思い出に残るイタリアの旅、ご案内します。~詳しくはこちらをクリック

マグダラのマリアって、どんな人?

イタリアの美術品、特に宗教的なテーマを扱った作品によく登場する、「マグダラのマリア」。

ドナテッロ晩年の作品「マグダラのマリア」彼は何を伝えたかったのか? ティツィアーノ作3枚の『マグダラのマリア』 ティツィアーノが「マグダラのマリア」を描くとこうなる。

 

名前はよく聞くけど、いったい何をした人なんでしょうか。

 

新約聖書の記述とその他の伝承から、その生涯を簡潔にまとめてみました。
※今回ご紹介するエピソードは、カトリックの主な教義に基づくものです。同じキリスト教でも宗派によりその解釈は異なります。

「マグダラのマリア」のエピソード

彼女はもと娼婦であった罪深い女性だったけど、イエスに会って改悛してその後イエスに従い、後に聖女となった人物。と、一般的には解釈されています。

 

聖書の中でマリアと呼ばれる人物が何人か登場し、同一人物だったのかどうかははっきりしません。それで長いキリスト教の歴史の中で何パターンもの解釈が生まれました。現在では一般的に次のエピソードを総合したものがマグダラのマリアと考えられることが多いようです。

 

①自分の長い髪を使って、香油でイエスの足をぬぐう

この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席についておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持って来て、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。
(中略)
そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。
-「新約聖書」日本聖書協会:ルカによる福音書7より

すぐそのあと、イエスは…町や村を巡って旅をつづけられた。…悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、…も一緒であった。
-「新約聖書」日本聖書協会:ルカによる福音書8より

実は前半のエピソード(ルカによる福音書7)がマグダラのマリア自身であったとは聖書にははっきりとは書かれていません。

 

でも、そのすぐ次に続くルカによる福音書8の中でマグダラのマリアが登場するため、普通に考えたらこの前半部分はマリアのことを指しているのだろう、と解釈されてきました。

 

②イエスが十字架にかけられるのを見届ける

過越祭の六日前に、イエスはべタニアに行かれた。
(中略)
そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。
(中略)
イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。…」

-「新約聖書」日本聖書協会:ヨハネによる福音書12より

イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴダという所へ向かわれた。
そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
(中略)
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
-「新約聖書」日本聖書協会:ヨハネによる福音書19より

こちらも先ほどと同じく、前半がマリアであるとは特定されているわけではないんですが、話のつながり的にマグダラのマリアだろう、と解釈されました。

このべタニアにいたマリアは姉マルタ、弟ラザロというきょうだいがいます。

 

③処刑・埋葬後のイエスに香油を塗るため墓に行く

安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。

-「新約聖書」日本聖書協会:マルコによる福音書16より

 

④復活したイエスに触れようとして、「我に触るな」と言われる(ノリ・メ・タンジェレ)

マリアは墓の外に立って泣いていた。泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に、白い布を着た二人の天使が見えた。

(中略)

…<マグダラのマリアが>後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えた。しかし、それがイエスだとは分からなかった。

(中略)

イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。
イエスは言われた。「私にすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上ってないのだから。…」

-「新約聖書」日本聖書協会:ヨハネによる福音書20より

 

⑤イエスの昇天後は各地で布教生活に励み、最終的にはフランス南部へ

イエスは復活した後、天に上るんですけども、その後、マリアはイエスの教えを人々に説いて回ったと伝えられています。

 

最終的には姉マルタ、弟ラザロらとともにフランス南部のマルセイユの近くに行き(どちらかというと流れ着き)ました。

 

その街の名はサント=マリー=ド=ラ=メール(Saintes-Maries-de-la-Mer)。意味は「海から来た聖マリア達」。

 

マグダラのマリアはその近くのサント・ボームという洞窟で人生最後の30年ほどを隠者として生活しました。

 

当時、その辺りは砂漠で、そこで禁欲生活、つまり断食して眠らない、そういう生活をします(ヤコブス・デ・ヴォラギネ「黄金伝説」より)。

 

彼女はそこで生涯を終えたと伝えられています。

 

マグダラのマリアのアトリビュート(シンボル)

以上のようなエピソードから、美術作品にマグダラのマリアが登場するときは、

  • 髪の長い(ハンパなく長い)女性
  • 香油壺を持っている、または近くにある
  • イエスの足元にいる

などの状況で表現されることが多いです。

 

ガイド学校の先生カテリーナ

こういう人物を特定するシンボルのことを「アトリビュート」といって、例えば聖ピエトロは「天国の鍵」、聖カテリーナは車裂きの拷問で殉教したので「車輪」など、美術作品の中にセットで出てくるわよ

 

マグダラのマリアを扱った近年の映画

最近ではこの「マグダラのマリア」のエピソードから着想を得た映画作品で、こんなのも作られました。

「Malèna」2000年 ジュゼッペ・トルナトーレ監督 モニカ・ベルッチ主演

第二次世界大戦の頃の、シチリアの小さな街でのお話。
主人公の少年レナートはモニカ・ベルッチ演じる美しい年上の女性マレーナに恋をする。街の誰もが知るほど美しいマレーナは、男たちからは欲望の対象として、女たちからは嫉妬と僻みの対象として見られていた。
やがて戦争で夫と父を亡くしたマレーナは生きていくために娼婦になる道を選ばざるを得ず、その美しさから高級娼館でナチスの将校たちも相手にするようになった。戦争が終わったとき、それを理由に街の特に女たちから、壮絶な扱いを受けることになり…

 

というストーリーですが、モニカの妖艶な美しさや、物語の前後で演じ分けている清らかさと希望を失った後の嫌悪感の表情のギャップが見事です。
ちなみに「マレーナ」はイタリア語でいう「マッダレーナ(Maddalena)」の愛称です。

 

あわせて読みたい