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背景こそが面白い。ヴェロッキオ「キリストの洗礼」見どころを徹底解説!

美術作品には、大きく分けてその魅力を感じる理由が2種類あります。

  • 表現されているものや場面そのものが面白いもの
  • 図像はシンプルなのに絵の背景を知るととても興味深いもの

今回ご紹介する、この「キリストの洗礼」という作品は、間違いなく後者。

一見するとごく単純に聖書の一場面を切り取って表現したのみですが、よく細部を見てその背景を知ると「なるほど~!」と思わずうなってしまいます。

イタリア・ルネサンスの三大巨匠のひとりレオナルド・ダ・ヴィンチとその師匠アンドレア・デル・ヴェロッキオによる、見事な競演を徹底解説してみます!

「キリストの洗礼」は新約聖書のこんな場面

この作品に描かれているのは、新約聖書の中のこんな場面。

洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼[バプテスマ]を宣べ伝えた。

(中略)彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打もない。

わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。

水の中から上がるとすぐ、天が裂けて”霊”が鳩のように御自分に降ってくるのを、御覧になった。

すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

日本聖書協会「新約聖書」マルコによる福音書1:4-11

ということで、描かれているのは中央がイエス、その向かって右が洗礼を授けるヨハネ。イエスの頭上にはいままさに降りてこようとしている鳩(=精霊)と、その上にはそれを遣わした神の手、そしてイエスの向かって左側には洗礼を終えたイエスを迎えようと待っている天使たちがいます。

『キリストの洗礼』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

あとひとつ気になるのは右上の方に描かれている黒い鳥

これは異端のシンボルとされていて、神の手から放たれた清らかな存在である鳩と明らかに対をなしています。

恐らく、「洗礼」という行為によって良くないものを追い出す、ということを暗示しているのだと思われます。

注目ポイントはこの4つ!

さて、それでは改めてこの作品を見てみましょう。

注目ポイントは4つあります!

  1. 中心人物の身体の表現
  2. 二人の天使
  3. 背景の表現
  4. 水の表現

①中心人物の身体の表現

まずは、こちらのキリスト(向かって左)と、洗礼者ヨハネ(同右)の二人。

『キリストの洗礼<部分>』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

パッと見た印象でも、違和感を覚えませんか?

洗礼者ヨハネの体つきは、とてもゴツゴツしているというか、特に鎖骨などくっきりと浮き出ています。腕や左手の甲なども骨ばっていて血管が浮き出ていたり。

それに対してキリストの身体は、もっとやわらかな表現がされています。

とても痩せてはいるけど、骨だけの身体ではない感じ。

②二人の天使

続いては、画面の左下にいる二人の幼い天使に注目!

『キリストの洗礼部分>』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

どちらも清らかな顔つきをしているけど、一方(右)は身体を正面に向け、視線の先は心ここにあらず?笑

もう一方(左)は体はキリストの方を向き、顔は3/4ほど見える状態で、視線の先はいままさに洗礼を受けようとしているキリストの頭あたりにたどり着きます。

キリストの洗礼の瞬間をきちんと見届けようとしているかのようです。

③背景の表現

よーく見ると、絵の中の部分によって、背景の表現がとてもちぐはぐなんです。

『キリストの洗礼部分>』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

例えば、天使の足元にある岩場や、後ろに生えている棕櫚(シュロ)の木と、それに対してはるか後方を描いた遠景の部分を比べてみると…

前者の二つはとてものっぺりした平面的な表現であるのに対し、後者の(特に向かって左側の)遠景部分はどこまでもその景色が続いて、いずれふっと消えていく…というような奥行き感を感じることができます。

④水の表現ひとつとっても…

『キリストの洗礼部分>』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

そしてさらに、全く同じものを描いているのに、決定的に違う部分があります。

この二つはどちらも水の様子を表現したものです。

下のキリストの足元は、足の様子が見えるくらい透明で清々しく描かれています。

でも、後ろの岩から噴き出している水の表現は、とても稚拙というか、ちょっと乱暴に白い色を置いただけのような。やっつけ仕事的な。

さて、ディティールを見比べてきましたが、なぜ1枚の絵の中にこんなにも違う表現を使っているのでしょう?作者は相当精神状態が不安定で、毎日違うモードで絵を描いていたのでしょうか?

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

ちょっと理由を考えてみてね!

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

考えてみた??

それでは、種明かしです!

「キリストの洗礼」作者は?

この作品、「キリストの洗礼」が、部分によってこんなに色々な表現がされているわけ。

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

それは、「実は作者がたくさんいたから」なの

旅好きナナミちゃん
旅好きナナミちゃん

えっ、どういうこと??そんなことってあるの??


あるんです!!(`・ω・´)

この作品が描かれたのは、1475-78年頃のこと。

この頃の芸術家は、「画家」「彫刻家」「建築家」「金細工師」など、それぞれの専門に特化していたのではなく、どのジャンルも一通り修行または勉強するというスタイルでした。

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

例えばミケランジェロも絵画(システィーナ礼拝堂「最後の審判」「トンド・ドーニ(聖家族)」など)、彫刻ダヴィデ像など)、建築(サン・ピエトロ大聖堂の設計など)と全ジャンルやっていたのよ

つまり、この時代は、売れっ子芸術家はほとんど、マルチアーティストだったのです。

そして腕を認められた人は有力なパトロンについてもらい、工房を経営します。

すると地方からも、噂を聞いた芸術家を志す人たちが、人気アーティストの工房に弟子入りしたい!と集まってきます。

この作品の主要な作者として名前が残っているアンドレア・デル・ヴェロッキオという人は、当代一の大規模な工房を経営していた芸術家の一人でした。

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

工房に在籍していた

というように、偉大なアーティストたちはみんな辿ればヴェロッキオ工房につながるのよ

ということで、作品は工房を経営する親方の名前で注文を受け、実際にはメインを親方が描いてその他の部分は弟子がお手伝いするという様相。現代のマンガ家さんとアシスタントさんの関係に似ていますね。

Azu
Azu

ちなみにラファエロも大きな工房を経営していたので、作品の中には「ラファエロと工房」作とされているものが多いですよ


そんなわけで今回の『キリストの洗礼』に携わった芸術家は複数。中でも名が知られているのは次の3人です。

アンドレア・デル・ヴェロッキオ(1435-1488)

アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio /1435-1488)は、フィレンツェ出身の芸術家。

現在、彼の名が最も有名な理由は、「レオナルド・ダ・ヴィンチの師匠」だから。

Azu
Azu

でも、よく知られていないだけで、彼の本職、彫刻家としての功績は超一級!!!素晴らしい作品を数々残しています


14歳頃のレオナルドが描いた作品を彼の父から見せられたヴェロッキオは、その才能に感心し、自分の工房で修行するよう受け入れました。

この作品の洗礼を授けるヨハネとキリストのポーズを、彼はこの少し後に自身の作品にも採用しました。

それはこちらのオルサンミケーレ教会にある、「聖トマスの不信」の作品。

『聖トマスの不信』アンドレア・デル・ヴェロッキオ, 1466-1483, ブロンズ, オルサンミケーレ教会美術館(フィレンツェ)

この二人の人物の位置関係、登場人物は違いますが「キリストの洗礼」の二人の位置関係とよく似ていますね。

フィレンツェのオルサンミケーレ教会は世界でここだけ!異色の歴史を持つ教会。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)

『レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像』ルイージ・パンパローニ, 1837-1839, 大理石, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ご存知、ルネサンス三大巨匠のひとり。

絵画のほか、彫刻や武器の発明、様々な科学の研究でたくさんの功績を残しました。

フィレンツェ郊外の小さなヴィンチ村というところで生まれました。

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルネサンスの天才を生み出した小さくつつましやかな村。

先に書いたように、14歳頃、ヴェロッキオの工房に入ったとされています。

彼が描いたのは、以下の部分。※ほとんどの学説でこのように考えられていますが、一部違うものもあります。

  • 左側の天使
  • 左側の背景
  • キリストの身体(腰から下?)と足元の水
『キリストの洗礼部分>』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

表現に共通しているのが、とても柔らかく繊細な色使いで、少しずつニュアンスが変化していく様子がよくわかります。

特に天使の顔の美しさは素晴らしい!!

体は後ろ向き、顔は前向き(振り返る体勢)のデッサンなど、技術的な面でも他と比べて群を抜いています。

ヴァザーリ先生によると…

ヴァザーリ
ヴァザーリ

このレオナルドが描いた天使を見て、師匠のヴェロッキオはそのずば抜けた才能にはかなうまいと、二度と絵筆をとらなかった

が、これは、真偽のほどは微妙なところ…

ガイド学校の先生カテリーナ
ガイド学校の先生カテリーナ

確かにヴェロッキオには絵画作品はほとんどないけれど、それは恐らくそれが理由というよりはもともと本人の素質や興味が彫刻にあって、絵画部門は弟子たちに任せた、というところだろうと現代では認識されているわ

どちらにしても、ヴァザーリが

ヴァザーリ
ヴァザーリ

レオナルドの表現力がすごいぞ!!!

と強調したかったのは事実でしょうね。

それから、水の表現も素晴らしいですね。後ろの岩場から出ている水とイエスの足元では、その透明感やリアルさが全然違います。

そして、遠景の表現方法、「空気遠近法」は彼の最大の持ち味です。

近くのものはくっきりと、遠くに行くにつれてぼんやりと薄く見えなくなる、限りなく現実世界に近い描写はレオナルドが最も得意とした部分でした。

故郷のヴィンチ村の美しい田園風景を眺めていると、その力が発達したのもわかります。

ちなみに、レオナルド自身はとても美少年だったという話が残っており、師匠のヴェロッキオ作のブロンズのダヴィデ像は、彼をモデルにしたと言われています。

『ダヴィデ像』アンドレア・デル・ヴェロッキオ, 1472-1475頃, ブロンズ, バルジェッロ美術館(フィレンツェ)

サンドロ・ボッティチェリ(1445-1510)

『東方三博士の礼拝部分>』サンドロ・ボッティチェリ, 1475頃, 板にテンペラ, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

ボッティチェリは、ヴェロッキオの工房にいた芸術家のひとりですが、どちらかというと弟子ではなく助手的な立場で仕事をしていたようです。

ボッティチェリが描いたとされているのは、右の天使。

確かに、デリケートな淡い色使いとか、顔立ちの描き方は彼の作品に出て来る他の人物と共通しているような感じです。

『キリストの洗礼部分>』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

その他の芸術家

残りの、レオナルドの天使の足元の岩場とか後ろの棕櫚の木の表現、そしてキリストの腰の右辺りの岩やそこから噴き出す水の表現などあまりうまくない部分は、明らかに以上の三人の手によるものではないことがわかります。

『キリストの洗礼部分>』アンドレア・デル・ヴェロッキオ他, 1475-1478, 板にテンペラと油彩, ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

そして、当時の時代背景を考えると工房に在籍していたたくさんの人が作品にかかわった可能性があるため、この作品には少なくともヴェロッキオ・レオナルド・ボッティチェリ、プラス1名以上の手が入っていることがわかります。

この「キリストの洗礼」はウフィツィ美術館のレオナルド・ダ・ヴィンチ作品展示の部屋にて、レオナルド・ダ・ヴィンチの著名な代表作「受胎告知」と一緒に展示されています。
(作者として名前が出ているのはヴェロッキオとレオナルドのみです。)

ウフィツィ美術館 第一の廊下 ウフィツィ美術館