イタリアという国は、かつては日本の戦国時代のように小さな国や街が各地にあってそれぞれに大将がいる、いわば半島の中に小国がひしめき合っている状態でした。
統一されたのは今からわずか150年ほど前、1861年のこと。
今回は、それ以前のフィレンツェとピサに関するお話です。
目次
フィレンツェとピサ、近くて遠いライバル都市
フィレンツェは長くフィレンツェ共和国またはトスカーナ大公国の中心として発展してきました。
いっぽう西の海側にあった斜塔の街・ピサは、11世紀以降、海洋貿易を中心に発展した街。
距離にして80kmほどの、近くて遠いこの二国は、時に仲良く、でもほとんどの期間が犬猿の仲。
1315年のモンテカティーニの戦い、1364年のカッシナの戦いなどに代表されるように、常にお互いの覇権を広げようと争っていたのです。
というか、今でもおらが村一番のフィレンツェ人は「…ピサなんてっ」と思っていますし、たぶんピサ人も…笑
パーネ・トスカーノができたワケ
現在でも、フィレンツェのレストランの多くでは「パーネ・トスカーノ(=トスカーナのパン)」と呼ばれるパンが出てきます。
これは一度食べると忘れられないんですが、とにかく味がない 🙄
なんていうか、…粉を食べてる感じがするんですよね。
知らずに食べたら、「なんかこのお店のパン、まずい…」っていう感想を抱いて帰ってしまう人もいるのではと心配になるくらい。
これは実は、パン職人の腕が悪いのではなくて、そういうパンなんです。
実は、この種類のパンには塩が入っていません。
このパンができたワケも、ピサとの関係に由来します。
昔々は、フィレンツェでもパンは小麦粉、水と、お塩を入れて作っていました。
お塩はどこから来るでしょう?…そう、海からですね。
フィレンツェから見ていちばん近い海は、西側、つまりピサの方角にありました。
ここで思い出してみましょう。フィレンツェとピサはいつもいつも喧嘩していました。
ある時、ピサがいいました。
もう怒った!!お前のとこにはもう塩あげない!!ヾ(。`Д´。)ノ
さあ、大変です。フィレンツェにはお塩が届きません!!
そこでフィレンツェは考えました。
(´・ω・`)いいもん、お塩なくたってパンつくれるもん・・・
それで、お塩なしでパンを作ってみたところ…
(゚∀゚)アレッ・・・?結構、お料理と合うんじゃない・・・?
そうなんです。実はフィレンツェは内陸に位置し、主食が牛、豚、鶏はもちろんイノシシや鹿、ウサギなど、お肉料理がメインなんです。
なんたって名物料理はビステッカ・アッラ・フィオレンティーナというごつい牛のステーキ。
当然、味付けもとても濃い味が多く、この塩なしパンはまるで白ご飯のように、メインの味を引き立ててくれることに気づきました!
(*´σー`)うちはこれからこれでいきますんで!!
といったかどうかはわかりませんが、とにかくその味は今も伝わるトスカーナパン、単品では味がないけど、お料理と一緒や、鶏レバーのペーストをのせたクロスティーニとして、またはトスカーナ特産品でもあるオリーブオイルと塩だけというシンプルな味付けでも美味しくいただけるパンになりました♪
ピサの陰謀!?洗礼堂脇の柱が…
フィレンツェのサン・ジョヴァンニ洗礼堂の東扉、いわゆる「天国の門」の両サイドに、ひっそりと建てられている二本の柱があります。
実はこの二本の柱は、ピサからフィレンツェへの、唯一の贈り物。
だいたいほとんど敵対関係にあった二つの街ですが、同盟を結んだ時もありました。
それは1117年のこと。日本は平安時代、まろたちが「おじゃる~」って言っていた頃。
一方その頃ピサでは、異国の侵略者サラセン人と地中海のバレアレス諸島で戦っていました。
同時に内陸側からこれまた敵対関係にあったルッカという街から軍隊が攻めてきます。
挟み撃ちになって困ったピサは、フィレンツェに助けを求めました!
当時、フィレンツェもルッカとは争っていたため、このピサの求めに応じ、フィレンツェはルッカを破ります。
ありがと!助かったわ。お礼に戦利品の斑岩の柱あげるわ!
ホント?ありがと~嬉しいな~ (´∀`)
ちなみに斑岩とはエジプト原産の石の一種で、大理石に比べ硬くて加工がしにくいものです。古くはとても貴重な石とされて、高貴な人物の棺などに使われていました。
さて、ピサからの贈り物はアルノ川をうんとこしょ、どっこいしょと上って、フィレンツェに到着します。
フィレンツェ人たちは大いに喜んで、♪お披露目パーティー♪を開くことにしました。
カッコいい柱が来るから、街で一番大事な洗礼堂のところに置こう!!
さて、届いた柱は。
( ゚Д゚)・・・((+_+))(; ゚Д゚)あれっ・・・なんか、焦げてない・・・??
そう、残念ながら街に到着した貴重な斑岩の柱は、その輝きを失っていました…
なぜでしょうか。
なんと、贈り主であるピサのしわざだったのです…!
助けてもらったから建前上お礼するけど、基本フィレンツェは友達ちゃうし。(。-ܫ-。)
このままあげるのもったいないから、価値下げとこうぜ。(。-ܫ-。)
ひどっっっ…!!! (´;д;`)
というわけで、今でもこのエピソードは
“Fiorentini ciechi e pisani traditori”
(「フィレンツェは盲目で、ピサは裏切者」)
として語り継がれています。
その約300年後、強くなったフィレンツェはピサを征服し、支配下に置くことに成功しました。
ふんっっ!!( ̄^ ̄)
そして、今でも両者はお互いに「あんな奴…!」と思っているのでした。。