたちが手にしている(取り合いしている?)紙片には「Agnus Dei(=神の子羊)」と書かれています。
タイトル「バラの聖母」は画面下部に描かれた板の上にあるバラからとられていますが、現存するコピーの多くにこれらが描かれていないため、この部分は後世の加筆である、とするのが現在の主流です。

ラファエロ作といいつつ、この作品の大半の部分は工房作で、恐らくジュリオ・ロマーノまたはジョヴァンフランチェスコ・ペンニの手になるものと考えられています。

オーストリアで見られるラファエロ作品

ウィーン:美術史美術館

ベルヴェデーレの聖母(美術史美術館)

ベルヴェデーレの聖母 ラファエロ・サンツィオ, 1506 美術史美術館, ウィーン

ベルヴェデーレの聖母
ラファエロ・サンツィオ, 1506
美術史美術館, ウィーン

この作品は「草原の聖母」とも呼ばれるものですが、1773年にウィーンの皇帝コレクションに入った際に「ベルヴェデーレ宮殿」に移されたことからこの名前がつきました。

聖母マリアの服の襟に制作年「1506」のローマ数字を読み取ることができます。ヴァザーリが書く“フィレンツェに来た若きラファエロを手厚くもてなしてくれた、タッデオ・タッデイに贈られた二枚の聖母子の絵” のうちの一枚であると考えられています。

ウフィツィ美術館所蔵の「ヒワの聖母」ルーブル術館所蔵の「美しき女庭師」と非常に様式が近いことから、ほぼ同時期に同じ素描に基づいて制作されたものとされています。

アメリカで見られるラファエロ作品

ワシントン:ナショナル・ギャラリー

アルバの聖母(ナショナル・ギャラリー)

アルバの聖母 ラファエロ・サンツィオ, 1511頃 ナショナル・ギャラリー・ワシントン

アルバの聖母
ラファエロ・サンツィオ, 1511頃
ナショナル・ギャラリー・ワシントン

ラファエロがローマに行ってすぐの頃に描かれた作品と考えられています。

その後、17世紀には持ち主によりスペインへ持ち去られ、さらに18世紀になってからマドリッドのアルバ公爵のコレクションにあったとの記録からこの名前で呼ばれるようになりました。
1836年、ロシアのニコライ1世が購入し、エルミタージュ美術館のコレクションの一部に。さらに約1世紀後、ロシアの財政難のためこっそりと売りに出されたこの作品、アメリカ人コレクターアンドリュー・W・メロンが他のたくさんの美術品とともに購入しました。エルミタージュの所有だった時代にもとの板絵からキャンバスへ移し替える作業が行われ、その際に画面中央と右側にできた損傷が確認できます。

ドイツで見られるラファエロ作品

ドレスデン:アルテ・マイスター絵画館

システィーナの聖母(アルテ・マイスター絵画館)

システィーナの聖母 ラファエロ・サンツィオ, 1513-14頃 アルテ・マイスター絵画館, ドレスデン

システィーナの聖母
ラファエロ・サンツィオ, 1513-14頃
アルテ・マイスター絵画館, ドレスデン

ドレスデンにあるこの作品は、伝記作家のヴァザーリによると、もともとピアチェンツァのサン・シスト修道院の依頼により祭壇画の一部として描かれたものでした。

鑑賞者に示されているのはまるで劇場。幕が開いて、聖シスト(左)と聖女バルバラ(右)に導かれた聖母マリアが雲のベッドを踏みしめながら登場しているような感じ。

美しい聖母マリアは、『ヴェールの貴婦人』と同一人物がモデルとされています。そしてこの作品はラファエロが描いた最後の聖母マリアであり、なおかつ自分自身で完成させた最後の作品でもあります。

この作品の下の方には、恐らく世界で最も有名な『天使』が描かれています。

システィーナの聖母(部分) ラファエロ・サンツィオ, 1513-14頃 アルテ・マイスター絵画館, ドレスデン

天使のモデルとなったのは聖母マリアのモデルとなっていた女性の子どもたちで、ラファエロが作品を描いているときに見学に来たこの子たちを絵画の中にも再現したのだとする説があります。

旅好きナナミちゃん

この天使の絵って他の作品の一部だったのね…

そう、実は私もながらく、単品の作品だと思っていました!!
上を見上げる表情は、ちゃんと意味があったんですね。

世界のラファエロ作品を一覧表で紹介!

今回ご紹介した作品の一覧です。
作品名をクリックするとイメージ画像と詳細説明へジャンプします。

年代 作品名 所蔵美術館 技法
1502
-03頃
聖母の戴冠 ヴァチカン美術館 板に油彩
1504 聖母の結婚 ブレラ美術館
(ミラノ)
板に油彩
1504頃 大公の聖母 パラティーナ美術館
(フィレンツェ)
板に油彩
1504
-06頃
自画像 パラティーナ美術館
(フィレンツェ)
板にテンペラ
1506頃 アニョロ・ドーニと
マッダレーナ・ストロッツィの肖像
ウフィツィ美術館
(フィレンツェ)
板に油彩
1506頃 ヒワの聖母 ウフィツィ美術館
(フィレンツェ)
板に油彩
1506 ベルヴェデーレの聖母 美術史美術館
(ウィーン)
板に油彩
1507 美しき女庭師 ルーブル美術館
(パリ)
板に油彩
1508
-11
アテネの学堂 ヴァチカン美術館 フレスコ
1511 アルバの聖母 ナショナル・ギャラリー
(ワシントン)
板に油彩
後にキャンバスへ移行
1512頃 教皇ユリウス2世の肖像 パラティーナ美術館
(フィレンツェ)
板に油彩
1513
-14頃
小椅子の聖母 パラティーナ美術館
(フィレンツェ)
板に油彩
1513
-14頃
システィーナの聖母 アルテ・マイスター絵画館
(ドレスデン)
板に油彩
1513
-14
ペテロの解放 ヴァチカン美術館 フレスコ
1514 聖女セシリアの法悦 国立絵画館
(ボローニャ)
板に油彩
後にキャンバスへ移行
1514-15 バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像 ルーブル美術館
(パリ)
キャンバスに油彩
1516頃 ヴェールの貴婦人 パラティーナ美術館
(フィレンツェ)
キャンバスに油彩
1518頃 バラの聖母 プラド美術館
(マドリッド)
板に油彩
1518
-19頃
ラ・フォルナリーナ バルベリーニ宮殿
(ローマ)
板に油彩
1518
-20頃
友人といる自画像 ルーブル美術館 キャンバスに油彩
1518
-20頃
キリストの変容 ヴァチカン美術館 板にテンペラ・グラッサ
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