教会には必ず十字架磔刑像があります。板絵のこともあれば、彫刻のこともあります。
彫刻の場合は、何でできているでしょう?

うーんなんだろ、大理石とか?ブロンズ?
そうですね、色んなパターンがあります。そして中にはもちろん「木製」も!

なんか仏像みたいだね!
確かに!木は比較的手に入りやすい素材だったし、加工も楽だから昔からよく使われてきたんですよね。ただ、保存性の点でいくと大理石やブロンズには劣ります。
でも、イタリアは芸術の国だから、「価値ある」作品は大切に保存されてきました。
ということで、フィレンツェにたくさんある十字架磔刑像の中から、木製のものをご紹介します。
目次
ドナテッロ

こちらはあとで出てくるブルネレスキの『卵のキリスト』と一緒によく取り上げられる作品です。
ドナテッロの作品はとにかくリアルさが最大の特徴!ブルネレスキが「農夫のようだ」と酷評したように、街中に実際にいそうな風貌のキリストです。

確かに顔には無精ひげだし、体格もなかなか良いし…農家のおじさんがモデルって言われてもちょっと納得しちゃうかも!
また拡大図でないと見えませんが、顔の表情は口も目も半開きで苦痛を受けた末に亡くなったというキリストをこれ以上ないくらい現実的に表現しています。

これは恐らく、注文主であるフランチェスコ会(キリスト教の一派)が「イエスが迫害を受け、苦しみの中で亡くなった」ということに対する最大限の共感と痛みへの同情を表すことを要望したためだと考えられています。
ほかの十字架磔刑像と比べると、体勢もだらりと磔にされた人間の姿で、「自然なまま」ですよね。
他の作者のものはどことなく優雅さをたたえていたりしますが、そういう表現はあまり見られません。
ドナテッロは他の作品でもそうですが、人間が感じる自信・喜び・苦しみ・痛み・哀れみなどの感情を明確に表現する技術にとても優れていました。
彼の彫刻作品は今にも顔の表情や体が動き出しそうな、というかまるで一時停止した場面を切り取ったかのような、感情や魂を感じ取れるものばかりです。
Donato di Niccolò di Betto Bardi (1386 – 1466)

15世紀フィレンツェを代表する彫刻家の一人。ブルネレスキ、マザッチョとともに「ルネサンスの父(ルネサンス初期の三大巨匠)」と呼ばれる。木の他、ブロンズ、大理石、テラコッタ、ピエトラ・セレーナなどありとあらゆる素材の作品を残している。
メディチ家のコジモ・イル・ヴェッキオに気に入られ、コジモの死去後も年金代わりの農園を用意されるなど厚遇を受け、本人も死去後はコジモの隣に葬られた。
代表作:ダヴィデ像(バルジェッロ美術館)、サン・ジョルジョ(バルジェッロ美術館)、マグダラのマリア(ドゥオモ付属美術館)、受胎告知(サンタ・クローチェ教会)など。

所蔵:サンタ・クローチェ聖堂
この作品は、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂内「バルディ家の礼拝堂(※)」にあります。
※有名なバルディの礼拝堂ではなく、左翼廊突き当りにある方の礼拝堂

ブルネレスキ

この作品は、ブルネレスキの唯一の木製彫刻で、別名『卵のキリスト』と呼ばれています。

えっ、たまご…?どのへんが…??
この名前の由来は、伝記作者のヴァザーリが語る、友人ドナテッロが上記のキリスト磔刑像を作成した時の話から。
完成した作品をドナテッロに見せられたブルネレスキは言いました。

君は農夫を十字架に架けた
もちろん、ドナテッロは怒って言い返します。

そんなら自分で作ってみろよ!
苦労したんだぞ!…と思ったかどうかはわかりませんが、彫刻という自分の最も自信のある分野を、建築を最も得意とするブルネレスキにけなされたのだからそれは腹が立ちますよね。
ブルネレスキその場では何も言わずに帰りました。
しばらくして、ドナテッロを自宅での夕食に招待したブルネレスキ、自分は他に買って帰るものがあるから先に家に行っておいてくれと言います。
食材を抱えたドナテッロがブルネレスキの家で目にしたもの…、
それこそがこの十字架磔刑像でした。
目にした瞬間、ドナテッロはあまりの美しさ、完成度の高さに驚き手に抱えていた卵やチーズなどの食材を床に落としてしまいます。
そこに現れた得意げなブルネレスキに向かってドナテッロは

これこそがキリストだ…私が作ったのは農夫だった
と負けを認めたのです。
…というエピソードなんですが、実は現在ではこの話を肯定する学者は少ないんです。
なぜかというと、

このブルネレスキの作品の制作年代は1410年から1415年頃。
一方でドナテッロの作品は1408頃までには完成しているとすると、最短でも2年、最長で9年の差が二つの作品の間にあるので、いくらなんでも根に持ちすぎというか…笑

そうなのか…じゃあ、せっかくの別名は関係なかったってことに…残念だね
とはいえ、この別名『卵のキリスト』は公的な注文により作成されたものではない可能性が高いものです。
ブルネレスキはこの作品を完成後、家(または工房)に保管しており、死去わずか1年前に現在展示されているサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂のドメニコ会に寄贈しました。
完成からは30年前後の月日が流れていますから、公的な注文だったとしたらすぐに納品しない明確な理由がありません。

意外と、ヴァザーリのエピソードは当たらずとも遠からずなのかもね!
ドナテッロの感情溢れる作品と比べると、とても静かな表現ですね。
また、得意とした建築分野においてもそうですが、ブルネレスキは数学的調和をとても大切にしており、その精神が彫刻にも表れていると言われています。
自然のままを描写したドナテッロのキリストに対し、こちらのキリストは理想化されたキリストのプロポーションのバランスがとても美しく整っています。
非常に優雅な姿かたち、運命を受け入れて”死に打ち克った”キリストへの尊厳が最大限にこめられた表現です。
Filippo Brunelleschi(1377 – 1446)

15世紀フィレンツェを代表する建築家の一人。ドナテッロ、マザッチョとともに「ルネサンスの父(ルネサンス初期の三大巨匠)」と呼ばれる。フィレンツェのシンボル、ドゥオモのクーポラの設計者。
現代では建築家として有名だが、彫刻にまつわるエピソードとしてはこの木製のキリスト像の他に、サン・ジョヴァンニ洗礼堂の北扉のためのコンクールでロレンツォ・ギベルティと競って敗れたというものがある(その後、ドナテッロとともにローマへ旅をしてパンテオンなどの古代建築を研究し、18年後のクーポラのコンテストで勝利)。
代表作:ドゥオモのクーポラ、イサクの犠牲(彫刻 / バルジェッロ美術館)、捨て子養育院のファサード(設計)、サン・ロレンツォ聖堂(設計)など。

所蔵:サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂
この作品は、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂内「ゴンディ家の礼拝堂」にあります。
ギルランダイオのフレスコ画で有名な主祭壇の向かってすぐ左側です。

ベネデット・ダ・マイアーノ

さて、フィレンツェのシンボル、ドゥオモにあるこちらの作品です。
作者ベネデット・ダ・マイアーノの晩年の作品。彼の作風は15世紀フィレンツェで最も評価された「自然主義」「理想化」「技巧」の絶妙なバランスの上に成り立つ調和のとれたものです。
現在見られる作品は、木彫りに彩色を施したものですが、作者本人は彩色の前に死去。
その約15年後、ロレンツォ・ディ・クレーディが完成させました。
実はさらにその後の時代(19世紀)にジョバンニ・デュプレ(Giovanni Dupré / 1817-1882)によりこの磔刑像はブロンズ風金属で塗装されました。
資産価値は 金属>木 ですから、「キリスト像=神性の高いもの=神々しく装飾せねば!」という発想ですね。
これは2009年の修復で取り除かれ、オリジナルの姿が再現されました。
修復の結果、上から塗装されていたときにはわからなかった、髪の毛やひげ、まゆげなどの細かな表現やキリストの傷口から身体を伝って足まで流れる血まで見事によみがえったのです!

そして腰布が空色だったことも初めてわかりました。

現代の修復の技術って、本当にすごいんだねぇ…!
このキリストの頭部は、光輪と茨の冠の二重になっているのもちょっと珍しいですね。
Benedetto da Maiano (1442 – 1497)

フィレンツェのマイアーノ(エリア名)出身。寄木細工職人を父に持ち、兄弟とともにその仕事をしていたが、彫刻の腕も評価されるように。ボッティチェリと同年代のため、ウルビーノ公フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロの宮殿で彼と一緒に装飾の仕事に携わった。
代表作:説教壇(サンタ・クローチェ聖堂)、フィリッポ・ストロッツィの墓(サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂)、ピエトロ・メッリーニの胸像(バルジェッロ美術館)、ストロッツィ宮殿(設計)など。
所蔵:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)
この作品は、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオモ)の主祭壇にあります。
ドナテッロの作品が168cm、ブルネレスキの作品が170cmなのに対してこちらは190cmとやや大きめ。また主祭壇にあり、地上から高い場所につけられているということから遠くからでもわりと目につきやすいです。


ミケランジェロ

ミケランジェロは若い頃からメディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコの支援で彫刻を中心に美術の勉強(修行)をしていました。
ロレンツォが亡くなった後、フィレンツェのサント・スピリト修道院にお世話になるのですが、そこで修道院病院からの遺体を解剖する機会に恵まれます。
そこで人体の構造や筋肉のつき方をしっかりと把握したミケランジェロは、その後の作品においてもいかんなくその成果を発揮しました。

だからミケランジェロの作品は絶対に筋肉の表現に間違いはない、と言われるんですよ
このキリスト磔刑像は、そんなミケランジェロが過ごしたサント・スピリト聖堂の聖具室に展示してあります。もともと主祭壇に飾ってあったようですが、19世紀に一時期ナポレオンの支配下で行方不明になったりと色々あって、2000年に現在の場所に収まりました。
ブルネレスキの作品のように姿かたちにはどことなく優雅さをたたえながらも、よく見ると顔はがっくりとうなだれて、全身に苦しみを負った状態がよく表現されています。
面白いのはキリストのポーズ。顔が左に傾いているのに対し、膝から折り曲げられた脚は右方向にひねっています。これによって左サイドからでもお尻~腰がちらりと見えるように描写されています。側面からの表現の強調によって、とても立体感を感じますね。
この「ねじれ」のポーズは「セルペンティナータ(蛇型)」と呼ばれ、後に(1500年代)イタリアの美術において主流となる「マニエリスム」の特徴。
まさにミケランジェロがその始まりとされる、躍動感あふれる表現の様式です。

ところでこのキリスト、あの筋骨隆々のダヴィデくんと同じミケランジェロの作品にしては、ちょっとか弱いというか、か細い感じ…
まさしく、これを彫ったときのミケランジェロの年齢はおよそ18歳、ダヴィデくんは29歳(完成時)ですから、どことなく自分の年齢が反映されているのかも!
Michelangelo Buonarotti (1475 – 1564)

15-16世紀フィレンツェを代表する彫刻家の一人。レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロとともに「ルネサンス盛期の三大巨匠」と呼ばれる。彫刻以外にも、絵画・建築の各分野でも偉大な功績を残し、代表作ダヴィデ像はあまりにも有名。彫刻は基本的に大理石派。
フィレンツェ近郊カプレーゼ生まれ、フィレンツェ育ち。メディチ家のロレンツォ・イル・マニフィコに才能を高く見込まれ、早くから勉強の場に恵まれる。20歳過ぎで制作したサン・ピエトロ大聖堂の『ピエタ』が大評判になり、以後死去まで多数の有名作品を生み出し続けた。
代表作:ダヴィデ像(彫刻 / アカデミア美術館)、トンド・ドーニ(絵画 / ウフィツィ美術館)、ラウレンツィアーナ図書館(設計 / サン・ロレンツォ聖堂)、新聖具室(設計と彫刻 / メディチ家礼拝堂)、システィーナ礼拝堂の天井画と壁画(ヴァチカン美術館)など。

所蔵:サント・スピリト聖堂
この作品は、フィレンツェのサント・スピリト聖堂の聖具室にあります。
聖具室は聖堂内からアクセスできますが、この部分だけ別料金です。また、写真撮影はできません。
