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ボッティチェリの「東方三博士の礼拝」が表す、エピファニア(公現祭)の世界観。

ラーマ家の東方三博士の礼拝サンドロ・ボッティチェリ, 1475頃 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

1月6日は「エピファニア(Epifania, 公現祭)」といってイタリアは祝日です。

 

これは「新約聖書」の中に登場する、イエスの誕生を知った東方三博士が贈り物をもって駆けつけるというエピソードが基になった、キリスト教の大事な行事のひとつ。

 

昔から、たくさんの芸術家が作品に表現される題材として好まれてきました。

 

このテーマを描いた作品の中では有名な、ボッティチェリの作品を紹介します。

エピファニア(公現祭)をテーマに描かれた作品

この作品は「」「ヴィーナスの誕生」の作者、ボッティチェリが描いた作品。

 

タイトルを「ラーマ家の東方三博士の礼拝」と言います。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

注文者がガスパール・ディ・ザノビ・ディ・ラーマ(Gaspare di Zanobi di Lama)という人なので、そう呼ばれるのよ

 

描かれている場面は、新約聖書の中に登場する「東方三博士の礼拝」。

 

特別な星が輝くのを見つけた博士たちが、贈り物を持ってキリスト(=救い主)を拝みに来るというシーン。

東方三博士

救世主がお生まれになったらしいぞー

1月6日(エピファニア)のフィレンツェ 中世の衣装を来た歴史行列 1月6日のフィレンツェ
 

画面中央には聖家族(ヨセフ、マリア、イエス)一段高いところに描かれ、最も年長の博士とそれに続く二人の博士、そしてその他行列に参列している人々という風景です。

 

このテーマは古くから絵画の題材として好まれ、たくさんの作品が作られてきました。

 

では、なぜその中でもこの作品が有名なんでしょうか?

伝統的な構図を大胆に変更したボッティチェリ

ボッティチェリがこの作品を描いたのは1475年のこと。

 

それまでもこの題材はたくさんの芸術家が描いてきました。

 

有名なのはこちらの作品など。

 

14世紀

giotto-adorazione-dei-magi

東方三博士の礼拝
ジョット・ディ・ボンドーネ, 1303-05頃
スクロヴェーニ礼拝堂, パドヴァ

 

15世紀初頭~中ごろ

東方三博士の旅 ベノッツォ・ゴッツォリ, 1459 メディチ・リッカルディ宮殿, フィレンツェ

東方三博士の旅
ベノッツォ・ゴッツォリ, 1459
メディチ・リッカルディ宮殿, フィレンツェ

東方三博士の礼拝 ロレンツォ・モナコ, 1420-22 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

東方三博士の礼拝
ロレンツォ・モナコ, 1420-22
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

東方三博士の礼拝 ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ, 1423 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

東方三博士の礼拝
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ, 1423
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

伝統的な構図では、画面の端にいる聖母子(聖家族)のもとに、博士たちを先頭とする行列が続いています。
adorazione-dei-magi-lorenzo-monaco
それがボッティチェリの作品ではこうなりました。

adorazione-dei-magi-botticelli
聖家族が他の人物より一段高いところに描かれ、その周りを囲むようにして東方三博士とそれに従った人々が描かれていて、三角形の構図になっています。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

一番見てほしい部分(この場合は聖家族)に注目させ、それからその周りに注意を向けていくという手法が成功してるわね!

 

ボッティチェリ以降は、この「東方三博士の礼拝」を描くときにこの構図が採用されるようになりました。

 

あのレオナルド・ダ・ヴィンチも、1482年に手掛けた作品では、ほぼこの構図を真似て作っています。

東方三博士の礼拝

東方三博士の礼拝
レオナルド・ダ・ヴィンチ, 1481-82
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

ただしレオナルドはこの作品を完成させずにミラノへと旅立ってしまったので残っているのはこの未完成作品のみ。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

レオナルドは完成させた作品の方が少なかったのよ~

 

これを引き継いで完成させたのが、こちらのフィリッピーノ・リッピの作品。

東方三博士の礼拝 フィリッピーノ・リッピ, 1496 ウフィツィ美術館, フィレンツェ

東方三博士の礼拝
フィリッピーノ・リッピ, 1496
ウフィツィ美術館, フィレンツェ

 

フィリッピーノ・リッピはボッティチェリの弟子。そして、ボッティチェリの師匠だったフィリッポ・リッピの息子です。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

つまりこういうこと!rapporto

 

実は隠しキャラも…三博士の正体

そしてこの作品が有名な理由はもう一つ。
 

この中に登場する人物は、単に聖書の人物を表現しただけではなく、当時の人々の肖像が描かれているからなんです。

まずは、注文者ガスパール・ディ・ザノビ・ディ・ラーマ(右)と
その息子か?家族の一員と思われる人物(左)
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そして、やっぱりフィレンツェと言えばメディチ家!
東方三博士のいちばん年長の老人は
コジモ・イル・ヴェッキオ(老コジモ)
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三博士の残りの二人はコジモ・イル・ヴェッキオの息子たち、
ピエロ・イル・ゴットーゾ(痛風病みのピエロ)(左)と
ジョヴァンニ・ディ・コジモ・イル・ヴェッキオ(右)
zu3
従ってきた人々の中には
ピエロ・イル・ゴットーゾの息子たち、
ロレンツォ・イル・マニフィコ(ロレンツォ豪華王)(右)と
ジュリアーノ・デ・メディチ(左)
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ガイド学校の先生カテリーナ

ジュリアーノは他のボッティチェリ作品「春(プリマヴェーラ)」でも登場しているわよ

サンドロ・ボッティチェリ作「春(プリマヴェーラ)」まさに春の喜びが溢れた幸せいっぱいの名画!
 

ロレンツォの息子ピエロの家庭教師だった人文主義者の
アニョロ・ポリツィアーノ(左)と
ピーコ・デッラ・ミランドラ(右)、
メディチ家の親戚ロレンツォ・トルナヴォーニ
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こんなに出そろうと、まるでメディチ家が主役のようです。

 

注文者のガスパールはなぜ、自分の一族ではなくメディチ家をこんなに描かせたのでしょうか?

 

ガイド学校の先生カテリーナ

それは恐らく、ラーマ家は銀行家で両替商組合に所属しており、その中で最も勢いのあったメディチ家に敬意を表したからだと考えられているわ

 

そして、最後に、画面の端っこでこっそり私たちのことを見ている人が…!

ボッティチェリ 自画像

ボッティチェリ 自画像

ボッティチェリの自画像です!30歳、脂がのってます。
 

 

いつも見かける、アレがいなくてコレがいる!?

牛や馬がいない…代わりに

そしてイエスの誕生のシーンと言えば

彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。…(羊飼いたちは)急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。

-「新約聖書」日本聖書協会:ルカによる福音書2より

と新約聖書に書かれているので、馬とか牛とかがいることが多いです。

ガイド学校の先生カテリーナ

実際に「馬小屋だった」とは聖書には一言も書かれていないものの、「飼い葉おけのあるところ」なら馬小屋か牛小屋だろうということで慣習的に描かれるのよ

 

前述の他の作品でもほとんど描かれていますよね。

 

ボッティチェリのこの作品では、あばら家のような小屋は描かれているものの、牛や馬は見当たりません(ジュリアーノの左手に顔を出している馬がいますが、これはここに元いたものではなく、博士たちの行列とともに到着したと考えられます)。

 

…が、その代わりに…
pavone
クジャク!!( ゚Д゚)

 

この時代の作品にクジャクはちょいちょい登場します。

 

実は、シンボルとして「不死」の意味を象徴しています。

 

古くからその肉が清廉潔白であると考えられていたためだそうです。

 

古代ローマ時代の遺跡

画面の右奥には、壊れかけた神殿。

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特徴からすると、古代ローマ時代の神殿を示しているよう。
 

 

「東方三博士の礼拝」の後ろに、これが描かれている意味。
 

それは、この世界を正しい世界へ導いてくださる主(=イエス)の誕生によって、これから世界が建設されていくこと。

 

そして、異教徒(古代ローマ)たちの世界は傾いていくことを示しているのです。

 

ウフィツィ美術館 第一の廊下 ウフィツィ美術館

 

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